1話「拾われた男」
それは、道に落ちていた。
足早に行き交う人々は、それに邪魔そうな一瞥をくれながら、拾おうとはしない。けれど、少女はそれを取らざるを得なかった。
人の波を縫うように近づき、そして、触れそうになった、その時。
「それに触るな…….」
今にも死んでしまいそうな声が響いた。思わず伸ばした手を止める。声のした方に眼を向け、眉を寄せる。
「し…死体…?」
「死んでねぇよ」
即座に返事が返ってくる。どうやらまだ生きているようだ。
だが、その身なりは相当草臥れていた。服の裾は解れ、色褪せ、土埃のためか茶色くなっている。髪もぼさぼさで、まるで浮浪者のようだ。
少女は青年から視線を外し、伸ばしたままだった手で、道に落ちていたリュートを拾いあげる。大事そうに胸に抱え、男の倒れている隣まで持って行く。
青年の傍らに膝を付き、手にしていた藤蔓で編んだ籠を地面に置くと、リュートを差し出す。すう、と息を溜め込み。
「どうしてあんなところにリュートを置きっ放しにしたのよ!!これはとても繊細な楽器なのよ?信られない。それに、琴線もこんなに痛んで……。いつ調律したのよ」
「……けっこう前」
少女の勢いに気圧され、青年が答える。その答えに、少女の怒りはさらに深いものとなった。
「しかも、なんて雑な仕方なの!第3線はきつ過ぎ。第五線なんか寿命を越えて使ってるから、切れてしまうわ。まるで素人ね」
少女はそこまで一気にまくしたてた。すると、青年が決まり悪そうに、呟いた。
「……悪かったな」
「あなたがやったの?!こんな立派なリュートになんてひどい事を…..!!」
少女の辛辣な台詞は雷のような音と重なった。
――――ぎゅるるるるる・・・
青年の視線はいつのまにか籠の中のパンに向けられていた。
「お腹が空いてるの?呆れた」
片手を腰にあて、少女が嘆息した。もう片方の手には、大事そうにリュートが抱えられている。
「5日前から水しか飲んでねぇ」
消え入りそうな声で、男が呟く。辛うじてそれを聞き取った少女は
「お金は?」
そう問うた。返ってきたのは、
「落とした・・・」
という答え。少女は更に深い溜め息を付いた。
「それでよくこの街に入れたわね。入街料は持っていたの?」
当前の事を聞けば。男はぎくりと身体を揺らした。
当たり前だが、街に入るには入街料が必要になる。その金額は街によってまちまちだが、どこでも必ず払う事に変わりはない。青年が身を揺らしたのを目聡く見つけ、少女はその場にしゃがみ込んだ。男と視線を合わせ。呆れてものが言えないという風に、溜め息を一つ。
「不法入街ね。憲兵に捕まっても知らないから」
「………」
急に黙りこくってしまった青年に、少女はもう一度溜め息を洩らした。仕方ないとばかりに立ち上がる。腕にはリュート、手には籠を持ち。軽く首を傾げ、青年を見下ろす。
「うちに来ていいわよ。狭い上に何にもないけど、それでよければ……」
少女の台詞に、青年は仰向けになる。少女と視線を合わせ、薄く笑う。
「人殺しかもしれねぇぜ?」
青年がそう言うと、少女はくすりと表情を和らげた。
「……その手で人は殺せないわ。だって、その手は光を紡ぐ手だもの」
少女の言葉に眼を見張る。驚いたような色を讃える青年の眼差しに、少女は薄く笑いかけながら、言った。
「貴方、吟遊詩人ね……?」