今度こそ、きっと
交番に預けられてから3ヶ月間、特にこれと言って変わったことは無かった。
もちろん、私の落とし主が現れることも無く、けれど、あの女の子は時々様子を見に来てくれた。
他に気になったことと言えば、交番のテレビで流れていたニュースくらいだろうか。
原因不明の昏睡状態になった人間の話だ。
初めは、私のことがニュースになっているのかと思ったが、それ以外にも数人、同じような症状で倒れているのが発見されているそうだ。
警察も捜査を行っているようだが、詳しいことはまだ分かっていないらしい。
「そっか……あなたの元の持ち主の人、取りに来なかったんだね。どうしちゃったのかな?」
おまわりさんから連絡を受けて、私を受け取りに来た女の子は、私を抱き上げて頭を撫でた。
「でもだいじょうぶ。わたしがちゃんと大切にするからね」
女の子はおまわりさんを見上げて、改めてお礼を述べる。
「おまわりさんもありがとう!」
「うん、可愛いがってあげてね」
母親も頭を下げて、女の子の手を引いていく。
「本当にありがとうございました」
そうして去っていく間にも、女の子は何度も振り返っておまわりさんに向かって手を振った。
おまわりさんは、こちらの姿が見えなくなるまで、ずっと見守ってくれていた。
*
女の子のお家に戻ってきた私は、女の子のおもちゃ部屋へ案内された。
「みんなー、新しいおともだちだよ!くまさんだよ!」
その部屋にはいくつかのお人形や、ぬいぐるみが並べられていた。
「ほら、この子がやーちゃん!よろしくね!」
女の子は私を一体のぬいぐるみの横に座らせる。
黄色いからだに、角のような物が2つ生えている。何かの生き物を模していることは確かだろう。
しばらく、そうしてぬいぐるみで遊んでいた女の子だが、母親の呼ぶ声に反応して部屋から出ていった。
シン、と静まり返った部屋で、私と横に並べられた黄色いぬいぐるみは揃ってドアの方を見つめていた。
これからどうしよう、とボンヤリ考えながら何となく立ち上がると、
「おい」
どこかから声が聞こえていた。
知らない声。だがその声はごく近くから聞こえていた。
「おいって」
その声は私の真横にある黄色いぬいぐるみから発されていた。
そちらを振り向くと、ぬいぐるみが私を見ていた。
「え、ぬいぐるみがしゃべってる……!?」
「お前もだろうが」
「あ……」
そう言えばそうだった。
「他のぬいぐるみに会ったのは初めてか?」
「うん。あなたみたいにしゃべるのとは」
「ま、そーだろうな。オレらみたいのは珍しいんだ。こう言うオレもあんまり見たことはねーな」
お前の元の持ち主の事はしらねーがよ、と黄色いぬいぐるみは言葉を次ぐ。
「大切にされてきたもんには魂が宿る。大事にされてきたんだな。オレも、お前も」
「いや、私は……」
掛けられた言葉に、思わず口篭り、自分の胸に手を当てる。
私は違う。
だって私は、この子を、この体を……。
「ま、貴重な仲間同士だ。これからもよろしく頼むぜ。新入り」
返事をする前に、部屋に戻ってきた女の子によって、私の体は自由を絶たれた。
*
それから数日が経過し、夜になると私と女の子は何度かあのカラフルな空間で会話した。
何度か経験する中で気づいたが、その空間は女の子の夢の世界だ。
私があそこで見聞きした物や会話の内容を、女の子が現実で話していることがあった。
原理は分からないが、私と女の子は何度も夢の世界で出会った。
その空間はいつも明るく、まるで彼女に見えている世界その物かのようだった。
だけど、その夜は違った。
ふと気が付いた時に私が立っていたのは、黒いクレヨンで塗り潰したような真っ黒な空間。黒以外には何もない空間に、私と女の子だけがいた。
一切の光が無いはずなのに、互いの姿がハッキリと見えた。
「ねぇくまさん、ここはどこ?」
不安そうな目をして、女の子が私に尋ねる。
ここがどこか、なんて私だって知りたいが、ここで女の子を不安にさせる訳には行かないと思い、できる限りの言葉を紡ぎ出す。
「大丈夫。ここはあなたの夢の世界なの。夢だから、怖いことなんて何も無いんだよ?」
女の子を不安にさせまいとする私の努力を無駄にする声が、背後から響く。
「ほう……何やら余計なものが紛れ込んでいるようだな」
咄嗟に振り返り、女の子を庇うように立つ。声のした方を見上げるが、ただ虚無が広がっているばかり。
謎の声は続ける。
「確かに、ここは夢の世界だ」
暗闇の中から、ゆっくりと金属光沢をまとった大きな右手が這い出してくる。
折り紙を折って作ったような直線的な手の、鋭い指先で空を掻いて遊びながらどこか楽しそうに話続ける。
「だが、そのガキの夢ではなく、私の夢だ。私が招き入れた。そっちの茶色い毛玉は知らんがな」
「あなた、何者なの?」
「ふん、貴様には関係の無いことだ」
つまらなそうに言葉を返して、手はこちらに向かって近づいてくる。
いや、あの口ぶりからすれば、目的は私ではなく、その後ろにいる女の子だろう。
守らなければ。
頭で考えるよりも先に、そう感じていた。
思わず、女の子の前で両手を広げる。
「無駄なことを」
意味が無いことくらいわかっている。
それでも、私はこの子を……。
ゆっくりと、手が私の頭上を通過し、
――バチン――ッ!
