フェリス王国編――精霊
アリスは、バケットサンドを半分食べたところでギブアップした。
原因は、あのシュークリームだ。
残したバケットを鞄にしまったアリスは、ラーシュに渡すケーキの箱と紙に包まれたシュークリームを取り出した。
「パパ、この箱に時間停止と冷蔵魔法かけて。こっちの紙には冷蔵魔法だけ」
「んっ、あぁ、わかった」
バケットサンドを夢中で食べていたゼスに悪いことをしたと思いながら、アリスは箱とシュークリームが入った紙を押し付けた。
箱を手に持ったゼスが「時間停止、保冷」と詠唱れば、箱に紫色の魔法陣と青い魔法陣が浮かび消えていった。
「パパ、凄い! 魔法陣綺麗!!」
「なっ!? アリス、魔法陣が見えるのか?」
「え、うん……見えるけど……?」
「そうか……見えるのか……」
父の反応を見たアリスは、魔法陣が見えるのはおかしい事だったらしいと気づいた。
気づいたもののどうにもできないと諦めたアリスは、よし、無かったことにしようと決め「こっちにも」と父にせがむ。
難しい表情で何事か考えていたゼスは、押し付けられたシュークリームを一気に冷蔵するとまた深く考え込んだ。
冷やし貰ったシュークリームを一つずつ大切に魔法の鞄に詰めたアリスは、二個だけ手に持ちガロの元へ移動した。
「ガロさん」
「ん? どうした嬢ちゃん」
「昨日は馬車を守ってくれてありがとう! これお礼だよ。出来るだけ早く食べてね」
ちゃんとお礼を言えたと安心したアリスはにっこりと笑う。
差し出したシュークリームを受け取ろうとしない彼に焦れたアリスは、胡坐を組んで座るガロの足の上にシュークリームを二個置いた。
「セイさん」
「え、俺にも?」
「うん。昨日は馬車を守ってありがとう。これお礼ね。中身はガロさんと同じのだから早く食べてね」
「あぁ、ありがとう」
フィンガーレスグローブを付けたセイの手が、アリスの頭を撫でようとして止まる。
それに気づいたアリスは、わざとらしくその手に頭をこすりつけ笑った。
アリスの行動に「ははっ」と笑ったセイは、小さな彼女と目が合うと口の端を上げて優しい眼をした。
「ミランダさん」
「ありがとう。アリスちゃん」
「いえ、昨日のお礼です。ありがとうございました! 女性には多いかもしれませんが食べて下さいね」
「えぇ、必ず一人でいただくわ」
力強く言葉にしたミランダは、アリスの方を見ると茶目っ気たっぷりに片目をつぶった。
視線が合いアリスとミランダは同時に笑う。
「えっと、ルックさん」
「待ってたよ~」
「えっ、あ、はい。昨日は馬車を守ってくれてありがとうございました」
「いえいえ。あれ? 僕にはないの?」
待ってたよと言われたお返しのつもりで、シュークリームを渡さずにいたらルックは本気で悲しそうな顔をした。
それを申し訳なく思いながらアリスは彼の足に二個のシュークリームを置く。
「ちゃんとありますよ」
「もう、本気で悲しかったんだからね~」
「あははっ」
「このっ、この」
笑ったアリスの頭をくしゃくしゃと撫でたルックは改めて「ありがとう」と言ってくれた。
そして、ケーキをラーシュさんに渡す。
「ラーシュさん。これお約束のケーキです! 見本は後で皆で食べましょうね」
「おぉ! ありがとうございます。アリスお嬢様」
「いえ、ご結婚される娘さんが幸せになるように作ったので、ケンカしないで食べて下さいね」
「えぇ、娘にもしっかりと伝えさせていただきます」
「はい!」
喜んでくれたらいいなと思いながら、アリスはにっこり微笑んだ。
「アリスお嬢様、少しよろしいですか?」
「なんでしょう?」
「もし、よろしければ代金をお支払いしたいのですが……」
「え?」
お金をもらうつもりのなかったアリスは、ラーシュの言葉に固まった。
お願いされたからキッチンさんが作っただけで、私は何もしてない。それなのにお金をもらうなんて申し訳ない。
そう思ったアリスは全力で首を左右に振った。
