フェリス王国編――実行しよう!
もしかしてと思い当たったアリスは、フィンの身体に有無を言わさず抱きついた。
いつもならここで優しく微笑むか、抱き上げるはずのフィンが、アリスに目を向けたまま何もしない。
フィンにぃは、きっとまだ私がちゃんといるって思えないんだ。
昨日一緒に出掛けて、私が逸れてしまったから……。
責任感の強いフィンにぃは、まだ自分を許せないでいる。
だったら、私がするべきことは一つだ。
決意を固めたアリスは、フィンの眼を見ながらゆっくりと両手を伸ばす。
「フィンにぃ、ぎゅーってして?」
フィンに抱きしめろとアリスがせがめば、フィンはゆっくりと迷うように腕を伸ばした。
抱きしめられたアリスは、首に腕を回すと「ただいま」と、フィンにだけ聞こえる声で告げる。
瞬く間にフィンの清逸な顔が、歪みアリスの小さな肩に押し付けられた。
「うん。おかえり。おかえり、アリス」
苦しいほどに抱きしめられたアリスの耳に、今にも泣きそうなフィンの声が聞こえた。
無事いつも通りのフィンに戻ったのを見届けたアリスは、最後のボスに挑む気持ちでミリアナに視線を向けた。
じっと見つめられたミリアナは、何とも言えないあの笑顔を浮かべる。
「シスターミリアナ。どうか、手伝わせてはもらえないだろうか? 私たちは可愛い孫を——街で彷徨っていたアリスを、理由も聞かず無償で泊めて貰った恩を返したいだけなんだ」
おじいちゃんの言葉はどうしてこうも、人の心に優しく響くんだろう? と、アリスはジェイクの言葉を聞いて思った。
それはミリアナも同じだったようで、見開かれた瞳からホロリと雫が落ちた。
「……どうぞ……どうか、子供たちを、孤児院をよろしくお願いします」
俯いたミリアナの表情は見えない。
それでもアリスは、ミリアナがこの孤児院のために共に歩む道を選んだのだと思えた。
******
そうして、アリスの計画は、翌日の朝から実行されることになる。
二鐘が鳴ると同時に、ミリアナは子供たちを起こす。
いつもよりかなり早い時間に起こされた子供たちは、ぶちぶちと文句を言いながら庭へ集まった。
そんな彼らの前で、ジェイクが徐に剣を抜きフィンに斬りかかる。
無防備な様子で立っていたフィンの眼が瞬く間に鋭くなり、腰に挿していた剣を抜く。
間髪おかず、上から振り降ろされたジェイクの長剣をフィンは難なく受け止めた。
キンッ! と、音を鳴らして長剣が、交差する。
獰猛な笑みを浮かべたジェイクが「甘いわ!」と言いながら、フィンの足を払った。
バランスを崩したフィンは膝をつきそうになる寸前で、左手を地に着き軽やかにバク転を決める。
着地すると同時に、ジェイクの長剣を払ったフィンが、ジェイクの懐に入らんと迫る。
だが、ジェイクはそう甘くない。
払われた力を利用し、左手に持った短剣を横凪に振り抜きけん制する。
それに気づいたフィンは、サッと飛び退る。
一定の距離を取り見合う二人は、ふっと表情を緩めると剣を納めた。
「おぉ! すげぇ!!」
「うわー! 凄い」
「おじいちゃんも、フィンにぃもカッコイイ!!」
「カッコイイ!」
愚痴っていた子供たちが、口々に褒め、手を叩く。
剣を納めたジェイクは、一歩前に出るといつもの優しいおじいちゃんの顔を隠し、冒険者として言葉を紡ぐ。
「さて、今見て貰った通り、私たちは冒険者だ。孫——アリスの願いで、お前たちを鍛えることになった!」
「アリスの?」
「そうだ。私とフィンは剣を、クレイは短剣と弓を、ゼスは魔法を教える! お前たちが死なないための方法を三日間でたたき込む。だが、嫌な者は参加しなくていい。私たちは望む者のみに我らが知る最強の冒険者の戦い方を教えよう!」
ジェイクの宣言を聞いた冒険者組の子供たちは、瞳を輝かせている。
ある意味でジェイクの掌の上で転がされた子供たちは、朝食をマックスの速さで済ませた。