火花が散るような音と、光が暗闇に弾けた。
「何!?」
驚いた声を上げて、巨大な手は私達から距離を取る。
私達の周りを覆うように、薄い光の壁がドームを成していた。
「なに、これ?」
半球状の光を見上げて女の子が声を漏らす。
私の中にも同じような感想しか出て来ない。
誰も疑問に関する答えを出せずにいると、今度は声が、私の内側から聞こえた。
『大丈夫。君の事は、僕が守るから』
「え、守る?……あなたは……?」
『僕は、この体の元の持ち主さ』
「元の持ち主?」
いきなりことに状況を飲み込めず、質問を繰り返す。
『やーちゃんも言ってただろ?大切にされてきた物には魂が宿る、って』
「でも、私は……あなたにあんな酷いことしたのに……!」
『それでも、僕との思い出をずっと忘れずにいてくれた君を、僕は守ってあげたいと思ったんだ』
私達の会話にしびれを切らした巨大な手が、口を挟んでくる。
「さっきからごちゃごちゃと。まさか部外者が一人では無かったとは」
光に照らされて、右手だけだった巨大な手は、もう片方の手と、その後ろに魔女が被っているようなしわの寄った三角帽子を露わにしていた。
帽子のしわがまるで、不快感を表す顔のようにも見える。
『君は既に何人かの魂を奪っているね?』
「それがどうした?」
『そして今、この子の魂も奪おうとしている』
「人の遊びに文句をつけるのはやめてもらおうか」
今度は、私が口を挟む番。
「魂を奪うってどういうこと?」
『こいつは、夜な夜な人間を自分の夢に引きずり込んでは、その魂を奪っているんだ。こいつが近くに来ているのが分かったから、僕は君を、この体の中に逃がしていたんだよ』
ってことは、ニュースになっていた昏睡状態の人たちはこれが原因……?
『僕はこのまま、君を逃がしてあげることができる』
私の中の声が告げる。
『……君は、どうしたい?』
声は、そう問うた。
「私は……」
少し考えたけど、やっぱり考えるまでも無かった。
顔を上げて、宙に浮かぶ三角帽子を睨みつける。
「私は、この子を助けたい!だってこの子は、ボロボロの私を、何にもない私を、助けてくれたから」
『うん。君ならそういうと思ったよ。なら僕は、全力でその手助けをする』
「私に、できるかな?」
今まで、何もして来なかった私に。
何一つ選び取って来なかった私に。
怖い。
私があいつに負けることが、じゃない。
私が負けたせいで、女の子の魂が取られてしまうことが。
今のまま、光のバリアに守られたまま、あいつが諦めるのを待っていた方がマシかもしれない。
私の選択が、何か悪い結果をもたらしてしまうことが、怖い。
『大丈夫』
声が、私を励ましてくれる。
ずっと、私の中にいた声が。
『言ってたよね?ずっと辛くて、苦しかったって。今も、辛いって』
「……うん」
『だったら大丈夫』
その声は自信に満ち溢れていて、なんだか本当に大丈夫に思えてくる。
『君が辛いのは、現状を受け入れられないから。まだ、今に満足していないから。このままじゃ駄目だって思ってるからじゃないかな?逃げて、逃げて、逃げて来たんだとしても、何一つ諦めきれていないからじゃないかな?』
内から響く声が、胸を響かせる。
『だったら、変えられる。心の底では「変えたい」って思ってるから。「このまま終わりにしたくない」って思ってるから』
「……うん」
『だから、今。一歩、踏み出せるよ』
その言葉に背中を押されるように、私は光の壁から一歩外へ。
「まって、くまさん!」
踏み出した私を、小さな女の子が呼び止める。
私は立ち止まって振り返る。
「行っちゃうの?」
不安そうな声色の女の子に、頷きと共に言葉を返す。
「うん、行くよ」
こちらに伸ばそうとする手をそっと握って押しとどめるように、ゆっくり、まっすぐ言葉を伝える。
「あなたがせっかく、私を助けてくれたから。もうこれで良いや、って思っていた私に、本当の気持ちを気付かせてくれたから。私はまだ、何にも諦められてなかったから」
だから、また、と見つめた瞳に明るい光が再び灯る。
「……また、あえる?」
このぬいぐるみの体では笑うこともできないけれど、精一杯明るい声と動きで返事する。
「また、いつか!会おうね!」
「うんっまたね、くまさん!!」
その声に一層力強く背中を押されながら、帽子の怪物に向かって近づく。
「くまさん、がんばってー!」
今まで、何もして来なかった。
何もできなかった。
そんな自分が嫌いだった。
そんな人生が嫌で仕方がなかった。
だけど、嫌だって思ってるだけじゃ駄目なんだ。
辛い、苦しいって思ってるだけじゃ何も変えられないから。
たった一歩だけでも、自分の脚で踏み出さないと。
変えたいなら、変えないと!
