ウナギ緊急対策会議
ウナギの一種が絶滅危惧種に指定されているということを今朝の新聞のコラムで知った私は、昨日食べたウナギの蒲焼がいかに貴重であるかを実感した。どうやら稚魚から人工的に生産する完全養殖が安定してうまくいった事例はなく、天然資源の稚魚を捕獲しなければ養殖しつつ安定してウナギを家庭に届けるのは難しいというのが現状のようだ。しかし、その天然の稚魚が、乱獲や密猟によってかなり少なくなっており、絶滅の危機に瀕しているというのだ。そして、日本では一時期ウナギ緊急対策会議も開かれたようだ。
たとえば、手つかずのお宝が目の前にたくさんあるとしよう。当然ながら、持ち帰れば持ち帰った分だけ、そのお宝はその場所から減る。そのお宝は勝手に増えるわけではない。お宝がそこにあるという結果は、誰かが持ち運んだという原因があるから成り立っている。人間は時に、原因と結果という法則を忘れ、目先の欲求に支配されて行動し続けてしまう。これはウナギだけではなく、多くの歴史の事実が証明している。
私はウナギなどの食べ物だけではなく、人の心も枯渇しつつあると思うことがある。言い換えるなら、余裕のある心の持ち主が絶滅危惧種に指定されるのではないかと思う。たとえば、30代で独身のままでいいのか、というちょっとした不安をあおるかのように、リアルでもネットでも何か行動を起こさなければいけないと焦らされている人は少なくないように思える。人生の終焉まで添い遂げる人を余裕のない心でさがしていても、出会った人の性格などを落ち着いて判断できるはずがないのだ。たとえ、ひとつのカップルや夫婦としての関係を続けていても、そこに恋愛感情が皆無という例も珍しくない。
私はウナギ緊急対策会議が行われたように、心の余裕がない人は自分緊急対策会議を行う必要があると思う。いまの生き方、目標などを広い視野で落ち着いた心で見つめてみるのだ。たとえば、ウナギを絶対食べなければならない人はいないはずで、世界で安定して生産されるトウモロコシでもいいはずである。それと同様に、独身だからといって、伴侶が絶対必要という訳ではなく、友達などの軽い関係を増やすだけでもいいはずだ。数学問題の答えのように、人生の選択はひとつではないのだ。