おばかなわんこ③ ~餌付けされるわんこ~
私の嫁は厨房で働いているようだった。
あとから入ってきた恰幅の良い女性とともに料理を始め、右へ左で動き回っている。
嫁、働き者。
すてきだ。
ミルク一杯の効果は大きく。
彼女から後光がさして見える。
輝かしい薄膜で彼女だけがすっぽりとつつまれているかのようでもある。
嫁、額の汗を拭った。
その汗さえ舐めたくなる。
わんこだし、べろべろ舐めても、危ぶまれないのでは……。
嫁、動きも軽やか。
健康状態も良い。
体は大事。
狼は一途で多産なのだ。
元気な嫁、一番。
嫁を見ているだけで、ホンワカした気持ちになる。
一番つらい時に手を差し伸べてくれた嫁、最高。
一日中、嫁を見ていろと言われても、見ていられる。
そこにミルクがあったら、なお良し。
再び、お腹がぐうっと鳴った。
やっぱりミルク一杯では、空腹は満たされない。
でも、嫁も忙しそうだ。
今はしゃべれないから、お腹空いたと訴えたくてもできない。
可愛らしく喉を鳴らせば、何かくれるだろうか。
そうこうしているうちに嫁もどこかへ行ってしまい、厨房が静かになる。
厨房と隣接する部屋が明るくなり、そこから人のざわざわとした会話が聞こえるようになった。
忘れられたのか不安になるものの、人が大勢いる場で、飛び出すわけにもいかない。
私はその場で、丸まって、じっと待つことにした。
予言通りなら私を助けてくれた彼女こそ私の嫁
どうやったら、仲良くできるだろう。
子犬のまま、懐柔すればいいのか?
助けてくれたということは、きっと子犬は好きだ。
嫁を見つければすぐ人間に戻るかと思えば、戻らない。
なにかが足りないということか?
なにが足りないのだろう。
嫁との交流か?
分からない。
彼女と関わらないと、私は人間の姿に戻れないとしたら、、今は待つしかない。
じっと待っていると、椀にぽんと何かが投げ入れられた。
覗きこむと、厚く切られたハムだ。
やったぁ。
ハムだあぁ。
久しぶりの食べ物だぁぁ。
私はハムにかぶりついた。
一口食んだだけで、どれだけひもじかったのかと痛感する。
飲み込んだ瞬間、感動にむせび泣きそうになった。
もう、食べ物は粗末にしない。
食べれない量は欲しがらない。
食べきれなかった分は、誰かに分け与えよう。
胃に染みわたる食物は、私が今までどれだけ恵まれてきたのかと、教えてくれるようであった。
一切れのハムにほっと人心地がついた。
嫁が迎えに来てくれるまで、大人しく待つ。
受け入れてもらえるように、可愛い子犬でいよう。
食べ終わった嫁、まだまだ働く。
たくさんのお膳が運ばれてきて、それを受け取っている。
お盆と皿を分けたり、残飯をゴミに捨てたりもしている。
そのなかで、綺麗に残った形の良いハムを、嫁は手際よく私の椀にほおり投げてくれた。
ぽんぽんとハムが積み重なる。
ありがたい。ありがたい。
私は尻尾を振って、がっついた。
これでも、育ち盛りの子犬。
一枚のハムでは足りなかった。
ほおり投げ入れられるハムを食べきったら、腹が満たされた。
ありがたい。ありがたい。
これしか、言葉がでない。
食べることのありがたさを生まれて初めて感じ入った。
嫁はまだ働いている。
ここで働いているのだろうか。
ということは、平民?
平民の娘か。
なら、働き者でも納得だ。
元気でなにより。
水場で恰幅の良い女性とともに食器を洗っている。洗った食器を拭き、棚に戻した。
「厨房のお掃除は私がするから、お風呂入ってきてちょうだい」
「はい。いつも通り、お湯を抜いておきますね」
「私のことは気にしないでゆっくり入ってきなさい」
「ありがとうございます」
嫁は、私の傍に寄ってきて、「静かにしてね」と呟いた。
もちろん。それぐらい簡単さ。
という意味で鳴きそうになり、我慢した。
包んでいた布ごと私を抱き上げる嫁。
見上げれば、嫁の顔。
足早に進む彼女の腕の中で、私も揺れる。
「ごめんね、わんちゃん。顔、ださないでね」
お安い御用だ、嫁。
私は賢い子犬だ、安心しろ。
嫁の腕に力がこもる。
苦しい。苦しいけど、この何かに挟まれるような圧迫感は……。
あったかい。
あったかいぞ、そして柔らかい。
柔らかい?
抱きしめられてこれだけ柔らかいとなれば、それは一つしか考えられない。
嫁。もしや、お前は、着やせするタイプか!!
私の希望を凌駕する、なにがしをお持ちということか!!
すごい。
嫁、働き者な上に、こんな長所を隠し持っているなんて。
予言ばんざい。
雨に打たれた苦労なんて、吹っ飛ぶご褒美。
しかし、嫁。
どこに行くのだ?
「ごめん、隠れていてね」
嫁の声とともに、布がかぶせられ、私の視界は真っ黒になる。
「お疲れ様」
「ありがとう。あなたで、最後かしら」
「ううん、あと二人脱衣所に残っているわよ。その二人で最後ね」
「ああ、ありがとう。お休みなさい」
「お休みなさい」
嫁がピタリと止まる。
私にかけている布をひょいと持ち上げ、覗き込んできた。
「もう少し、大人しくしていてね」
分かった、嫁。
嫁の言うことなら、なんでも聞くぞ。
好かれるためなら、それぐらい、なんてこともない。
「頷いているの? あなた、賢い、いい子ちゃんね」
そうだろう、そうだろう。
再び私の頭に布をかぶせた嫁が動き出す。
扉を開く音がして、どこかに入ったようだ。
どこか……。
そう言えば、さっき、脱衣所、と言ってなかったか?
「お疲れ様」
「ありがとう。今日はあなた方二人で最後よね」
「うん、浴場には誰もいないわよ」
「着替えも終わったから、先に行くわね。お休みなさい」
「お休みなさい」
「お休み。良い夢を」
二人が脱衣所を出てく。
布をかぶせられた私は暗がりで、身を強張らせる。
嫁よ。
お前は今、どこにいるのだ。
脱衣所。
浴場。
その言葉から、連想できるのは、ただ一つ。
そこは風呂か!
風呂なのか、嫁よ!!
嫁がぱさりと私にかぶせていた布を取り払った。
笑顔の嫁、眩しい。
その愛らしさに言葉もないよ。
しかしだ。
私たちはまだ、出会ったばかり、婚約だってしていないのだぞ。
展開が早すぎやしないか、嫁よ。
嫁が、私を何かの籠にぽんと置いた。
頭をぽんぽんと撫でてくれる。
「お前も、綺麗にしてあげるからね」
立ち上がった嫁がそびえ立つ。
あっ、そうか。
私、今、子犬。
なんの問題もなしなのだ。
すると、目の前で嫁が服を脱ぎ始めた。
嫁ーーー!!