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亡き王女に捧ぐ事件譚  作者: 榊 香
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この螺旋には果てがない。


古の時代からこの一瞬まで、無数の本がひしめき合うヴィオソフィア大図書館はたとえるなら時の回廊だ。日々蔵書の増え続けるここにはすべての時代のすべての意識がつまっているといっても過言ではない。


一冊一冊の執念が手を絡めてくるかのような錯覚を覚えながら、アランは大図書館の大螺旋階段を一歩一歩規則的な歩幅で登って行った。右手には使い古した革製のノートと筆箱、左手にはなぜか大ぶりの枕をひっさげて、それはもう悠々と。


巨大な太い円柱とでも形容すべき大図書館の内壁をぐるりと囲むような大螺旋階段をいくらか登ったころ、真っ黒な吹き抜けのホールの底からカシャンと微かな鉄の音が響いた。ぴくりと眉を動かして、数歩アランは壁際による。そのまま足を止めずに一秒、二秒と数えた時。


「うわああああぁぁぁぁぁああぁぁぁぁああああ!!!」


彼の真横を狂気的な速さの鉄籠がすりぬけていった。

びゅん、と風を切ってはるか天上にすいこまれていく鉄籠から哀願するような悲鳴が尾を引いて消える。

顔をゆがめてアランはひとりごちた。


「あれはもう乗り物の範疇を軽く飛び超えてるだろ……」


―――正式名称、滑車式自由落下型エレベーター。

俗称、恐怖のつるべ落とし。


文字通り上階と下階を、人数による重量調節で自由落下するという無謀にもほどがある超原始的エレベーターは、今世紀持ちうるすべての英知をかき集め、安全のみを保証されて50年ほど前にやむなく設置された。ひたすら階段を上るという非効率的な移動方法を憂慮してのことだった。

たしかにこのエレベーターは階層移動にはこの上なく便利だが、アランはどうしてもこの狂気じみた乗り物に進んで乗ろうという気が起きない。


ゆえに、今もこうしてだるくなった腿を引きずりながらえっちらおっちら原始的に階段を上り続けるのだ。


「お」


ふと目に留まった分厚い書物の題名を見て、目的の階層まであと少しだとわかった。大図書館では本の年代を約百年ごとに区切って階層を設定している。目的地、すなわち談話室の階まではあと二百年分登れば辿りつけるらしい。

そこでそうやくアランは足を止めて深く息をついた。


(まさかあの女もこの階段を突破してまで追いかけてくる気には……)


 ネドレシア王国最大の学園都市と言われるシャドーラ=ヒルの名門校、ヴィオソフィア学園の生徒であるアランであるが、休日の昼間から図書館に勉強しに来るほど勤勉であるかといえば、そうでもない。それは左手に持つ枕が如実に証明している。あたりを見てもこの時間帯に図書館にいるのは学者か試験前の上級生くらいなもので、気晴らしに来るにはいささか階段が邪魔な場所になぜアランがいるか。

理由はいたって単純明快、ある女から逃げているから。


 談話室の片隅にある椅子に座り、勉強するふりをして枕に頭をつけたアランは、注意深くあたりを見渡し問題の少女の姿がないか確認する。

その名もアイシャ=ツィエ=クレイ侯爵令嬢。

ぱっと見たおやかな美少女だが内実とんでもなく押しの強いじゃじゃ馬娘、猪女。

アランはさるきっかけから彼女に付きまとわれているのだ。


(休日まで押しかけられたんじゃあやってられん)


 国家試験を受ける学年はまだまだ先だ。

しかしアランとて暇ではないし、何より休日は休みたい。


(あの女の道楽につきやってやる暇はないね…)


ふわ、とあくびをしてアランは机に突っ伏した。

はた目から、根をつめすぎた学生が耐え切れずに寝落ちしてしまったかのように見えるよう。ここで一寝入りした後は場所を移して多少勉強をしよう。

うん、まさか彼女に見つかって探偵ごっこにつきあわされることは、断じて―――


ホールにエレベーターの悲鳴が響き渡る。

午後の清らかな日差しが差し込む談話室にぱちぱちと暖炉の薪が爆ぜる。

悲鳴が近づく。

鉄籠が滑車に勢いよくぶち当たる。

エレベーターホールの扉が軽やかに開く。

揺れの収まった鉄籠の中で青い顔をした学者たちがよぼよぼとへたりこむ。

一人だけ平気な顔をした金髪の少女が立っていた。

深いワインレッドの双眸をぱちりと開いた少女は探し物をするようにゆっくりと辺りを見回す。

ある一点で視線を止める。

そして、ひどく禍々しい笑みを浮かべたのだった。


「甘いですねえ先輩。先輩がどこに逃げるかなんてお見通しなんですよ」


その瞬間、まどろみの中に捕らわれかけていたアランの意識は一気に覚醒した。

「なっ!?」

アランとエレベーターホールの少女の距離はそれなりに開いていた。

声が届く距離ではなかった。

しかし、危機察知能力というべきか、アランの鼓膜はしっかりと少女の勝ち誇ったような声をとらえていたのだった。



「アランせんぱーい?アラン=スィーアせんぱーい?13時に学園でって言いましたよねぇ?」

「ア…アイシャ=クレイ……何故ここが」

「どうしてでしょうねー、どうでもいいじゃないですか。それより約束破ったことが問題です」


さて、と歩み寄ってくるなり少女はアランの枕を腕の下から引き抜いた。体勢が崩れて腕が固い机に叩き付けられる。普通の貴族の娘なら、特に侯爵家の娘なら、こんなことはしない。絶対にしない。淑女たるものお上品で慎み深く貞淑であるべきだ。いや、アイシャはお上品ではあるかもしれないが慎み深く貞淑で、の部分が決定的に欠落している。


「ねえアラン先輩、冗談抜きで貴方だけが頼りなんですよ」


深いため息の下で低いつぶやきが生まれる。

ワインレッドの瞳がさらに濃さを増し、鬱々とした色をたたえてアランを見据えた。心臓が委縮するような影のある目だった。


 アランはそっと懐に手を当てて”それ”を探る。

手のひらに収まる大きさの長方形の物体。服越しで見えないが、それは深緑色をしているのだ。使い古され、ぼろぼろになっているものの、製造日時は驚くほど新しい。―――通称、『蔦の手帳』。


「何度も思うが、他人のためにえらく必死になれる」

「当然ですよ命がかかってるんですから。私は絶対に彼を見つけ出します。無理やりにでも協力してもらいますからね」


 ぐっと力を込めて自分を睨み据える赤色を見上げながら、ふと意識は過去に飛ぶ。


(あの時、あんな手紙受け取るんじゃなかった―――)


 そうしたら、こんな厄介な事件に巻き込まれることもなかっただろうに。

後悔先に立たずとは、よく言ったものだ

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