膝を曲げて、姿勢を低くする。
「何の、つもりだ?」
帽子が呻くが、構わない。
『行くよ?』
「うん、行こう!」
跳びあがる。
巨大な手を足場にして、三角帽子を目掛けて飛んでいく。
「触れるなぁ!!」
帽子から黒い波動が放たれる。
反射的に突き出した右手から光が噴き出し、黒い波動とぶつかり合う。
押し返されそうになりながらも、前に進む。
ミシ、と作り物の体が軋む音が聞こえた気がする。
それに重なるように、声が響く。
『今まで、辛かったね』
うん、辛かった。
生き辛かった。
何にもないくせに。空っぽのくせに。
人間未満のくせに、人間のふりをして生きて行くのは、辛かった。
プチリ、と右腕で糸が切れる音がした。
『ずっと、苦しかったね』
うん、苦しかった。
息苦しかった。
生きていたくなんか無かったくせに、生きるのをやめる選択すら出来ずに、ただ生きて行くのは。
自分の意思なんかないのに、自主性を求められて生きて行くのは、苦しかった。
ブチブチブチ、と、音は右肩辺りまで迫って来た。
『お疲れ様』
ううん。これからも変わらないよ。
ずっと辛いし、ずっと苦しいと思う。
世界は私にとって、生きやすい場所じゃないから。
世界は、私のためにあるものじゃないから。
ビリ、ビリリッ!
布の裂ける音が聞こえる。
『それでも、生きて行くんだね』
うん。生きるよ。
生きるのをやめられないから、じゃない。
まだ、死ねないから。
せっかく生まれて来たのに、自分が何をしたいのかも分からないままで、終わりにできないから。
『なら、もう……』
「うん、もう大丈夫」
私はちゃんと、生きていけるよ。
ぬいぐるみの体がばらばらになる。
その中から現れた人間の手で。私自身の手で、三角帽子に触れる。
「なにッ!?なぁああにぃいいいいイイイイイイイイ!?」
帽子は紙を破り捨てるみたいに散り散りになっていき、視界は白い光で満たされていった。
*
次に目覚めた時、私は病院のベッドの上にいた。
頭が、ぼんやりとする。
なんだか、長い夢でも見ていたような気がする。
何となく額に手を当てようと思って布団から出した右手に、赤いリボンが握られていた。
あのくまのぬいぐるみが付けていた赤いリボンだ。
……うん。あれはきっと、ただの夢なんかじゃないよね。
あの子が、守ってくれた。
あの子が、背中を押してくれた。
だから私はここにいる。
今、前を向こうと思えている。
「ありがとう。……さようなら」
リボンを握りしめて、顔を上げる。
まずは、どうしようかな?
あの子は、変えられる、って言ってくれた。
今の私に何を変えられるだろうか。
いきなり会社をやめるって言うのは、なんか違う気がする。
やりたい事じゃなくて、やりたくない事をやめるだけだし。
それに、まだそこまで大きく人生を変える勇気はない。
とりあえずは、何がやりたいのか、探す所からかな。
これをやりたくない、じゃなく、これをして生きて行きたい、と思える何かを見つけないと、きっとまた生きる意味を見失ってしまうから。
そのために。
私は一体、何が好きだったのか。
まずは、それを思い出してみようと思う。
何を好きになれるのか。
それを知る努力を始めてみようと思う。
今まで、自分にはないと思って、必要もないと思って、目を逸らしてきたものを、目を瞑ってきたものを、探そうともしてこなかったものを、今度こそちゃんと見つけるために。