表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
奇跡のように美しい人  作者: 月宮永遠
1章:女神
4/42

2

 一人になると、佳蓮はぼんやりと部屋を見渡した。

 素敵な部屋だ。

 天井は高く、テラスも室内も広い。

 家具は飴色の調度で整えられており、カーテンにされた自然光に優しく照らされている。上品で贅沢。そして、どこかノスタルジックな香りがする。

 あの少年は、ここはアディール帝国だと話していたが、どのような所なのだろう?

 楽園なのか、はたまた地獄なのか。

 そのどれでもなく、夜に見る夢なのか……実は死に損ねて病院のベッドで見ている夢なのだとしたら、最悪だ……それだけは嫌だ。永遠に目覚めたくない。

 一人でいると、思考は悪い方へ傾いていく。レインジールは、すぐに戻るといっていたが、いつ戻ってくるのだろう?

 やきもきしていると、品の良い深緑色のロングドレスを着た召使達が部屋にやってきた。意図は不明だが、佳蓮の身支度を整えてくれるらしい。

 寡黙な召使達は、粛々と佳蓮の準備を整えた。

 裾の長い、アンティークな瀟洒な衣装、結い上げた頭髪にブルーベルの生花を飾り、耳と首には涙滴るいてき型の宝石。

 どうして着飾る必要があるのか、訊いても教えてくれない。鏡の中の佳蓮を眺めては、始終満足そうにしていた。意味不明である。

 鏡は嫌いだ。

 醜い容姿を直視するのが嫌で、化粧を施される間、壁紙や部屋の柱ばかり見つめていた。会話を試みても、寡黙な召使達は必要最小限のことしか口にしてくれない。支度を終えると、そそくさと出ていってしまった。


「何してるんだろ、私……死んだよね?」


 呟きに応える者はいない。

 やがて日は暮れて、窓から茜が射しこんだ。

 夢現ゆめうつつの区別をするでもなく、六角の星形にくり抜かれた天井を眺めていると、控えめなノックの音が聞こえた。


「羽澄様、お待たせいたしました」


 古風な真鍮の台車を押して、ようやくレインジールは戻ってきた。どうやったのか、手も触れずに部屋の硝子照明を灯すと、着飾った佳蓮を正面から見つめて、心を奪われたといわんばかりに、胸を手で押さえてみせた。


「本当に、貴方ほど美しいひとを見たことがありません。どうしましょう……心臓が静まりそうにありません」


「はぁ?」


 大袈裟な賞賛の真意が判らない。訝しむ佳蓮の傍に、レインジールは慎重に歩み寄った。


「窓の外をご覧になりましたか? ここは、塔で一番景観の良い室です。気に入ってくださると良いのですが」


「見た……綺麗なお部屋だね」


「良かった」


 嬉しそうにはにかむレインジールを、今度は佳蓮が賞賛の眼差しで見下ろした。

 こんなに綺麗な少年を、これまでに見たことがない。美しく、神秘的でとても同じ人間とは思えない。

 ふと見つめ合っていることに気付いて、視線をそっと外すと、レインジールも我に返ったように青い瞳を瞬いた。


「失礼いたしました。とてもお美しいから、つい……」


 さっきから、何の冗談なのだろう? 半分瞑目するレインジールを、佳蓮は冷ややかに見下ろした。


「やめて。そういう風にからかわれるの、死ぬほど嫌いなの」


 冷たく尖った声を聞いて、レインジールはさっと青褪めた。


「申し訳ありません」


「ここはどこなの?」


「は、はい。北アルル大陸の宗主国、アディール帝国です。アディールは大陸でも屈指の富める大国で、ここはその中心地、王都ヘカテルの聖教区でございます。この塔は、星詠機関管轄の五つ塔の中央塔、通称、時計塔と呼ばれています」


 淀みない回答は、何かの呪文のようだった。


「つまり、天国じゃないの?」


「天界ではありません」


「……」


「羽澄様の尊い献身で、妖魔は遠のき、王都に蔓延はびこ猖獗しょうけつは失せました。国中が、羽澄様の御業に感謝の祈りを捧げております」


 呆気に取られていると、勘違いしたのか、レインジールは焦ったように付け加えた。


「どうか哀しまないでください。これからは、私が羽澄様の翼の代わりになります」


 片翼の流星痕が刻まれた左手を、真摯な仕草で胸に押し当てる。

 夢より奇天烈な展開に、佳蓮の思考は停止しかけたが、髪の一房を細い指に絡めとられ、意識を呼び戻された。


「羽澄様は、全てと引き換えにこの国の柱になってくださいました」


「いや、何がなんだか……私、飛び降りたはずなんだけど」


「そうです。尊い御身を捧げて、天から舞い降りてくださいました」


「天から……」


「他国に比べて安定しているとはいえ、アディールも破滅のわだちをゆっくりと進んでいました。羽澄様の降臨により、天地開闢てんちかいびゃくの扉が開かれたのです」


「う、ごめん。全然判らない。私、デパートの屋上から飛び降りたはずなんだけど……」


「苦しい選択を強いてしまい、申し訳ありませんでした。羽澄様の堕天の苦痛に、今度は我々が報います。生涯を懸けてお仕えさせていただきます」


 青い瞳に決意を灯して、レインジールは告げた。恭しい手つきで、うねる黒髪の一房を手に取り、形の良い唇を落とす。

 その様子を、佳蓮は呆然と眺めていた。噛みあわぬ話の内容は頭から消え失せ、レインジールの唇に眼が釘付けになる。


「やめて」


 我に返って髪を取り返すと、レインジールは恥じ入るように視線を伏せた。


「ここは天国なんでしょ?」


「いいえ、羽澄様。ここはもう、天界ではありません」


 首を左右に振るレインジールを凝視したまま、佳蓮は沈黙した。

 天国ではない。

 天国ではない……だとすれば、次に眼を醒ました時、佳蓮はどこにいるのだろう?

 もし病院だとしたら――

 ぞぉっと、全身の血が凍りついた。

 今更、息を吹き返したりしたら、果たしてどのような事態に陥るのだろう?

 自殺を図ったことは、覆しようのない事実だ。

 遺書に詳しいことは敢えて書かなかったが、佳蓮を知る人間なら、佳蓮が何を苦に飛び降りたのか、想像に余りあるだろう。

 クラスメート達は今頃どうしているのだろう? いらぬ詮索を受けて、面倒だと思っているだろうか。

 家族は……家族は、めちゃくちゃになってしまっただろう。心の細い母は、責任を感じて寝込んでいるかもしれない。

 自分で蒔いた種だが、合わせる顔がない。

 学校を辞めたとしても、部屋に閉じこもる佳蓮を見て、両親や妹はどう思うだろう?

 呆れ果て、冷ややかな眼差しを向けるのか、憐れみの瞳を向けるのか――


(嫌だ。あそこへ戻るのは嫌!)


 胃がじっとりと重くなった。全部棄てたのに、どんな悪夢だ。


(嫌、嫌、嫌、嫌……)


 表情の剥落した幽鬼のような顔を、レインジールは痛ましげに仰いだ。膝に置かれた手を、小さな手で労わるように包み込む。


「大丈夫。私がついております」


 囁きは、佳蓮の耳に届いていない。手の温もりも、捕えることはなかった。現実世界を見失い、意識は混沌こんとんとした深海へと沈み込んでいく……





評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
cont_access.php?citi_cont_id=171048670&s
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