宿屋とオメガとアルファ
カヴェが私を連れ込んだのは酒場らしきところだった。
しかしそこで酒を頼むどころか、カヴェは勝手知ったるという風にカウンターに真っ直ぐに向かうと、カウンターに銅貨を何枚か置いた。
カウンターに立つ中年男はカヴェの出したお金よりも私の方を値踏みする目で見つめ、私はカヴェによって勢いよくカヴェの背に隠された。
「うちは外から女を連れ込むのはご法度だ。」
「女房だ。」
「そういう事にしとくかね。ただし、うちのもんを使わずに素泊まりはねえ。」
「泊まらねえよ。一泊の料金で二時間貸せって言ってるだけだ。ここで暴れて商売どころじゃ無くしてもいいんだぜ。」
カウンターの男は大きく舌打ちをすると、カヴェが置いた銅貨の隣に小さなカギを置いた。
「二階の真ん中だ。」
「ありがとよ。兄さん。」
カヴェはそのカギを取り上げると、カウンターから離れて階段へと向かい、そこを上がった突き当りにある扉を開けて中に入った。
薄暗い廊下には向かい合わせに扉があるという情景で、扉の数で言えば部屋は六部屋あるらしい。
どちらの真ん中の部屋なのかと私は悩んだが、カヴェはこういう店の事はよく知っているのか、向かって右側の方の真ん中の扉を開けて私を中に入れた。
天井は意外と高いがシングルベッド一台程度しか置けない狭い部屋だった。
窓は私の頭ぐらいの高い位置に一つだけあり、窓はガラスが嵌っているのではなく木の扉というものだ。
窓は締め切られており、今は昼だというのに部屋はとっても暗かった。
薄暗い上にジメジメしていて、ベッドは誰が使ったか分からないぐらいに乱れてていて、嫌な臭いだって立ち込めている。
私は処女では無いけれど、こんな場所で男とやりたくはない。
「宿?ええと、二時間だけここに潜むの?」
「二時間どころか十五分もしないでここの用心棒が押し寄せる。無理難題の客に教育してやる必要もあるし、毛色の違う花も手に入る。」
「え、ええ?」
「そして俺達を、いや、俺を探しているらしい憲兵もこの町をうろついている。絶体絶命な俺達はどうすればいいのだろう?」
彼は状況を全部考えた上で、ここに私を連れ込んだに違いない。
恐らくここは違法な宿屋で、カヴェは自分を追ってきた憲兵に宿屋を見逃すか自分を見逃すかのジレンマを与えようという事だろう。
ついでに、追手から逃げる時間稼ぎも出来る、かしら?
私はカヴェを拳で叩く素振りだけした。
「悪知恵ばっかり!」
彼はワハハと楽しそうに笑い、窓辺へと歩いて行ったあと、私に向けて両手を差し出した。
「さあ、妖精のお姫様。私の手を踏み台にして空へと飛び上って下さい。」
「素晴らしきレディファースト。感激だわ。」
私はカヴェの手に足を乗せ、彼が私を持ち上げるタイミングに合わせて高い位置の窓に取りついた。
そして窓を開けながらその窓枠を跨いで座った。
「さあ、私の手を使って?」
「不要だね。俺がぶつかっても大丈夫なように枠に捕まっていて。」
カヴェは両手を窓枠に掛けた。
彼は懸垂だけで自分の体を持ち上げられるらしい、が、彼はそんな肉体自慢を私に見せる事が出来なかった。
私達の部屋の扉がノックも無しに開かれ、その瞬間にカヴェが落ちたのだ。
「畜生!オメガめ!」
「え?」
私は部屋の扉を開けた闖入者を見返した。
赤みがかった茶色の髪を体に纏わせ、体の線どころか肌の色だって透けて見えるという、体を隠す用途に適さないドレスを着ている少女である。
でも、少女でも胸は大きかった。
顔はそばかすが散った中学生ぐらいであるのに、目元は潤んで色っぽく、彼女はぷっくりとした唇を舐めながら、はあ、はあ、と上気した吐息を漏らす。
彼女は自分の両手で自分の胸や自分の下半身を、揉みしだき、これみよがしに撫でたりとしているのだ。
男の夢のようなアダルト動画を、女の私が生で見る事になるとは。
「あ、ああ。お客さん?ああの。そんなやせっぽちな人よりもあたしを、ねえ。」
「そうそう。お前さんの姐さんは俺達がちゃんと可愛がってやるからねえ。」
扉の向こうには他にもいた。
カヴェと同じぐらいの背の高さに、カヴェの横幅の二倍はありそうな太った体つきをした男が二人もいる。
「ち、ちくしょう。そ、そう来たか。」
カヴェが立ち上がったが、彼の足は震えている。
だが、彼はいつでも敵を倒せるように剣に手を掛けてもいる。
そして、男達は戸口にいるだけで中に入って来ようとしない。
「マネリ。君だけ逃げろ。」
「カヴェ?」
「俺はオメガの匂いに捕まった。力が入らない。」
「でも、あいつらは動かないわ。頑張って今のうちに。」
「あいつらは分かっている。あの女の臭いに俺が抵抗できなくなった時、俺がケダモノのようにあの女を組み伏せるってね。そうしたら俺は囚われたも一緒だ。あいつらに剣を振るえない。」
「でも、抗える今は剣を振るえるのね。」
「そうだ。って、おい!マネリ!」
私は窓枠から飛び降りると、そのままその勢いでオメガという女性に向かっていた。
見ず知らずの人に暴力を振るうのは初めてだが、私の目には彼女があの男の浮気相手に見えてもいた。
エミまだ二十三だしぃ。三十歳のオバサンがしつこいってカズちゃんはとっても迷惑してましたよぉ。
「迷惑はお前だああ!」
両手で思い切り女を押した。
私よりずっと大きな胸だけでなくプルンプルした腿やお腹で私よりも重量感がありそうだったが、意外に簡単に後ろへと吹っ飛んでくれた。
男達の方へ。
「おい!」
「てめえ!このアマ!」
今のうちのドアを。
ドカッ。
私の脇から男の足が飛び出て、女ではなく倒れかかった女によってバランスを崩した二人の男の内左側の男の腹の辺りを思い切り蹴とばした。
私は急いで扉を閉め、そこを押さえた。
ガガガガ。
カヴェが扉のつっかえにするためにベッドを押してきた。
「さすがね。じゃあ、当初の計画通りに窓から逃げましょうって。」
カヴェはその場に崩れ落ちた。
そして、近づく私に近づくなと自分の手のひらを見せたのだ。
「どうして!」
「畜生!ラットになっちまった。」