そうして、早速ダンジョンに連れていかれることになる。
付き添いは、ジェイク、クレイ、ゼスの三人だ。
同時刻、元々ダンジョンを得意としない子供たちを、フィンとフェルティナが連れて凶暴な羊狩りへ。
晴れやかな笑顔を浮かべたアリスは、手を振るフィンとフェルティナを見送った。
一人になったアリスは、ミリアナを探して孤児院内を歩く。
迷子になって早々放置状態のアリスだが、実は護衛にユーランとフーマがついてくれている。
珍しく、キリリとした顔をしているユーランを右肩に。
眠そうなトロンとした眼をしたフーマを左肩に乗せ、アリスは裏の菜園に来た。
菜園には、育ちやすいハーブ類、トマト、キャベツが所狭しと植えられている。
昨日の帰りアンジェシカとフェルティナがビルの家と同じく菜園に手を加えており、三畳ほどしかない菜園の見た目は、かなり広くなっていた。
「いた! ミリアナさん、おはようございます」
「あら、アリスちゃん。おはよう」
挨拶を交わしたアリスは、ミリアナに希望者がいたかを聞く。
「それで、料理したいっていう子いましたか?」
「えぇ、一三歳の子が一人と他に二人居たわ。小さい子たちも売るのは手伝いたいって」
「それは、重畳ですね!」
にっこりと笑ったアリスは、早速ミリアナに希望者を呼んでくるよう頼んだ。
ミリアナは昨日までとは違い、かなりスッキリとした表情をしている。
これならきっと大丈夫だろう思ったアリスは、早速菜園からトマト、キャベツ、バールを摘み取ると台所へ向かった。
「アリスちゃん。よろしくね」
「お姉ちゃんよろしくお願いします」
「よろ、しく」
三つ編みおさげのアニーはアリスより一つ上の一三歳。
こげ茶の髪を尻尾のように結んだエリは一〇歳。
そして、唯一の男の子であるティクスは、エリの一つ上で十一歳だ。
「三人とも、よろしくね! これから作るのは、ナンロールと言う食べ物です。まずは、ナンの元になる生地を作るから、小麦粉、オリーブオイル、塩、お水を持ってきて! 後、持ってきたらきちんと手を洗う事!」
「「「はーい」」」
アニーが先導する形で、三人は食材を取りに行く。
それを見送り、アリスは側に立ち見守っていたミリアナを呼んだ。
「ミリアナさんにもやってもらいたい作業があるの。これはミリアナさんしかできないから、頑張ってね?」
「私にも?」
「うん!」
にっこり笑ったアリスは、ミリアナを連れて井戸へ行く。
そして、木製のバケツに凶暴な羊の凍らせた生腸を取り出した。
「ひっ!!」
「まぁ、見た目グロテスクですよね。でもね、これの処理がちゃんとできないと今回の屋台の計画が半分パーになるの。だから、しっかりと覚えてね!」
「……え、えぇ」
「まず、溶かして、しっかり水洗い! この時に腸の扱いが雑だと絡まって大変なことになるから注意してね?」
半泣き状態のミリアナに言い聞かせるように告げたアリスは、小さな手で生腸を一本ずつ丁寧に洗っていく。
ソーセージに取りつかれた家族のおかげでアリスは、腸に浄化をかければ不要物、菌が消えることを知った。
浄化は誰でも使える生活魔法だ。当然ミリアナも使えるはず。
だが、敢えてアリスはしっかりと、工程を覚えてもらうため洗うところから始めて貰う。
それをする理由は、工程を知っていれば誰かに聞かれた時、実はこんなに手間がかかってるんですよ~と言い逃れできるようにするためだ。
ミリアナにも後で伝えるつもりでいるが、レシピを盗んでまでソーセージを作ろうと思う人は少なくなるのではないかと言うアリスなりの考えだった。
アリスの手元を見つめていたミリアナは、恐る恐るバケツに手を入れる。
顔を逸らし見ないようにしながら、一本の腸を掴むとゆっくりと水洗いを始めた。
「じゃぁ、ここは任せるね?」
「が、頑張るわ!」
なんとかやってくれそうだと思ったアリスは、気合を入れ直して台所へ戻った。




