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 さらに二日後。新星歴一九九〇年一二月二六日。

 星誕万象調律せいたんばんしょうちょうりつ典礼(てんれい)に臨席するため、佳蓮はレインジールと共に、帝都の心臓部たる白の玻璃城(リュ・シアン)を訪れることになった。

 皇帝の()(めし)と聞いて(ひる)む佳蓮にレインジールは、女神たる佳蓮は最上位の権威であり、皇帝ですら女神の慈悲の雫を乞う一人の巡礼者に過ぎないのだと説明した。

 ……大仰過ぎて鵜呑みにはできないが、異様なまでの歓迎ムードだけは伝わった。

 高貴な人々、大勢の観衆に姿を見せるので、身支度は念入りに整えられた。

 用意された衣装は、群青の夜を溶かしたようで、刺繍と宝石が(ちりばめ)られ、佳蓮の歩みにあわせて星屑(ほしくず)(またた)く。大きく開いた胸元には、輝く星型のペンダント。頭髪は高く結いあげられ、凍てついた(そう)()()(かん)を飾っている。

 鏡に映る姿を見ても、感動は微塵も湧かなかったが、レインジールは違った。

 雷に打たれたかのように立ち尽くし、

「とても……お綺麗です」

 そう絶世の美貌で述べ、佳蓮を白けさせた。

 彼は、光沢のある黒に(きん)()の縫い取りがある礼装で、小公子のように凛々しく、美しく、洗練された(たたず)まいをしている。

 ――その口で「お綺麗です」などど、よく平然と言えたものだ。


 白の玻璃城(リュ・シアン)への移動は、文字通り一瞬であった。

 仕組みは不明ながら、時計塔六二階の、床に刻まれた幾何学模様に足を乗せた瞬間、一階に到着した。さらに大きな幾何学模様の上に導かれれば、(まばた)きする間に白い女神像の鎮座する円柱の間へと至っていた。

 そこは既に皇城の内奥(ないおう)で、外界とは切り離された聖域だった。

 近衛騎士の案内により、天を突くほどに広大で、絢爛(けんらん)豪華な謁見の間に通された。

 燦然(さんぜん)と輝く円環照明(シャンデリア)が黄金の光を(したた)らせるなか、(はる)か高みの玉座には、至高の宝冠を(いただ)く壮年のアディール皇帝陛下と、慈愛に満ちた(かお)(たた)える皇后陛下が座していた。

