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氷の王は、美しく啼く皇女という名の小鳥を飼う

作者: しののめ

「この結婚が政略結婚であることは承知のうえだと思うが、改めて言っておきたい」


 その人は、何の感情も映さぬ冷たい瞳で私を見つめ、静かな口調でこう告げた。


「俺たちは、これまでも、そしてこれから先も、愛し合うことはないだろう」


 初夜に交わした儀式めいた口づけは、決して体に火を点すことはなく、ただただ心を凍らせる。私は震える手でその人の腕にそっと触れ、そしてこう答えた。


「私たちが形だけの夫婦であることは十分に存じ上げております。これから先も、心に留め置きましょう」


と。




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 翔の国の王である夫、龍綺が、気に入った女性を城に連れてきて寵愛をかけている。そういった噂を聞くのは、玲華にとってさして珍しいことでもなかった。

 であるから、今回の件も何ら物珍しいことなどではなく、艶やかで美しいその人と廊下ですれ違った瞬間、


(ああ、この人か)


と納得し、そっと目を伏せ道を譲った。

 その様子を見ていた友人かつ世話役である千早は、


「正妃である玲華様が道を譲る必要なんてありません!」


と口を尖らせていたが、玲華の考えは彼女とは違う。

 片や今をときめく寵姫である彼女と、片や形だけの正妃である自分。権勢が相手に傾いていることは、紛れもない事実であろう。否、元々玲華に権勢などない。だからこそ、一歩引くことが己にとって分相応な行動だったと確信していた。


(けれど……)


 玲華はそっと目を伏せる。

 こういうのは嫌だ、と思う。

 玲華の手には小さな小箱。その中には、いたいけな子猫が、血を流して絶命していた。


「お近づきの証に」


と、龍綺の寵姫が今朝、婉然と微笑んで、美しく包装された小箱を玲華に差し出したその小箱の中に、それはあったのである。

 首筋に一文字の傷。刃物の跡が残る、明らかに人為的な傷だった。


「可哀想なことを……」


 そう呟き、玲華は子猫を小箱から丁寧な手つきで取り上げた。冷たくなった小さな体。しかしずっしりとした重みを感じるのは、それが命の重さだからだろうか。

 このような命を軽んじる真似までして、その寵姫は一体何を望むのだろうか。


(正妃の座を降りろ、ということでしょうけれど)


 むろん玲華とて、それができるのであれば、とうの昔にそうしているが、互いの立場を鑑みれば、それは容易ではない。

 ただ、このまま子ができなければ、いずれ離縁の話は出ると思われる。そのため、まかり間違って子を授かってしまうことがないように、このような提案をしたこともある。


『私たちの間に子ができなければ、いずれは寵姫を正妃にという声が出てくることでしょう。ですから、私たちは少し距離を置いてはいかがでしょう』


 打ち捨てられた第八皇女との子供になど、政治的にはさほど価値はないだろうし、龍綺自身からも、そう告げられたことがある。ならば夜の渡りも必要ないだろうと思うのだが、彼はそれを夫婦としての義務だと考えているのだろう、忘れたころに不意にやってきては、淡々と玲華の体をひらくのである。


 だから玲華の言う「距離を置く」というのは「閨事を控える」という意味であり、龍綺にとっても悪くない提案だったように思う。しかし龍綺は手続きが億劫だと言って、決して首肯しないのである。


「陰険です……わたし、抗議してきます」


と、一部始終を見ていた千早が息巻いて部屋を飛び出そうとした。それを玲華は静かに制止する。


「待って、千早」


 その声に反応し、千早はぴたりと足を止めると玲華を振り返った。言葉を待つ世話役に向けて、玲華は落ち着いて説いた。


「今は、いいの。こういうことが何度もあるようなら、私から言うから」


 千早や自分が何か抗議したとしても、恐らく何ら状況が変わることなどないだろう。それどころか、勢い盛んな者に食ってかかれば、ただでさえ権勢のない正妃の世話役ということで肩身の狭い思いをしている千早の立場が更に悪くなるだけだ。

 それよりも、と玲華は話題を変換した。


「埋葬してあげようと思うの」


 死んだ子猫を腕に抱いて、玲華はそう言った。すると千早は、


「では、わたしが……」


と前へ出る。しかし玲華は首を横に振った。


「いえ、私がするわ」


と。すると千早は「そう、ですね、それもいいかもしれません」と頷いた。それは、つい先日まで病で伏せっており日の光を浴びていない玲華が、外へ出る良い機会であると捉えたからであろう。







 玲華の私室から少し離れた場所に、小さな庭があった。玲華がこの城に来た当初は、うち捨てられていた場所であったが、彼女がもう一度この小さな庭に息を吹き込んだ。

 大輪の花も、高価な花も、何もない。その辺りに咲く名もなき可憐な花が、玲華に再雇用された老いた庭師によって品良く手入れされていた。


 柔らかな日差しの降り注ぐ、そのささやかで穏やかな庭の雰囲気を、玲華はこよなく愛していた。

 そこが正妃玲華の休息場であるとは、暗黙の了解であった。だからその庭は必然的に、限られた人間しか踏み込むことができない区域になっており、その静けさもまた玲華の需要と合致するものであった。


