1:助けた子犬が化けた!
「ねえ、ねえ、今日じゃない。隣国の王子様が花嫁探しで、この国を訪ねてくるのって」
「ええそうね。でもどうせ、どこかの高位の貴族のお嬢様が内定しているわよ」
「ええ~、そうかしら。それなら、あんなに大々的に、平民からお姫様まで、国中にいるすべての女の子が候補になるって知らせないわよ」
「そうなったら、平民から奴隷まで候補になるじゃない。ありえないわよ。相手は隣国の王子様よ」
「そのありえないが、あるのよ。まさかが、まさかじゃないのよ」
「興奮しないでよ。夢は夢よ」
「ええ、夢ぐらい見たっていいはずよ。夢見る自由は誰にも奪えないわ」
女の子二人がきゃっきゃと歌うように話しながら、私の目の前を通りすぎていった。
(王子様なんていたって関係ないわよ)
私こと、アリス・パーセルは、制服にエプロンをつけ、モップを片手に、廊下の掃除真っ最中。
隣国の王子様なんて関係ない。今の私は目の前のことで手いっぱいなんだから。
貴族の末端に属する子爵家の私がモップでごしごし床掃除をするのも訳がある。
先日、私の母代わりだった祖母が亡くなったのをきっかけに、家からの仕送りが途絶えてしまったのだ。
母は幼少期に他界し、父はその寂しさから早々に後妻を娶った。後妻との間には男の子と女の子が産まれ、当然、前妻が産んだ長女の私は邪魔者扱い。
祖父も他界した今、初孫可愛さの祖母だけが私の味方だった。実家の不遇を理解していた祖母は、私に教育を施し、自立できるよう学園に通わせてくれていた。
私の進路に見向きもしなかった父。祖母が亡くなるやいなや、その教育資金さえもったいないとばかりに支払いをストップしたのよ。
「まさか、祖母が亡くなって、すぐに仕送りをやめるなんて思わなかったわよ! あと半年よ。あとほんの半年なのに!!
これで厄介払いができると払ってくれてもいいじゃない!!」
文句をたれながら、力いっぱい八つ当たりするようにモップがけに勤しむ。
卒業まであと半年、辛うじて、母から受け継いだ宝石があったので学費は賄えたが、寮費までは足りず、仕方なく学園に掛け合って、放課後に園内で働くことでなんとか居座ることができた。
こうなったら、なにがなんでも卒業するわ。
居場所のない家に帰らないためにも。
帰れば、ろくでもない、嫁ぎ先が待っている可能性があるもの!
負けてたまるか!!
学園を無事卒業し、王宮勤めの侍女になって、しっかりと自立してやるんだからね。
反骨心を支えに、私は闘志を燃やす。
雲の上の人に助けてもらえるかもなんて夢想より、腕を動かし、足を動かし、己のできることをするよの。
今日の仕事も終わり、寮に戻ると、そこでも下働きがまっている。園内清掃と、寮母の手伝い。この二つをこなすことで、私の寮費は賄われている。
最初の仕事は、食糧庫に必要な材料をとりに行くことだ。寮の台所の壁に、寮母のメモが張られている。
そのメモに書かれている品を運ぶのだ。
昨日は雨が降っており、ちょっとだけ道がぬかるんでいる。転ばないよう気をつけながら、箱に食材を入れて、運んでいると草むらががさがさとゆれた。
葉と葉の間から、泥だらけの子犬が顔を出したかと思うと、フラフラとよろめいてぱたりと倒れた。
死んだ?
私はかけよって、荷物を膝に乗せてしゃがんだ。
くにゃりと力なく倒れている子犬は、毛も泥まみれ。所々乾きだまになっている。胸は上下していた。
ほっとした。
良かった、生きていて。
「待っていてね。今、助けてあげる」
私は、食材が入った箱を抱えて急いで、台所に戻った。箱から食材をとりだし、空いた箱を裏口近くに投げ捨てる。
走って引き返すと、子犬は寝ていた。生死を確認するかのように、カラスが子犬をつついている。
私が近づくと、追い払う必要もなく、カラスはぱっと飛び立っていった。
私は子犬を抱きかかえると、台所の裏口にある蛇口をひねった。水で子犬の泥をぬぐっていく。こびりついた泥が少し残ったものの、おおよそ体をきれいにできた。
私は身につけていたエプロンで、子犬を包み、裏口に置いた空き箱にそっと寝かせた。
すんすんと鼻をならし、子犬が目を開ける。
お腹が空いているかもしれない。私はお椀にミルクを入れて、子犬の鼻先においた。
顔をもたげた子犬が、お椀に顔を突っ込んで、舌を器用に使って飲み始める。尻尾を軽く左右に振り始めた。
ふと顔を上げて、私を見た子犬は、黄色い目をくりんと輝かせる。水で洗った毛並みは、青い光沢を放つ黒。丸い顔に丸いおめめ、鼻筋は通っている。身ぎれいにしたら、美人さんになる顔つきだ。
「もう大丈夫だよ。安心して休んでて、後でご飯もあげるから」
夕食の配膳を手伝い。一段落したところで、私も台所の片隅で、みんなと同じ食事をとる。
残った食材からとりわけたハムを、ミルクが空になったお椀に入れてやると、子犬は喜んで食べていた。
みんなが食事を終えてから、私は食器を洗いにかかる。残飯のなかから、綺麗なハムを見つけては、お椀に入れてあげたら、子犬は喜んでぺろりとたいらげていた。
食器を洗い終える頃、風呂の時間も終わる。
私はいつも最後に風呂に入り、湯を抜き、忘れ物などがないか点検をする。
私はエプロンに包んだ子犬を抱えて、風呂場にむかった。
「お前も、綺麗にしてあげるからね」
そう言って、一緒にお風呂にはいる。桶に湯をため、子犬を浸し、泡立てた石鹸で丁寧に毛を撫でてあげると、こびりついた泥も落ちていった。
湯をかけ回すと、ピカピカのわんこが現れた。
上品な顔立ちに、月夜の満月を思わせる美しい瞳。
とても野良犬とは思えない品がある。前日の雨に紛れて、迷子になっている飼い犬かもしれない。
風呂からあがった私は、子犬をタオルで巻き、抱っこして部屋に持ち帰った。
「どこぞで飼われていたなら、きっと飼い主も心配しているわね。明日、一緒に飼い主を探しに行きましょうね」
私の胸を前足でぐっと押し、首を伸ばした子犬が私の頬を舐めた。
「私の言葉、分かるの? あなた賢いのね」
頬ずりしてあげると、きゅーんと泣いて、私の身体にすり寄ってくる。毛並みも良い、素直な子犬が、あまりに愛らしくて、その夜、私は子犬を抱いて寝た。
賢い子犬に気が緩む。
私は誰にも言えない話を、訥々と話しながら、子犬を可愛がった。
子犬は前足で私の胸をきゅっきゅっとおしながら、寝る態勢をととのえる。よほど私の胸が邪魔なようだった。
翌朝。
「きゃああああ!!」
清々しい早朝、目覚めた私の目の前に、尊顔麗しいケモ耳付き男子の幼顔があり、小鳥も驚く絶叫をあげてしまった。