 佳蓮の姿を認めるなり、高貴な二人は(そろ)って立ちあがり、高い玉座から降りてくる。

 皇帝は、緊張に強張る佳蓮の手を(うやうや)しくとると、そっと甲に口づけた。

「なんと美しいのか……麗しの女神よ。貴方の放つ光芒(こうぼう)は、空里を越えて、各大陸までも照らすことでしょう」

 皇帝は皺の刻まれた目元を和ませて、冗談めかして続ける。

「残念ですな。私があと二〇若ければ、貴方に愛を囁けたものを」

「陛下」

 何をおっしゃっているの、と隣で皇后が(たしな)めている。覇気に満ちた皇帝は、なかなか茶目っ気のある人物らしい。

「ようこそお越しくださいました。(まれ)なる客星(かくせい)をアディールにお迎えでき、この上ない喜びでございます」

 優しく笑みかける、ふくよかな皇后。話に聞いて想像していた美女とはだいぶ違うが、(たたず)まいは(てん)()で、国母に相応しい華を(たた)えていた。

 自然と頬が熱くなるのを感じながら、佳蓮はできる限り上品にほほえんだ。

「右も左も判らぬ世界で、とても良くして頂いております。暖かく迎えてくださり、ありがとうございます」

 丁寧にお辞儀をすると、広間に居合わせた全ての人から、好ましい者を見るような暖かな眼差しを向けられた。気のせいでなければいいのだが、歓迎されているように感じる。

 皇帝の隣には皇太子、その隣に第二皇子が控えている。二人とも、頬をわずかに上気させ、佳蓮を見つめていた。

 これまでレインジールを筆頭に、洋風の端正な顔立ちばかり見てきたが、皇子達はなんというか……素朴な顔をしている。

 二人共、藍色の髪に黄金の(ひとみ)という、絢爛(けんらん)な色を(まと)っているが、顔立ちは……佳蓮が評するのもおこがましいが、普通だ。

 外貌だけなら、レインジールの方がよほど皇子然としている。

 しかし、端正な顔ばかり見ていたので、扁平(へんぺい)で薄い顔に、ほっとするような親近感を覚えた。

「第一皇子のシリウス・ブライド・アディールです」

 妙に熱を帯びた視線に居心地の悪さを覚えつつ、佳蓮は膝を折る。

「羽澄と申します。よろしくお願いいたします」

 そっと手をとられ、(うやうや)しく甲に唇が触れる。映画の一場面(ワンシーン)みたいだ。外見はともかく、所作は皇子様である。

「アズラピス・ディオ・アディールです。近衛騎士団の団長を務めております」

 続けて、第二皇子に手を取られた。二人共、皇后陛下に面差しが似ている。

 ――どうして、そんなに熱っぽく見るのだろう?

「さぁ、皆も女神のお姿を心待ちにしています。どうか、慈悲をお与えください」

 皇帝に促されて、佳蓮は赤い絨緞の敷かれた廊下を進んだ。

 謁見の間を出た瞬間、人が増えた。廊下の左右に衛兵がずらりと並び、こちらを微動だにせず見守っている。

 注視されて、佳蓮は落ち着かなかったが、レインジールも皇帝一行もまるで気にしていない。

 彼等は、緊張する佳蓮を気遣い、道すがら交互に言葉をかけた。

「ぜひ夜会にもいらしてください。招待状をお送りしてもよろしいでしょうか?」

 シリウス皇太子が紳士的にほほえむ。佳蓮は軽い気持ちで頷いた。

「楽しそうですね。私もぜひ」

 アズラピス第二皇子が闊達(かいたつ)に笑った。

「おや、社交嫌いが珍しい」

「女神がいらっしゃるなら、別ですよ」

 兄弟仲の良さを(うかが)えるやりとりに、佳蓮は表情を和らげた。

 束の間、緊張を忘れていられたが、廊下の先を見た途端に、鼓動が()ねた。

 高台へ続く扉が、左右に立つ衛兵の手で開かれる。

 ()(とう)のように流れてくる熱気。割れるような歓声。あの扉の向こうに、(おびただ)しい数の人々が待っている。

 心臓の鼓動が大きくなる。

 腐敗寸前の林檎のような、甘く()えた香りが(ただよ)う。煉獄(れんごく)の鎖が足首に絡みつく錯覚がした。

「――羽澄様!」

 倒れる瞬間、レインジールの焦った声が聴こえた。


 意識が戻ったとき、寝台に(ぎょう)()していた。

 鼻腔を()くのは、()えた腐敗の香りではなく、()き通るような青い蘭の香りだ。

「気がつきましたか。羽澄様」

 枕元で佳蓮の指を絡め取っていたのは、(ひとみ)に冷涼な玻璃(はり)の熱を持つ、十歳の総監。長く真っ直ぐな白銀の髪が、窓から射しこむ月光に溶け、仄白く輝いている。

「……レイン、私……お披露目の……」

 途切れた記憶の断片を繋ぎ合わせようとして、肝が冷えた。そうだ、典礼(てんれい)の最中に、無様に意識を失ってしまったのだ。

「案ずることはありません。女神の気が進まないのであれば、群衆に至高の輝きを拝ませる必要などないのです。たとえ皇帝陛下が膝を折ろうとも、貴方をこの時計塔から連れだすことは、誰にも許しません」

