おばかなわんこ⑤ ~添い寝するわんこ~
嫁に命じられて、待つ私。
着替え終えた嫁が、しゃがんで私の頭を撫でてくれる。
しゃがんで、ほほ笑む嫁。女神にしか例えられない。世界女神図鑑なんて分厚い本があったら、表紙にしたい。
自然と尻尾が左右に触れ、舌をだし、はっはっと息巻いてしまう。
「良い子ね。上手に待てができて」
なでなでしてくれる、嫁。
嫁の希望だもの、私はなんでもするさ。
さらに激しく私は尻尾を振った。
嫁の手が伸びて私を抱き上げてくれる。
もたれかかると、嫁は頭から背を撫でてくれた。
至福。
嫁の腕のなか、最高。
柔らかい二の腕。
私の特等席のような谷間。
子犬サイズじゃないと、この感触は得られない。
身をよじって全身で堪能。
「あんまり、暴れないで。落ちちゃうよ。わんちゃん、本当に元気ね~」
嫁のおかげで、元気になった。全部、嫁のおかげ。感謝を千回表しても足りないぐらいだ。
嫁が、ベッド脇に座った。
私を膝の上に載せる。
私の手を取り、(と言っても、子犬の前足)私の小さな手をふにふにと揉む。
くすぐったい、くすぐったいぞ、嫁。
私の手のひら、(主に肉球あたり)を指先で撫でまわす。
「やっぱり、柔らか~い」
抱いている手で私の手を持ち直し、空いたもう一つの手が首元に伸びてくる。さわさわと嫁の指先が首元をくすぐる。
ああ、嫁。
そこ、気持ちい。
もう、そんなことされたら、鳴いちゃう。
私、もう我慢できない。
「きゅーん、きゅうーん」
嫁。この仕打ちは、子犬じゃなければ許されないんだよ。
ましてや、私は隣国の……。
あっ、あっ。
嫁、そこ、気持ちい。
「きゅーん」
「わんちゃん、撫でられるの、好きねえ。可愛い~」
……好き。
尊厳も、威厳も、大崩壊。
子犬姿でなければ、晒すことができない醜態だ。
ええい。嫁と言えども、やりすぎだ。
お返ししてやる。
嫁の胸に手を伸ばした私は、肉球顔負けの柔らかい質感にタッチした。
「暴れないでよ、わんちゃん。落ちたら、危ないぞ~」
私の突きだした手をそっと握り、指先で肉球をさわさわと撫でる。
私だって触りたいのに。
もう片方の手を突き出して、胸にぽんと触れる。
それも嫁の手に包まれる。
いつの間にか、ベッドの上に座っていた嫁は膝を立てて、私を支えた。私が交互に両手を突き出せども、嫁もまた両手で私の手を交互に受けていく。
手ごわい嫁。
侮りがたいぞ、嫁。
その余裕の笑みはなんだ。私は必死だというのに!
左右の手を交互に、突き出していると嫁が言った。
「本当に、元気な子ね~」
ベッドの上で座り直した嫁が私の脇を掴み、持ち上げた。
なっ、なにをする。私の腹でも見るというのか?
高くあげられた私は、嫁の後頭部を見下ろす。
嫁は私のお腹近辺を凝視した。
「あ~。やっぱり、男の子かあ。元気なはずよね~」
そんなところ、見ないで!
子犬じゃなければ、非合法!!
「まっ、かわいいから、いいか~」
嫁が私の腹に頬を寄せてきた。
嫁のほっぺたが私の腹を左右に動く。くすぐったい。くすぐったい。
さらに激しく嫁が私の腹に顔をつけて左右に振る。
ぱっと嫁が離れると、私を見上げて笑った。
「今日は、一緒に寝ようね。わんちゃん」
おおせのままにー!!
嫁が私を片手で抱いたまま、もぞもぞと掛布の中にはいっていく。横になった嫁と向き合う。
目の前には双子月。
手を伸ばせばそこにある。
ちょっと遠い。
すんすんと鼻を鳴らすと、嫁が抱き寄せてくれた。
風呂上がりの石鹸の香りと嫁の臭いに包まれる。
「さっきから暴れてはいるけど、あんまり鳴かなくていい子ね、あなた」
もちろん。鳴いたら、嫁、困るだろう。嫁を困らす気はないからね。
「このまま、飼ってあげたいぐらいだけど、ごめんね。ここは私の家じゃないから、自由にはできないのよ」
気にしなくていい。
私が人間に戻ったら、嫁を迎えに来る。うちの城が、嫁の家になるのだ。
「私ねえ、帰る家がないのよ」
なんだって!
「唯一の家族だったおばあ様が亡くなってね。
今までは、お婆様が工面してくれていた学費も払えなくなってね。学園長に頼み込んで、働かせてもらっているのよ」
嫁、天涯孤独なのか?
「悲しそうな顔しないで、わんちゃん。
うちにはうちの事情があるのよ。
家はあっても、家族はないのよ。
ここで、学園を中退しても、碌な目には合わないと思うの。だから、なんとかあと半年、ここにいて、卒業して、職を見つけて、働くつもりなのよ。
母の形見を売り払って、ひねり出した学費だもの。
ちゃんと卒業して、職を得て、自立して生きていくのよ」
嫁、苦労人……。
安心しろ、嫁。
未来は、隣国の第二王子の嫁だ。
もう、苦労はさせない。
今日助けてもらった恩は、必ず、返す。
私の人生すべてをかけて、嫁を守ってやる。
安心しろ、嫁。
「可愛いねえ。あったかいわ」
嫁が私をぎゅっと抱き寄せた。
ぬいぐるみになった気分だ。
嫁が私の頭を撫でてくれる。
私も嫁の頭を撫でてあげたい。
嫁、頑張ったな。
もう大丈夫だ。
私がついている。
もう、そんな悲しい目には合わないよう、守ってやるからな。
でも、今は、この……、この……。
目の前の谷間が……。
私は短い子犬の手足で、嫁の胸を押した。
柔らかい。
離れがたい。
この双子のお月さまのために、私は頑張る。
きゅきゅと前足で踏んでいると、嫁が後ろに下がった。
ああ……、双子月がぁぁ……。
「苦しかったかな。それとも、寝ずらかった?」
そんなことはない。
しかし、勘違いした嫁が、私から距離をとってしまった。
なんということだ。
もっとさりげなく、触れば良かったか。
でも、子犬だし。
身をよじって、前足できゅっきゅと嫁を押しても、合法なはずなのだ!
「お休み、わんちゃん」
そう言うと、嫁は静かに寝てしまった。
学業に仕事と忙しかったからだろう。
私も昨日からろくに食べれず、雨の中、泥まみれで過ごしてきた。風呂にも入り、身ぎれいにした体は、思うより疲れ切っていた。
寝ている嫁の、愛らしい寝顔を見つめながら、私の瞼も重くなる。
気づけば、すっと夢の中で入りこんでいた。
夢の中で、私は見た。
夜空に輝く双子の月を。
金に輝く双子月。
ああ、この双子月を祀る社を建てたい。
国へ帰ったら、建てよう。
奉納するのは、山羊の乳と豚の肉、なんてどうだろうか。
そんな夢見のなかで、肩をゆすられた。
「ねえ、起きて。あなたは誰。どうして、ここにいるの。私が昨日拾った子犬はどこに行ったの」
まどろむ私に、嫁の声が届く。




