表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
42/43

40

 新星歴二〇〇〇年。一二月二二日。

 一〇年経った今も、あの夜を忘れられない。

 上位次元(アストラル)へ還るその直前、佳蓮はレインジールに、宝物のような記憶を授けてくれた。

 それはほんのひとときの邂逅(かいこう)でありながら、幼いレインジールの胸に不滅の火を灯した。

 日中は勤めを果たし、読書や散歩をして、夜は女神の姿が(まぶた)に浮かんだ。安らぎの聖域へ(いざな)ってくれた。心の神殿に、一日たりとて欠かさず参拝した。

 婚約を解消し、かといって周囲の勧める縁談には耳を貸さず、変人とさんざん陰口を叩かれたが、全く気にならなかった。

 心のなかに、愛を捧げ、崇拝する女神がいる。

 日々の生活は霊感に満ち、神秘の薄紗(ヴェール)に包まれた。敷かれた(わだち)と決別し、いつか巡り逢えると信じて、ひたむきな努力を重ねた。心に巣食う邪悪なものを取り除き、女神の前に(ひざま)いて光に包まれたい一心で日々を過ごした。

 遠い記憶は不滅の霊魂(れいこん)となり、時を()ても(かげ)ることなく、今もなおレインジールの(うち)で静かに燃え続けている。

 そうして、二〇歳を迎えた。

 遠い約束の通り、紅茶庭園を築いた。

 佳蓮が(こと)のほか愛した、ルルーシュナ紅茶庭園もそのひとつだ。

 時間を見つけては足を運び、佳蓮を想う。

 記憶のなかの佳蓮は、いつもここで、レインジールと紅茶を楽しんでいた。

 (あずか)り知らぬ記憶の欠片に、ひたすら恋焦がれている。

 長い間、星に(たず)ねても想い人の顕現(けんげん)は詠めなかった。

 けれど心身が成長すると共に、星の奥に、わずかな輪郭が見え始めた。予感に満ちた預言者のように、レインジールは歓喜した。

 星導師としていっそう勤勉に励み、同僚には隠者のようだと言われたが、かまわなかった。天文宮に通いつめ、宇宙の深淵に立ち、星脈の流れや囁きに耳を澄ませ、魂の用意を整えて、神羅万象や宇宙の調和の響きを聞き取ろうとした。

 それこそがレインジールの青春であり、心は昼も夜もいつでも、美しい女神を思い、激しい喜びに溢れていた。彼女と邂逅(かいこう)するために、思想と情熱のエネルギーの全てを注いだ。

 そうして、星象位層理論せいしょういそうりろんを完成させた。

 星象は一枚の未来ではなく、幾重にも重なった〈層〉として存在しているのだ。今夜、その理論は証明される。奇蹟の顕現(けんげん)を予見することができたのだから。

 星明かりに照らされたルルーシュナ紅茶庭園。

 どうか……そう祈るように空を仰いだ、その瞬間、天より光の柱が降り注いだ。

 清冽(せいれつ)な霊気が満ち、光の奔流から、焦がれ続けた女神が姿を(あらわ)した。

「レイン」

 夢にまで見た女神に名を呼ばれ、笑みかけられる。

 嗚呼……どれほど、この瞬間を待ち望んでいたことか。

 感情が溢れ、レインジールは一瞬、膝を折りそうになった。

 星幽(アストラル)界の残照を払いおとし、佳蓮は確固たる肉体を伴って、大地に足を降ろした。

「……お待ちしておりました」

 差し伸べられた手を、震える手で取り、唇を落とすと、佳蓮は嬉しそうに笑った。

「……お待たせ」

 (まばゆ)い笑顔に、眩暈がする。

 尊さに(ひざまず)きたい一方で、強く抱きしめたい。相反する衝動が、同時に胸を満たした。

 逡巡の末、素足に気づいて抱きあげる。懐かしい甘い香りに、頭がくらりとした。

 錯覚ではない。記憶のなかの佳蓮が(よみがえ)ったのだ。圧倒的な存在感で、目の前にいる。

「レイン?」

 はにかむ佳蓮は、心臓を打ち抜かれそうなほど美しく、かわいらしかった。

「ようやく……お会いできました。私の女神様」

「……ただいま、レイン」

 頬に触れる柔らかな手。暖かな体温。潤んだ(くろ)玻璃(はり)(ひとみ)。月光のような微笑。夜の河のように流れる美しい黒髪。信じられない。こんな奇蹟があるのだろうか?