「ですが、本来であれば手に入らなかったものですし……もし、お金が嫌なのであれば、そうだ。私の持つもの中で欲しい物を差し上げますよ!」
気前良すぎるラーシュの申し出をアリス断る。
だが、ラーシュも引けないのかお互いに譲らない状態で「いやいや」「いえいえ」と言い合いになった。
そこへ、アンジェシカが言葉を挟む。
「アリス受け取ってあげなさい。ラーシュさんに父親として顔を立てさせてあげなさい」
「そうですよ! お願いします」
「わか、りました。一個だけ貰う事にしますね」
「えぇ、一個と言わず欲しい物があれば何個でも!」
また、同じ状況になりかけた二人は、お互いに顔を見合わせ笑い合う。そうして、ラーシュは大切そうに抱えた鞄から、色々な物を出して見せてくれた。
アリスが選んだのは、宝石ではなく屑石と呼ばれる何の価値もない石だった。
そんなものでいいのかと何度も聞くラーシュに、アリスは上機嫌で頷く。
「そんなに喜んでいただけるのでしたら、袋ごとどうぞ」
「え、いいんですか? 本当に貰っちゃいますよ?」
「えぇ、勿論です」
「ありがうございます。めちゃくちゃうれしいです! これ、どうぞ!」
欲しかった屑石が手に入ったアリスは、本気で喜んだ。
そのお礼と言う訳ではなく、元々渡す予定だったシュークリームをラーシュにも渡す。
良いのかと何度も聞くラーシュにアリスは力強く頷いた。
家族にもシュークリームを配り終えたアリスは、皆から少し離れた場所でゴロンと寝っ転がる。
ん-と、背伸びをしたアリスは皆の楽しそうな話し声を聞きながら、雲一つない澄み渡った空を見上げた。
ふわりと風が吹き、揺れた草がアリスの頬を撫でる。
『可愛い~。ボク好き~』
ふいに聞こえた可愛らしい声に、アリスは顔を向ける。
そこには、額にスカイブルーの宝石を付けた毛皮の生き物がいた。
「あなたは、誰?」
『……き、きみ、ぼ、ボクが見えるの? 聞こえてるの?』
アリスが話しかけてしまったせいで、白いもふもふは全身がもの凄いことになっている。
悪いことをしたなと思いながら、つい触れたくなって柔らかそうな首筋に手を伸ばす。
嫌がるそぶりを見せないのをいいことに、ゆっくりと人差し指の腹で撫でた。
触れた毛は、柔らかく、滑らかで、清流のように冷たかった。
『はぅ~気持ちいい~。もっと~』
「え、いいの? 嫌じゃない?」
白いもふもふは徐々に近づき、ついにはアリスのお腹の上に乗って寛ぎ始めた。
フェレットっぽいけど違う。まぁ、野生動物っぽいけど、こんなに人懐っこくて大丈夫なの?
撫でれば撫でるほどアリスの中で、この白いもふもふに対する不安が大きくなっていく。
「君、何ていう動物?」
『ボクは、動物じゃなくて、水の精霊なんだ』
「へ~! って、精霊!?」
驚いたアリスは叫び、ガバっと身体を起こした。
突然アリスが起き上がったせいで、白いもふもふはコロコロと丸まり太ももの方へ落ちてしまう。
アリスは、慌てて手を伸ばして白いもふもふを受け止めた。
なんとか間に合った。そう思ったアリスは、ほっと息を吐き出した。
そして、誘惑に負けたアリスは、自分の顔の側まで精霊を持ち上げ、じっと見つめる。
一見小動物に見える精霊は、フェレットのように胴長で、短足。
二足歩行も出来そうだが、四本で歩いていた。そして、胴と変わらない長い尻尾がある。
耳はカシミア・ロップのように垂れていて、眼は丸く藍色、鼻先はピンクだ。
カボションカットのような丸く滑らかなスカイブルーの宝石は、光の加減で色味がまるで変わる。
全身の毛は白で、毛先が少しキラキラしてる。
「これが精霊さんなんだね。初めて会ったよ!」
『えへへ。ボクもボクが見える人に初めて会ったよ~』
「あ、私はアリス。良かったら仲良くしてね! 精霊さん」
名前がないのは不便だけど、勝手に名前をつけて別れが寂しくなるのは嫌だと思ったアリスは精霊さんと呼んだ。
精霊は何やら考え込むと、良い事を思いついたと言わんばかりに藍色の目をきらめかせた。




