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日本の詳細ー歴史

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それでもいい方はお願いします

1936年ー中国軍による日本人殺傷を確認しこれに日本政府は大きく非難し(中国軍日本人殺傷事件)

       宣戦布告を行った(英、米の支援が少しあった)      (盧溝橋事件ともいわれる)


1937年ー日本軍南京まで進軍、一年もすれば中国沿岸部は完全に占領できる見込み

                                 を大本営は発表


1938年ー中国軍は奥地まで追いやられ重慶に立てこもるしかなくなる

       この年から降伏勧告が送られることが多くなる(ほとんどが無視される)


1939年ー中国降伏勧告受け入れ講和会議が行われるが、英米も講和会議の参加を要求(支援を理由に)

         英米の圧倒的軍事力を前に渋々参加を許可これにより不信感を募らせる

         (東京講和会議)(東京条約)中国沿岸部を日本が100年間租借地とし

             1936年の殺傷された日本人の遺族への謝罪を要求し終わる


1940年ー英米仏三国同盟成立、対日経済封鎖法案が英米にて可決され一時的に石油が無くなる(石油騒動)

     だが日本の尖閣諸島の海底に石油があることがわかり石油問題は落ち着いた(石油革命)

     英米は日本の錯乱を目的としたのか天皇陛下の暗殺をしようとしたところで近衛兵に捕まる

     (英米大逆事件)国民の反英米意識が高まる、国際連盟脱退


1941年ー年明けとともに日本連合艦隊は真珠湾に向かう<ニイタカヤマノボレ>

    日本航空部隊は 空母4隻 戦艦5隻 その他船舶36隻撃沈<トラトラトラ>(真珠湾爆撃)

    爆撃後ハワイに貯蔵されている石油やハワイという戦略的価値を考え上陸作戦も開始された

    (真珠湾上陸作戦)日本軍2万人による大規模な作戦であった。

    それと同時期にパナマ運河を破壊するため潜水空母艦隊を派遣(パナマ空襲)

    無事パナマ運河を破壊し大西洋から太平洋への移動は困難を極めた


1942年ー日本軍は東南アジア方面への進軍を開始するインパール作戦も無事成功

    (中国との戦争は終わっているため兵站を保てた)

    日本は貴重なゴム資源を三国同盟側から奪い取ることに成功(東南アジア解放作戦)


1943年ー日本軍は米の圧倒的物量に押されたが日本は質で押し返すことに

    堀越二郎技師の設計した新型戦闘機神風性能は当時の三国同盟の上を行くものであり

    最大速度は高度5000m地点で800kmを超える性能を持ち1万mでの行動も楽であった

    増槽を付ければ8000km以上の航続距離を持つ....

    米パイロットはそろって言う「あれとは戦うな対峙したら落ちると思え逃げられないぞ」

   


1944年ー流石に質のいい戦闘機だけでは物量には勝てずトラック諸島などを放棄

    ハワイからの西海岸爆撃が開始されたのもこの年から(西海岸軍事基地焦土作戦)

    満州にて世界初の核実験を行う(新型爆弾投下実験)

    


1945年ー米による帝都大空襲が起きるが新型戦闘機のおかげで被害は抑えられたが

    少ないとも言えない民間人4万人が死亡、2万人の負傷者そして2万6000戸の被害が出る

    民間人の被害者が出たこの無差別的な爆撃に天皇陛下は怒りをあらわにしたという


1946年ー連合艦隊の護衛のもとサンフランシスコ上陸作戦を開始する

    規模としては150万人の上陸が行われた(兵站の確保に手間取ったという)

    米本土上陸作戦と同時にスエズ運河上陸作戦を開始するこれに

    日本陸軍は50万人の派遣をした(日本英米反抗作戦)


1947年ー日本軍はロッキー山脈にて進軍が止まってしまう

    スエズ運河方面師団は完全に占領を完了し50万人の中から10万人をジブラルタル海峡へ向かわせる

    (ジブラルタル上陸作戦)占領には成功するが被害は大きいものとなった....

    ジブラルタル占領の日からフランス海岸の軍事基地への爆撃が行われることに...

    (仏海岸軍事基地爆撃作戦)


1948年ースエズ運河、ジブラルタル師団とは別の100万人のフランスマルセイユへの上陸を開始

    (マルセイユ大規模上陸作戦)

    ロッキー山脈で足止めされていた師団の進軍が小規模ながら開始徐々に東海岸へ向かう

    英は危機感を感じ三国同盟から脱退、日本との和平の道を探り始める


1949年ー仏無条件降伏、仏政府関係者は「国よりも国民の生命が一番重要としている」とのこと

    米は英への批判をした米関係者「奴らは同盟国より自国の安全を一番としてやがる!」

    英政府関係者は「当たり前だろうコーヒーと紅茶なら我々は紅茶を選ぶな」

    同年英政府は無条件降伏をした....


1950年ー米国民も和平へと傾きついに日本軍がワシントン近郊まで進軍した時に

    無条件降伏をすることに決定した


1951年ー講和会議が日本の広島で行われた(広島講和会議)(広島平和条約)

    東南アジア一帯の解放、ハワイの割譲、三大運河のパナマ運河スエズ運河の割譲

    中国への香港返還その他太平洋にある諸島の割譲

    そして三国からは100兆円を賠償金として要求し講和は成功した

    同年に独、伊によるポーランド、ソヴィエト進行が開始

    日本にも参戦要請が出たが戦後の処理や独などとかかわりたくはないため無視


1952年ー日本はベビーブームを迎えた

    世界初の水爆実験開始周辺地域の放射能汚染が確認されたため

    放射能の対応が必要だと政府は確認した

堀越技師によるジェット機の作成を要請

    日本人の海外旅行が多くなる(航空会社の大規模化)


1953年ー独は対ソ戦が思ったよりも劣勢のため日本を通じて講和を結びたいとなった

    ソヴィエトは条件付きで了承講和会議は独ベルリンで行われる

    独は賠償金を多く背負い国内には共産主義者が少し増える


1954年ー日本軍新型54式戦車開発完了

    同時に自動小銃試製2型開発中


1955年ー自動小銃55式正式決定

    新型砲弾の劣化ウラン弾の開発を開始

    三国同盟戦争時の軍艦の近代化改修や新型兵装搭載


1958年ー原子力発電所を建設国内の高まる電化製品の需要に間に合わせたものになる

    災害対策基本法可決、関東大震災のような被害を出さないための法案である


1960年ー55式の近代化改装版60式戦車に更新を開始

    ジェット戦闘機烈電完成正式決定まではまだ遠い


1964年ージェット戦闘機烈電正式決定


1970年ー突如大日本帝国との連絡が出来なくなることがわかる......

    

    

    











































    



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