おばかなわんこ① ~濡れそぼるわんこ~
空を見上げれば、重たい雲がたれこめ、バケツをひっくり返したような大粒の雨が降っている。
昼頃から降り始めた雨は、激しさを増すばかり。
落ちてくる雨になすすべなく、私は全身、びしょぬれだ。
傘をさせばいいと思うだろう。
それができない。
私は、今、子犬の姿だ。
濡れているのも、黒っぽい紺の毛並み。
水を含んだ毛が重い。
足裏は石畳を踏めばひんやりと冷たく、土を踏めばぬかるみにはまる。
どこか雨宿りする場はないかと、やっと探し当てた場所さえ野良犬に見つかり、追い立てられた。
行く当てもない。
風雨も冷たい。
獣人の王子が、好き好んでこんな雨の中、子犬姿でうろつくなんておかしいだろう。
子犬姿の私が、一人で隣国をうろつくのも訳がある。
私の名前はキース・アシュクロフト。
子犬姿で放たれた国の、隣にある小国の第二王子だ。
なぜ子犬姿か。
もちろん、それは私が獣人だからだ。
私の国は人口のほとんどを獣人が占める。
鳥型、獣型、海獣型など色々だ。
もちろん人から獣にも、獣から人にも、通常なら自由に変化できる。
子犬と言っても、私は狼に近い。紺の光沢を放つ黒毛の狼だ。
子どもだから、わんこにしか、今は見えなくとも、将来は立派な狼になる。予定だ。
いつもなら、獣から人間に戻れる私も、訳あって、今はできない。
それには理由がある。
私の国は、卜部による予言を行っている。
予言内容は天候や大きな事件など色々あり、近隣諸国との外交手段として使っている。
特に、天災の予言については非常に重宝され、隣接する国々とは、長期で盟約を結んでいる。
もちろん、卜部は自国の予言も行う。
天候や事件だけでなく、国や王族の盛衰に関わる大切なことを予言する。
今回、卜部は、私の花嫁について予言を得た。
『子犬姿で隣国の首都を歩き、最初に助けてくれた女性が、花嫁である』
歩くだけならいいだろうと思ったら、おまけがついた。
『子犬姿で単独で歩くこと』
はっ? っと思うだろう。
子犬姿ってなんだよ!
そもそも私は狼だし。馬鹿にすんな。
私は思ったよ。
それなら、子犬姿で歩くように見せかけて、途中で人間に戻ってやるとね。
しかし、そんな私の考えなんて、簡単に見破るのが、お目付け役の魔法使いなんだ。
やつは卜部に助言しやがった。
『キース様は、子犬姿で首都に入っても、すぐに人間に戻ればいいと考えられます。途中で人型であっても良いのでしょうか』
『それは困ります。子犬姿で、歩いてくださらないと出会うものも出会えません』
『では、終始、子犬姿でいる必要があるのですね』
『はい、その通りです』
『異国に花嫁を求めるのは、王族の務めであります。お役目全うできるように、私がついております』
『おお、頼もしい。よろしくお願いします』
恨みがましい目を向けても、魔法使いはそ知らぬ顔だった。
そんなわけで、百年ぶりぐらいに花嫁探しを打診した隣国は、速攻で了承した。準備期間中に逃げ出さないように、私は城に軟禁された。
ひどい!
なんたる扱い!!
逃げ出す気はあったとはいえ、先手をうちすぎだ。
さらに悪いことに、隣国に放たれる直前、目を盗んで逃げ出そうとした私を、二足歩行しないようになどの理由で、一週間、子犬姿から戻れないように、魔法使いに魔法をかけられてしまった。
しかも、この魔法、花嫁に出会わないと解けない仕様になっているというんだ。
酷い!
あんまりだ!!
しかも、しゃべれない魔法までかけられた。
「わんわん、きゃんきゃん」
抗議しても、可愛い声しか出ない。
さらに犬の習性が災いし、ボールを転がされれば追っかけてしまい、骨付き肉をくれたら、尻尾を振って食べてしまう。
尊厳を蹂躙するな!
そんな私を見て、魔法使いが言った。
「大分、わんこらしくなってきました。これなら、放っても大丈夫ですね」
今に見てろよ、魔法使い!!
頭を撫でられ、腹を撫でられ、喜んでしまう、この身が憎い。
これもあれも、魔法使いの魔法に違いない。
そうこうしているうちに一週間が経ち、私は隣国に放たれることになった。
子犬姿で籠に入れられ、運ばれた隣国の首都。
その片隅で、ひっそりと首輪を外された私は、放たれた。
魔法使いは、私を放してすぐにどこぞへと消えてしまった。
畜生!
叫びたくても、「わんわん、きゃんきゃん」としか鳴けない。
もういい、さっさと花嫁を見つけてやる。
幸い、毛並みも綺麗に整えており、どこをどう見たって、ただの野良犬には見えない。
美麗なわんこ姿で、ちゃちゃっと女の子に声をかけて、拾われてやる。
これはナンパだ。
子犬姿のナンパ。
下手をしたら、人間姿より、成功率高いかもしれないぞ。よし、このミッション名は、良い子がいたら、声をかけて、ひろってもらおう作戦だ。
私は悠々と道を歩きながら、可愛い女の子を物色する。
さあ、女の子に声をかけようとした時だった。
突然、ぽつりぽつりと雨が降り出し、あっという間に、ざああぁと土砂降りになってしまった。
そして、ぬれすぼった私は、今に至る。
艶やかだった毛並みは見る影もない。
跳ねた泥がこびりつき、首輪もしていない状態は、野良犬にしか見えない。
店先では、雨のなかなのに、水をぶっかけられた。
路地裏に行けば、大型の野良犬に吠えたてられた。
小さな子どもには石を投げられ、老人には杖で腹を叩かれた。
晴れているならいら知らず、雨の中で汚れ切った私は、ナンパどころではなくなった。
私は、隣国の王子なのに。
ただの野良の子犬にしか見えない私に手を差し伸べる者はいない。
歩いて、歩いて、歩きまくった。
低層の木の下にやっと身を寄せる場を見つけた。
私は雨が上がるまでここにいようと尻尾を抱えて丸まった。
雨は一晩中降り続いた。
低層の木に生える葉に守られて、雨風はしのげたけど、丸まっていたおかげで、足も腹も泥がたくさんこびりついていた。
こんな泥まみれの子犬では誰も拾ってくれないだろう。
花嫁探しどころではない。身ぎれいでなければ、選ばれるものも選ばれない。
(詰んだ……、詰んだ。こんな汚い子犬を拾ってくれるような女性なんているわけない。これでは、ただただ、花嫁探しから遠ざかってしまう!
花嫁が見つからなければ人間に戻れない!
畜生、これは魔法じゃねえ、呪いだ呪い。
魔法使いめ、こんちくしょう!!)