「お帰りなさい、佳蓮。本当に、お待ちしておりました。私の女神様……っ」

 唇が戦慄(わなな)いて、涙が溢れた。

「私も、会いたかったよ」

 佳蓮も涙を流しながら、レインジールに手を伸ばしてきた。柔らかな肢体を抱きしめ、温もりを全身に感じながら唇を寄せた。

 ――なんて、甘美な唇なのだろう……

 多幸感に包まれて、また涙が溢れた。ようやくめぐり逢えた恋人を、レインジールはきつく抱きしめた。



 一ヵ月後。

 二人はあらためて、夜のルルーシュナ庭園を訪れた。

 本当はすぐにでも来たかったのだが、遠い宇宙を旅してきた佳蓮の躰は衰弱しており、懐かしい時計塔の六二階で、療養生活を余儀なくされたのだ。

 地球での記憶も、星幽(アストラル)界での摩訶不思議も、今となっては(おぼろ)だ。

 けれど、レインジールとの記憶だけは、語らうたびに鮮やかに(よみがえ)った。

 今ここに()る佳蓮は、地球で生きた佳蓮であり、時計塔で過ごした流星の女神であり、或いは全く別の存在であるようにも思う。

 消えかけた意識を繋ぎ()めたのは、切なくなるほどの恋心だった。


〝この円環を絶やさないで〟

〝貴方を想い、紅茶庭園を造りましょう。いつまでも、私は、お待ちしていますッ〟


 耳に残る、切実な祈り。

 その願いに引き寄せられ、一片(ひとひら)の想いの因子は、この物質(エーテル)界に顕現(けんげん)したのだ。

 一〇日も経てば、佳蓮はすっかり回復したが、レインジールはなかなか佳蓮を寝台から離そうとしなかった。

 さらに二〇日が過ぎ……今日、ようやく外出できた次第である。

 人の(おとな)いのない庭園は、美しい夜のすがたで安らっている。

 朱金の火を灯した角灯(ランタン)が樹々のあちこちにかけられ、雨上がりの石畳に()(かげ)を幾すじも投げかけている。

 空は雨雲が引いて、月と宇宙が見えていた。暖かい風が、優しく吹き抜けていく。果樹の枝やポプラの(こずえ)を愛撫するたび、心地いい葉擦れの音を立てた。

「いい香り……」

 かぐわしい紅茶の香りに、佳蓮は笑みを浮かべた。

「季節の茶葉ですよ」

 熱い湯のなかで、葉がじっくりと広がっていく。何でも器用にこなすレインジールは、紅茶を淹れるのもとても上手だ。

 薔薇の花びらを添えたカップを差しだされ、自然と笑みが(こぼ)れる。

「この一時のために、生きてる気がする」

 しみじみと呟けば、レインジールも静かにほほえんだ。

「もう元気になったし、今度オルガノさんに会いにいこうよ」

「そうですね。師も喜ぶでしょう」

「リグレットさんも誘おうよ」

 明るく佳蓮が言うと、レインジールはわずかに眉を(ひそ)める。

「どうして、他の男を誘うのですか?」

「嫌? リグレットさんもオルガノさんに会いたいんじゃないかと思って」

「私は、佳蓮と二人きりがいいです。心が狭いと呆れるかもしれませんが、できることなら……佳蓮を誰の目にも触れさせたくないのです。男は特に」

 じっと見つめられ、佳蓮はくすぐったいような、甘い気持ちにさせられた。

「えっと……」

「今の佳蓮に言っても仕方ありませんが、私は貴方の奔放(ほんぽう)さに、ずっと苦しんでいました。いつだって、貴方を一人占めしたくてたまらなかったのです」

 熱烈な告白に、とうとう佳蓮は(うつむ)いた。顔から火がでそうなほど熱い。

 時を越えて再会を果たしてから、レインジールはずっとこんな調子だ。記憶にあるよりも独占欲が強く、感情を真っ直ぐに伝えてくるように思う。

 同じように、佳蓮も言葉にできたらいいのだが、どうも照れ臭さが先立つ。

「……好き」

 小声で囁くと、沈黙が流れた。

「……もう一度、お願いします」

「え……」

「よく聞こえませんでした。どうか、もう一度」

 狼狽(ろうばい)する佳蓮を見て、レインジールは甘く微笑した。

「佳蓮。言って?」

 腕をとられ、暖かな胸のなかに抱き寄せられた。押し当てた頬に、すごく速い鼓動が伝わってくる。

 あまりの速さに、驚いている佳蓮を見下ろし、レインジールは赤くなった。

「……貴方に触れられて、平静でいられるはずがありません」

 上目遣いに見つめると、レインジールは表情を消した。

「……貴方は、とても魅力的だから」

 形の良い長い指が、佳蓮の耳の輪郭をなぞる。背筋をぞくぞくさせながら、佳蓮は笑った。

「レインも、とっても素敵だよ」

 面映ゆそうにレインジールは笑った。

「ありがとうございます」

「ううん……」

「佳蓮。星杯(せいはい)を満たしたのは、私を想ってくださったからだと思っていいですか?」

星杯(せいはい)……」

 胸に手を当てながら、そういえば、と佳蓮は気がついた。

 かつて(さいな)まれた心の(うつろ)は、今はもうない。暖かな火が心に灯っている。一段と高い暖かい生命が、躰の(うち)を循環しているのを感じる。

「万の星導も、佳蓮の起こす奇蹟には敵いませんね」

 暖かな手で、頬を撫でられた。長い指は頬を滑り、(こぼ)れた黒髪を耳にかける。そのまま離れていかず、耳の輪郭をなぞる。おかしな声がでそうで、佳蓮は慌てて唇を噛みしめた。

「私を想って、星杯(せいはい)を満たしてくれたのでしょう? お願いです。もう一度、聞かせて……」

 甘く請われて、佳蓮の胸は破裂しそうなほど震えた。

「……好き」

 小さな声で呟くと、抱きしめる腕の力が強くなった。

 頬を大きな手に包まれて、上向かされる。絡んだ視線が唇に落ちると、胸の奥をぎゅうっと掴まれたような甘い痺れが全身に走った。

 そっと唇が重なる。触れるだけの、優しいキス。世界で一番幸せなキスだ。

 少しだけ顔を離すと、どちらからともなく笑みが(こぼ)れた。ふと、レインジールは何かに気づいたように、(ひとみ)を細めた。

「佳蓮、前髪を切ってさしあげましょうか?」

 不思議そうに(ひとみ)(またた)く佳蓮を見て、レインジールは幸せそうに笑った。

「少し、髪が伸びましたね」

 その言葉の意味を理解して、佳蓮の胸に、ゆっくりと喜びがこみあげた。表情を(ほころ)ばせる佳蓮を、レインジールは優しく見つめている。


 止まっていた時が、コトリ、音を立てて進み始めた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
cont_access.php?citi_cont_id=171048670&s
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