(この辺でいいかしら)


 玲華は適当な場所を見いだすと、千早に用意してもらった道具を用いて、黙々と穴を掘る。


 静かな、静かな小さな庭。


 だから、そこにいれば、侵入者の足音もいち早く気付く。

 手荒く開かれる扉と、自信に満ちた足音。

 この庭に入ることが許された人間で、そういった雰囲気を醸し出す人間は、ただの一人しか存在しなかった。


 しかし玲華は敢えて頭を上げなかった。ここが玲華の唯一心を休める場所であると知りながら、ずかずかと入り込んで来るその男の無神経さに抗議の意味も込めて。

 普通であれば許されぬその態度も、正妃である玲華には許されていた。否、正妃であるから許されているのではないのかもしれない。ただもう、いつものことであるから、相手も気にしないだけであろう。

 だから、


「……何をしている」


と問われても、返答する必要性を感じなかった。

 傍らには子猫の死骸。そして小さな穴。その状況だけで、玲華が何をしているかなどわざわざ尋ねずとも一目瞭然である。


「……」


 一言も答えぬ玲華に対し、更に侵入者……龍綺は揶揄の言葉を飛ばした。


「正妃が土いじりなど、外聞が悪いとは考えないのか」


 そう言う夫の言葉には、多少の苛つきも見え隠れしていた。そういえば、雑務は正妃がすべきことではなく、使用人にさせるべきだと以前注意を受けたことがあったような気もする。


 しかし、玲華は皇女といえども、皇が外で作った子供であり、幼い頃は打ち捨てられていた末端の第八皇女である。腹違いの兄である第二王子に見いだされるまで、市井で貧しい暮らしをしていた玲華は、かしずかれることが苦手だ。ゆえに自分のことは自分で片づける方が、気分的に落ち着くのである。


「私のせいですから」


 そう一言だけ短く答えると、再び玲華は作業を開始した。

 背中に視線が突き刺さるような感覚。

 何も用事がないのであれば、早くこの場を立ち去ってほしい。空気がぴりぴりとした緊張感を醸し出しており、大層居心地も悪い。

 だが、そのような玲華の心境を知ってか知らずか、相手は微動だにせず、去る様子も見せない。


 仕方がないので、部外者はいないものだと己に言い聞かせつつ黙々と作業を続ける。やがて子猫の姿が土中に隠れ、塚になるよう土を盛った後、玲華は手を合わせ、失われた小さな命の冥福を祈った。

 そうして埋葬を終えると、玲華は改めて、その場から離れぬ龍綺に声を掛けた。


「……何か用事でも」


 そう固い声で言いながら立ち上がろうとする玲華の腕を、龍綺が乱暴に掴んだ。その状態で立ち上がると自然、二人は正面に向かい合う格好になる。

 視線が絡むと、龍綺は皮肉を含んだ声で、


「夫が妻を訪ねるのに、用事が必要なのか」


と、玲華の態度を責めた。

 普段、用事がなければ玲華の元を訪れぬ龍綺に責められる覚えはないのだが、しかし今の夫に何を言っても無駄であることも玲華は賢しく悟っていた。


「いえ、そのようなことは……」


と玲華が諍いを嫌っておとなしく一歩引いたにもかかわらず、龍綺は腕を伸ばし玲華の頬に手のひらで触れながら、


「夫の相手を務めることも妻の役目だろう」


とこの上なく不機嫌そうな面持ちで、更に玲華を責めた。

 一体なぜ夫は機嫌が悪いのだろうか。寵姫の贈り物であるこの子猫を埋葬したのが、気に食わなかったのか。

 どちらにせよ、機嫌の悪い龍綺を相手にできるほど、玲華の体調は万全ではなかった。前回のように閨事の後に体調を崩して寝込めば、恐らく龍綺の機嫌は地の底まで落ちることだろう。


「……ですが、死の穢れを受けていますので、陛下のお相手には相応しくない身かと……」


 玲華は目を伏せ、やんわりと龍綺の言葉を拒絶した。この国においては、死は穢れであり、死に遭遇した者は、しばし潔斎をする習わしがある。その風習に則った拒否なので、玲華の断り方が拙かったわけではない。

 だが、龍綺は苛立ったように、俯いた玲華の顔を上げさせると、


「誰がお前の意見を聞いた。俺は来い、と言ったのだ」


と玲華の言葉を一蹴した。

 いつになく横暴な夫の態度に困惑する玲華に、龍綺は重ねて吐き捨てるように告げた。


「体を清める時間は与える……あまりぐずぐずするな」


 そして彼は玲華から手を離すと、そのまま振り返ることなく庭を出て行った。

 龍綺の背中を半ば呆然と見送った後、玲華は服の土埃をはたいて払った。気は進まないが夫である彼の命は絶対であった。

 玲華はのろのろと重い足取りで湯殿へ向かう。

 あまり待たせるな、という龍綺の言葉を聞いていないわけではなかったが、それでも素早く準備をする気にもなれず、玲華は一つ、溜め息をついた。

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