6話「真名」
「......は?」
ヴィアはあまりに突飛過ぎる台詞に眼を丸くした。その所為で気が削がれ、怒る気も失せてしまった。
名前がない、とは可笑しな事を言うものだとヴィアは思った。名前とは本来、子供が生まれた時に誰もが貰う物で、それがないと言うことは即ち孤児を意味するのだが.....。
どう考えてもそれはあり得なかった。少なくともお祖母さんはいたのだから、両親に付けられなかったのだとしても、名前がないと言う事態にはなるはずがないのだ。
ヴィアの気持ちを悟ってか、ノエルが首を傾げる。
「もしかして、ヴィアはこの大陸の人じゃないの?」
ふと気付き尋ねると、ヴィアはコクリと小さく頷いた。ヴィアが生まれたのは、この大陸と海を隔てて浮んでいるハッカン島だ。そこには、真名などというモノは存在していない。
何もいわないが、それを察し、ノエルが説明する。
「ここの大陸ではね、皆名前が二つあるの。私はノエル・セファインだから、名前がノエルでセファインは姓ってことになるの。そこまではいい?」
ノエルはヴィアが頷くのを待ってから説明を続けた。
「それで一つ目の名前っていうのが、ノエルっていう今使っているモノなの。これは生まれた時につけてもらう名前で、誰もが必ずもらえるわ。そして、もう一つの名前っていうのは、その人間が成人だと認められた時に付けてもらう名前のことなの。この大陸では、16歳はもう成人とみなされるわ。だから、16歳の誕生日の日に二つ目の名前を自分の親族に付けてもらうの。それがなければ成人とみなしてもらえないって訳」
そこで言葉を切り、少し間を取ってから再び口を開いた。
「私の誕生日は4日後。でも、お祖母ちゃんは死んじゃったし、お父さんとお母さんも私が小さかったときに死んじゃったから、私に名前を付けてくれる人はいない......」
ヴィアは何も言わずに、視線は地に落ちたままだ。いつまでたっても反応を示さないヴィアを訝しく思い、ノエルは声をかけようとし、
「――――――なのかよ.....?」
だが、ヴィアの小さな呟きは、ノエルの耳には届かず。
聞きとろうと、耳を寄せたノエルに。
「―――名前って、そんなに重要なのかよ?」
今度はノエルが驚く番だった。
「真名だろうがなんだろうが知らないけど、名前がいくつあろうが、それは人の本質を表すものじゃないだろ」
「それはあなたの考えでしょ!!」
ヴィアの無責任な言葉に、ノエルは涙を見せた。ヴィアの方もさすがにぎょっとする。
「真名がなかったら、仕事にも付けない.....師弦調律師にだって....でも、そういう事じゃ...っ」
「おい、ノエル.....」
涙のわけが判らずうろたえたヴィアは、とりあえずノエルの涙を留めようと、ノエルに近づいた。
だが、ノエルはヴィアから離れると、素早く踵を返し、部屋から出て行ってしまった。残された部屋に、なんとも形容しがたい空気が漂う。
「だぁーーーっ!!」
髪をかきむしると、ヴィアはノエルを追い部屋から飛び出した。
家の外に出ると、外は完全に闇が支配していた。今夜は満月なのか、ほんのりとした青白い光が、暗闇を照らしている。
ノエルの事はすぐに見つける事ができた。ノエルは井戸に突っ伏して泣いていた。声を掛けようとあげた手も、だが何て言葉をかければよいのか見つからず、所在なさげに下ろされた。
“女の子を泣かせるなんて....”
“受けた恩を仇で返すんですか?”
不意に、そんな幻聴が聞こえたような気がして、同時に、小さく首を振る友人の姿が脳裏に浮かび上がる。
“仇で返す”の意味は判らないが、非常に腹の立つ仕草だ。ヴィアは頭を振って、憎たらしい友人の姿を頭の中から飛ばすと、溜め息を付いた。
そして、夜空を見上げながら、
―――――――『君は本当にデリカシーにかけるよね』
このときばかりは友人の言葉を、自嘲気味に肯定するしかないのだった――――.....。