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 一二月二二日。

 窓の外は雨。(かぎ)()きに(はし)稲妻(いなずま)が、夜空を震わせている。

 外は凍えるような寒さだが、空調の効いた塔内は、心地よい暖かさに満ちていた。

 懐かしい音色に誘われ、佳蓮はうっすら(ひとみ)を開ける。

 床に本が落ちている。寝椅子(シェーズ)で読書をしているうちに、いつの間にか眠ってしまったらしい。

 近頃は、すぐ眠くなる。

 起きあがろうか迷ったが、心地良い眠りの余韻に身を委ね、再び(ひとみ)を閉じた。金属の円盤を針がなぞり、美しく、どこか憂愁(メランコリック)を帯びた旋律が流れている……


 ――優しい夢を、見た。


 まばゆい光。

 薔薇色の夕べに、爽籟(そうらい)が揺らめく。

 ハーブ園に立つ佳蓮の髪は、白いものが随分と混じっていた。隣には、同じだけの時を重ねたレインジールがいる。

 二人で手を繋ぎ、煙の立ち昇る屋敷を目指して、()(みち)をのんびりと歩いていく。皇都に住む子供達の近況を、笑いながら語りあい……

 空いた手には、(とう)の籠。香りの良い摘みたてのハーブが入っている。帰ったら、紅茶を淹れるのだ。

 昏れなずむ美しい夕陽に照らされ、二人の輪郭は黄金に縁取られている。同じ時を重ね、寄り添って歩く姿は、奇蹟のように美しかった。

(あぁ……幸せ……)

 目を醒ましても、薔薇色の雲に覆われた、美しい人生の広がりを眺めている余韻に(ひた)されていた。

 ぼんやりと視線を巡らせると、すぐにレインジールと目が()った。

「いい夢を見ちゃった」

 氷晶(ひょうしょう)(ひとみ)が、優しい三日月のように細くなる。

「どんな夢ですか?」

「……ないしょ」

 横になったまま微笑する佳蓮を見て、レインジールも穏やかに笑った。佳蓮の手を取り、大切そうに唇で触れる。

 くすぐったくて、佳蓮は忍び笑いを漏らした。

「ねぇ……想像してみて。手を繋いで、一緒に歩いているところ」

「いいですね。晴れた日に、紅茶庭園に行きましょうか」

 その言葉に、佳蓮は澄みきった青空を思い浮かべる。

 (うず)高い雲の向こうには、優美な飛竜。

 うららかな……(さん)と陽が降り注ぐ午後。

 木漏れ日の踊る石畳を散歩しよう。飴色の茶葉の匣(ティーキャディー)を持って、二人きり、水辺で茶会を愉しもう。

 青とした芝生に麻布を敷き、のんびりと寝転がる。

 手を繋ぎ、(こずえ)(さえず)りに耳を澄ませながら微睡(まどろ)む……天国のような至福に満たされて。

 牧歌のような幻想は、幸福感をもたらし、同時にたとえようのない切なさをもたらした。

 隣を仰ぐと、青い(ひとみ)が潤んでいる。玻璃(はり)のようだと思いながら、佳蓮は光に()ける己の手を見つめた。

 耳朶(じだ)の奥で、砂時計の最後の一粒が、静かに落ちる音がした。

「佳蓮――」

 人差し指を、形の良い唇に押し当て、言葉を(さえぎ)る。さようならは、聞きたくなかった。

「好きだよ、レイン」

 レインジールは一瞬、表情を消した。瞳に狂おしい光を宿し、じっと佳蓮を見おろす。

「愛しています。この身が消えても、私は永遠に佳蓮の(しもべ)です」

 端正な顔がゆっくり近づいて、唇が触れる。無垢(むく)なキスは、佳蓮の心を嵐のように揺さぶった。

 彼が最後に記憶する姿が、笑顔であるように、笑っていたいのに、視界が滲んでいく。

「泣かないで。寂しい時は……さっきのように、楽しい時間を想像してください」

「……うん」

「想像は、無限の創造です。貴方は、どんなものにもなれるし、どこへでも行けるのですから」

「……何を見ても、聞いても、レインを思いだしちゃうんだろうな」

 胸を引き裂かれる思いで、佳蓮は笑みを(つくろ)った。ぽろぽろと、涙が、止めどなく(こぼ)れ落ちる。

「寂しいよ、寂しいよぅッ……レイン、夢のなかでもいいから、あ、会いに、来てね」

 ()けた手で白い頬を撫でると、レインジールは愛おしげに頬ずりをした。恭しく掌に触れて、そっと唇を押し当てる。

「……一つだけ、約束してください」

「なに?」

「どうか、自分を責めないで。私は、貴方の輝きに救われたのです。なのに、貴方は自分の輝きを信じようとしない……それが、たまらなく嫌なのです」

「……それ、私の台詞だよ。レインこそ、自分の魅力にちっとも気づいていないんだから……」

 レインジールは(ひとみ)を潤ませ、ほほえんだ。

「あぁ……貴方と過ごした一〇年は、流星のように(まばゆ)く、燃え盛るような青春の日々でした」

「私も……」

 毎朝、毎晩。(まばゆ)い太陽のように、夜空に(またた)く星のように、優しく照らし、ほほえんでくれた。

「どうか、悔やまないで。私は、佳蓮が想うより……ずっと罪深く、欲深いのです」

 レインジールは、そっと佳蓮の両手を包みこんだ。左手に刻まれた流星(こん)が、金色に輝き始める。

「レイン……っ」

 佳蓮は咄嗟に手を振り解こうとしたが、レインジールは許さなかった。指が、さらに強く絡め取られる。

「やだ……やめて……っ」

「貴方を苦しませることが辛いのに……惜しんでくれることに、喜びも感じてしまう……」

 一〇年前に交わされた星杯(せいはい)契約が、履行されようとしている。

 双翼(そうよく)の流星(こん)が金色の光を放ち、琺瑯(ほうろう)のような繊手(せんしゅ)を灼きながら羽ばたく。美しくも禍々(まがまが)しい光景に、佳蓮は声にならない悲鳴をあげた。

「離してッ!」

 泣きながら懇願する佳蓮を見て、レインジールは優しくほほえんだ。

「幸せでした。貴方に恋をして……素晴らしい時間を、たくさんもらいました」

 満たされない星杯(せいはい)の代わりに、命を燃焼しようとしているのだ。全身を金色に包まれ、額に珠のような汗を結びながら、呻き声一つ漏らさない。

「こんなの、嫌だよッ……レイン!」

「さようなら、愛しい貴方……大丈夫、きっと、貴方の時間は進んでいきます」

「レインがいないよ……っ」

 首を振る佳蓮の頬を、金色に燃える手でレインジールは触れた。

「……いつまでも、佳蓮の幸せを願っています」

 耳元で囁かれる(かす)れた声は、甘く、切なく、穏やかな風のようだった。

「やだやだ、待ってッ」

 金色の粒子が宙に散った。無数の命の火花。微細な(きら)めきが、空気に溶けていく。

「レインッ‼」

 たった今、目の前にいたのに。抱きしめてくれていたのに。レインジールは、どこにもいなかった。

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