3話「伯爵様の次男坊」
不意に、ヴィアが笑いを収め、ドアに視線を遣った。いきなり笑いを止めてしまったヴィアを訝しく思い首を傾げるも、ノエルも同じ様にドアに視線を遣る。
サクサクと草を踏みしめる音が聞こえてきた。しかも、その音は一つではない。複数だ。音はノエルの家の前で止まった。
そして。
――――ドンドンッ!
荒々しく扉が叩かれる。ヴィアが笑いを止めた理由。ノエルはそれをやっと理解したのだった。その時は、どうしてヴィアはこの家に誰かが来ると気付いたのかなんて、全く気にならなかった。
「……なんだ?」
扉の方に眼を遣り、眉を顰める。ノエルは気にした風もなく、食事を続けている。
「いつもの事よ。しばらく我慢すれば止むわ」
嫌そうに言った直後、扉は強引に開かれた。一人の男を先頭に数人の男達が中に入ってくる。
「ダニエル様……」
うんざりとした様子を隠そうともせず、ノエルは溜め息を付いた。ダニエルと呼ばれた青年は、いかにも貴族の子息という装いだ。
ブロンドの髪に、青い瞳。ヴィアと同じ瞳の色だが、ダニエルのそれには理知的なものも、強い意志も見受けられない。鼻筋は通り顔は小柄、身長もそこそこあり、美青年、といえない事もない。
本人もそれは判っているようで、どうやれば最大限自分を魅せられるかを知っている。
「今日こそは色よい返事が聞けるかな?」
優雅に首を傾げつつ、左手を差し出す。だが、ノエルはその手を取ろうともせず、
「何度来られても嫌なものは嫌なんです。お断りします」
真っ直ぐダニエルを見据えた。
「この僕の言葉を聴かないって言うのかい?」
「ええ。」
ダニエルの確認に躊躇う事なく発せられた言葉。それに軽いショックを受け、ダニエルは眩暈を起こしかける。
「ノエル……何故だい?僕の言うとおりにすれば、君は幸せになれるのに」
「私は今のままで充分幸せです。余計なお気遣いは結構です」
ノエルは、ダニエルの言葉に畳み掛けるように答える。
「……いつもの君らしくない。どうしたって言うんだい?あぁぁぁ!!!!まさか、恋人が出来たっていうのかい?はっ、まさか、その男がそうだと言うんじゃないだろうね?そんな、見るからに、貧乏そうで、ぼろっちくて、気品と教養の欠けた幸薄そうな男が君の恋人だと言うのかい?」
「……そうです!!」
半ば自棄に吐いた台詞に、ダニエルの目が見開かれる。ノエルから視線を外し、ヴィアへと向ける。自身の手袋を外し、ヴィアへと叩きつける。
それがあまりにも急であったため、手袋はヴィアの顔面へと強かに当たった。布であったため、それをほど痛いとは思わなかったが。
「決闘だ」
いきなり敵意を剥き出しにされ、人差し指を突きつけられ、ヴィアはどう対処すべきか迷った。
見下ろすダニエルを見上げ、わざとらしく溜め息をつく。まともに受けるのはめんどくさい。この場合の正しい対処は、ただ一つ。
「……無視だな」
すぐに視線を外すと机に頬ずえをつき、欠伸を噛み殺した。ヴィアの態度をみたダニエルの表情が更に険しくなる。
「その態度は僕を侮辱しているのかい?」
頬を引き攣らせながら、ダニエルが口を開く。
「別に」
ダルそうにヴィアが答える。
「オレは今腹がいっぱいで、動きたくないんだ。」
言うや否や、ヴィアはダニエルに背を向けた。ほぼ同時に、ダニエルの傍に立っていた男が動いた。ヴィアの首を掴み、机に押し付ける。不意を突かれたヴィアは抵抗する間も無く押え付けられる。
「………ッてぇ」
押さえつけられたヴィアの口から、苦苦しく言葉が吐き出される。
「ヴィア!」
駆け寄ろうとしたノエルは傍らにいたお付きの男に腕を捕まれ後ろへと追いやられてしまう。
「恐れ多くもランカルス・フェンリィ・フランチェスト・ド・フェリシア伯の御次男、ダニエル様への侮辱は大罪であるぞ!!!」
ヴィアの首を掴んでいる男がヴィアに告げる。それでも、ヴィアは態度を改めようとはしなかった。
「オレには、関係、ないね……いい加減にしろよ……でねぇと…」
ヴィアが男を下から睨む。その迫力に、一瞬男が怯む。怯んだことで弛んだ手を振り払い、男の胸ぐらを掴み上げる。不安そうな表情でこちらを見つめているノエルを横目に、ヴィアは男を見上げた。
「でないと、どうするというんだい?」
ダニエルが面白がるように声をかける。だが、ヴィアの口から出た言葉は
「オレが苦しい……は、吐く……」
であった。
「はぁ?」
その場にいた誰もが同じ様な言葉を発した。
「う……マズイ……」
「あ?」
ヴィアに胸ぐらを掴まれている男が、次の瞬間目にしたのは、自分の服の胸元に向け、今にも口を開こうとしている男の姿だった。
「うわぁぁぁぁぁ!!!!!」
男はヴィアを振り払い後ずさる。ヴィアは両手で口を塞ぎ、その場から動く事無く、視線だけがあちらこちらに彷徨っている。
その視線が不意に、ダニエルに留まった。緩慢な動作で震える手が前に出され、よろよろと歩きだす。ヴィアの行動の意図を察したダニエルは、確実に後ろに下がりながら、言った。
「く、来るなよ……僕の方には来るんじゃないぞ……?!」
だが、その足は止まらない。一歩一歩確実にヴィアはダニエルに近づいて行く。
「くっ……覚えていろよっ!!また来るからなっ!!」
ついに、お約束的な言葉を残し、ダニエルは男達を従えその場から速やかに立ち去った。後に残されたのは、安堵の溜め息をついたノエルと、まだあげた手が空を彷徨っているヴィアだけとなる。
「ありがとう。これで貸し、返されたわね。それにしても、すごく迫真に迫った演技だったわね!!」
「違う……」
喜ぶノエルの耳に、苦しげな声が届く。
「え?」
聞き返したノエルに、顔面蒼白なヴィアの顔が映る。
「まさか、演技じゃないの……?」
ヴィアが頷くのと、ノエルが慌てて桶を差し出すのは同時だった。