彼は流星(こん)の刻まれた左手をそっと掲げ、殉教者のような敬虔(けいけん)さで、佳蓮の指先に唇を寄せた。

「……ごめんなさい、面倒をかけて」

「どうか、謝らないでください。誰も羽澄様を責めておりません。何人たりとも女神に強要することはできないのです。今はただ、ごゆっくりお休みください」

 その甘美な(ゆる)しに、張り詰めていた心が、ふっと楽になった。指先に温もりの余韻を感じながら、深い安息の闇へと再び目を閉じた。

 (よみがえ)った後遺症……そう呼ぶには妙だが、何らかの意識障害を抱えているのかもしれない。

 そのせいか、今も、この世界を現実と認識できない。

 二度も倒れたせいで、レインジールはすっかり心配性になり、佳蓮をなかなか寝台から離そうとしなかった。

 その間、暇つぶしに、色々な話を聞いた。

 この世界では、星導(せいどう)とは、誰もが当たり前に口にする言葉だった。

 宇宙の霊気を知・技・(けい)によって制御し、様々な恩恵を得る技術の総称である。佳蓮の感覚で言えば、石油であり、インターネットであり、電気のようなものだ。

 国のインフラを預かる星導師は、特権階級にある。志願すればなれるわけではなく、適正と訓練が必要だそうだ。

 佳蓮が滞在している時計塔には、星導師を育成するための学園も併設されている。

 星教区には、星導機関の基地である塔が六つある。五芒星のように五つ塔が配置され、その中央に時計塔はある。

 時計塔は星導五塔総監の管轄で、現在その任に就いているのがレインジールだった。

 星導機関の始まりは、およそ二〇〇〇年前。時のアディール皇帝の命で創立された。

 目的はただ一つ。

 死海に大地を沈めぬため、数千キロメートルにも及ぶ広大な大陸を、海面から浮かすこと。

 ――驚くなかれ。

 アディール新星皇国を含む円環大陸は、まるごと宙に浮いているのだ。

 佳蓮の堕天によって、人工大地は海底に根を下ろし、真の大地として生まれ変わったという。

 何遍聞いても理解できないが、要するに、佳蓮がデパートの屋上から飛び降りた結果、宇宙規模のバタフライ・エフェクトが起きて、アディール新星皇国に奇蹟的な恩恵をもたらしたらしい。

 大陸を浮かす為、そして生活基盤を支える重要な資源――霊気が、間もなく枯渇することを星導機関は数十年前から予測していたという。

 人工霊気は未だ実用に至らず、科学者達は産業害毒に苦慮している。レインジールの親兄弟も表向きは事故死と公表しているが、実際は、研究の最前線で不純霊気を浴び続けた結果、霊気過剰適合症で亡くなったそうだ。

 幼くして要職に就いた彼は、星導師として、刻一刻と迫る終焉に絶望を感じていたという。

 国の現状を語った少年は、(くら)い未来に光を射しこんだ女神こそ、佳蓮だと続けた。

「羽澄様の堕天で、この先数百年を(まかな)う清涼な霊気が満ちました。それは今この瞬間も、()れることのない泉のように、世界を潤し続けているのです」

 佳蓮を世界の救世主――天の遣わした客星(かくせい)だと、皆が信じて疑わないのは、今もなお懇々(こんこん)と大気に満ちる霊気のおかげらしい。先の星誕万象調律せいたんばんしょうちょうりつ典礼(てんれい)も、国を挙げてその慈悲に(ひざまず)き、感謝を捧げるための聖儀だったのだ。

 ……と言われても、佳蓮には全く身に覚えがない。

 ただ、ここにいる限り、生活に困ることはない。

 レインジールは一〇歳という若さで星導五塔総監に就いており、円環大陸全土において屈指の大富豪でもあった。頭脳明晰、温厚廉直、品行方正、佳蓮を女神と崇めて(いち)()に慕い、おまけに天が創り給う美貌の持ち主である。

 時計塔にいれば、上げ膳据え膳で、身の周りの世話は、侍女が全てやってくれる。好きな食べ物も、飲み物も、嗜好品の(たぐい)も、レインジールは惜しみなく与えてくれる。

 学校に行く必要もなければ、働く必要もない。

 テレビやスマホ、インターネットはないが、代わりに胸をときめかせる宇宙と星導の神秘がある。

 佳蓮より七つも年下の少年が毎日働いているというのに、佳蓮は勉強もせず、(らん)()に日々を過ごしている。

 家事手伝いを申し出たこともあるが、健やかにお過ごしくださいと天使の微笑で断られてしまったのだ。

 佳蓮の存在を物質(エーテル)界に定着させる為に、よく食べて、寝て、遊び、充実した日々を送りながら、星杯(せいはい)を満たすことが大切らしい。

 星杯(せいはい)とは、目には見えない自己の(うち)にあるもので、佳蓮は今、殆ど空っぽらしい。時間と共に回復するらしいが、きっと、心が健やかでなければ満たせないのだろう。

 ……欠陥だらけの佳蓮に、満たせる日はくるのだろうか?

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