表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/43

6

 二ヵ月後。

 真冬は過ぎ、風はだいぶ暖かくなった。空中庭園では、満点星(どうてん)の木が蕾をつけている。

 もうすぐ春が来る。

 時計塔の六二階にある私室で、普段はあまり見ないようにしている鏡の前に立ち、佳蓮は首を(かし)げていた。

 ここへ来てから、髪が、少しも伸びないのだ。なぜか、月経も止まっている。

 今さら何が起きても驚きやしないが、己の躰に疑問を覚える。結局、生きているのか死んでいるのか……

「羽澄様? お目覚めでしょうか?」

 鏡の前でぼぅっとしていると、いつものように、レインジールがやってきた。

 部屋へ招き入れると、佳蓮はしみじみと美貌の少年を眺めた。

「羽澄様?」

 (じっ)と見られて、レインジールは落ち着かない様子だ。

 大人顔負けで仕事をこなす少年だが、純情な一面もあって、こうして佳蓮が見つめていると、大抵は頬を染めて恥ずかしそうに(うつむ)いてしまう。

「ねぇ、髪に触ってもいい?」

「えっ? はい、どうぞ」

 レインジールは戸惑いながらも快諾し、佳蓮の手の動きを、緊張気味に見守っている。

 前髪に触れると、レインジールは、きゅっと(ひとみ)を閉じた。

 腰まで届く(ぎん)()の髪は、驚くほど滑らかで、指で()けば、絡まることなく(こぼ)れ落ちる。出会った時より、ほんのわずかに伸びているように見えた。

「……綺麗な髪だね」

 手を離すと、レインジールはそろりと(ひとみ)を開けた。

「ありがとうございます。羽澄様は……本当にお優しいですね」

「本当に綺麗だもん。よく言われるでしょ?」

「いいえ。こんな風に触れてくださるのは、羽澄様だけです」

 その言葉は、幼い少年のものにしては切なかった。彼は既に、親兄弟と死別している。こうした寂しげな表情を見るたび、同情と、後ろめたさが胸に滲んでしまう。

 ――家族のことは、考えたくない。

 ここでは〝尊い献身〟と(たた)えられるが、そんな大層なものではない。ただ辛いことから逃げただけだ。

「あの……」

 上目遣いで、レインジールが小さく声を落とす。

「なに?」

「いえ……」

「?」

 珍しく歯切れの悪い様子に、佳蓮は不思議に思って首を(かし)げた。

 視線で言葉の先を促すと、レインジールは胸の前で手を組み、もじもじする。

「あの……私も、羽澄様の髪に触れても……よろしいでしょうか?」

 少し面を食らったが、佳蓮は気安く頷き、寝椅子(シェーズ)に腰を下ろした。

 レインジールも遠慮がちに隣に座り、慎重に伸ばした小さな手で、黒髪の一房(ひとふさ)に触れた。

「なんて……綺麗……」

「普通だよ。でも、ここへ来てから確かに、少し綺麗になった気がする。皆が丁寧にお世話してくれるからかな」

「本当に、豊かで……美しい黒髪ですね」

 感極まったように、レインジールは呟いた。

 あれほど(うと)ましかった彼の大袈裟な賛美にも、いつの間にか慣れてしまった。

「ありがとう。レインの銀髪も、すごく綺麗だよ」

「いえ……私など……」

 自嘲気味に微笑するレインジール。

 不思議なことに、天使のような美貌を持つこの少年は、時折、どうしようもなく己を卑下する。能力的には自己効力感が高いのに、こと容姿に関しては、意外なほど自己肯定感が低いのだ。

 謎過ぎる。佳蓮を女神と慕うあたり、相当変わっていることは確かである。

 だが、それは彼だけではない。

 時計塔の人は皆、レインジールを筆頭に、佳蓮を褒めそやす。

 お伽噺のような世界で、蝶よ花よと(かしず)かれる日々は、本当に女神になったかのような錯覚を生む。調子に乗らないよう己に言い聞かせていても、感覚が麻痺してしまいそうだった。

「羽澄様」

 不意に、レインジールの声が沈んだ。

 視線を向けると、少年は形の良い眉を下げて、恐れるように唇を開いた。

「実は……皇太子殿下より、昼食会への招待を頂いております」

「えぇ?」

 露骨に嫌そうな声をだすと、なぜか、レインジールの愁眉(しゅうび)(わず)かに晴れた。

「お嫌でしたら、招待を断ることもできます。いかがいたしましょう?」

「断っていいの?」

「いかなる権威であろうと、羽澄様の御心(みこころ)に沿わぬことを、強要することはできません」

「……すごいね。私って何様? 女神様?」

 冗談めかすと、レインジールは笑顔で頷いた。

「はい。世界で一番、お美しい女神様。私の女神様です」

 ――全力で肯定されてしまった。

 白い繊手(せんしゅ)が伸び、黒髪の一房(ひとふさ)をすくいとる。

 ゆっくりと、端正な顔が傾く。

 ……レインジールの行動はアンバランスだ。視線が合うだけで照れるくせに、こういう時は妙に大人びている。

 黒髪に口づける姿は、一種悖徳(はいとく)の美しさがあった。

 幼い色香に誘われ、佳蓮は無意識にまろやかな白い頬へ手を伸ばす。撫でると、レインジールは(ひとみ)を細めて、(とろ)けるような笑みを浮かべた。幸せそうに(まぶた)を伏せて、佳蓮の手に頬擦りをする。

「あぁ……幸せです……」

 もう、レインジールのこうした言動を、演技とは思えなくなってきている。

 信じ難いが、彼の(ひとみ)には、佳蓮が麗しの女神として映っているのだ。

 ――美的感覚が死んでいるとしか思えない。

 だが、彼の管理する時計塔は、隅々まで洗練され、佳蓮が日参している図書館や空中庭園も、息を呑むほど美しいのだ。

 考えれば考えるほど、この世界は、佳蓮に都合が良すぎる。

 どうして、こんなにも恵まれた生活を享受できるのだろう?

 天の(おぼ)()し?

 苦しみに満ちた生前を憐れんで、神様が慈悲を与えてくれた?

 どこにも居場所がなかったのに、ここでは、いるだけでいいと言ってもらえる。


〝人は、誰もが(とが)を負って生まれる……〟


 レインジールの言葉が、耳に残っている。

 (とが)――佳蓮の場合は決定的だ。自殺した。償いが必要だとしたら、(よみがえ)ったこの都合の良い世界で、どう(あがな)えばいいのだろう?

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
cont_access.php?citi_cont_id=171048670&s
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