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 泣き疲れて眠ってしまった佳蓮は、朝まだきに目を醒ました。

 空はまだ暗かったが、厚手のストールを羽織り、静かに外に出た。水平線を望める崖へと、足を向けた。

 切り立った崖上には、空の半分だけ雨雲が重く垂れて、不思議な明暗を(かも)していた。

 やがて、空の()(すそ)が色づいていく。

 水平線の彼方から、巨大な金属盤を巻きあげるようにして、朝陽がゆっくりと昇った。

 清らかな陽射しを浴びながら、心を決めた。

 ――時計塔へ帰ろう。

 レインジールに、会いに行こう。

 強い風が吹き、舞いあがる髪をおさえて躰がよろめいた。

 次の瞬間、唐突に腰へ回された腕に、心臓が口から飛びだしそうなほど驚いた。

「なんて場所に立っているのですか」

「レイン⁉」

 幻聴かと思った。

 信じられない想いで振り向くと、そこには強張った表情のレインジールが立っていた。

「どうして、こんな危ない場所に一人で来たのですか?」

「え……」

 言葉が続かない。あまりにも出来すぎた再会に、佳蓮は自分の願望が見せた幻なのではないかと疑ってしまう。

「聞いていますか?」

「……久しぶり」

「久しぶり、じゃないでしょう」

 最後に見た時から少しも(かげ)らぬ、いっそう冴え渡るような美貌が、呆れたように言う。

 大人びた顔立ちに、流れた月日を思った。

 夢にまで見た氷晶(ひょうしょう)(ひとみ)が、佳蓮を映して細められる。胸がいっぱいになり、目頭が熱くなった。泣くのを(こら)えて(まばた)きをしたが、涙は雫となって(こぼ)れ落ちた。

「佳蓮」

 美しい顔が、涙でぼやける。

 恐る恐る両手を伸ばすと、レインジールは苦しげな表情を浮かべて、佳蓮を抱きしめた。

「佳蓮。自分を責めないで」

「ごめんなさい……」

「貴方が謝ることなど、何一つありません」

「ごめん……ッ」

 その先は言葉にならなかった。

 むせび泣く佳蓮を、レインジールは黙って抱きしめ続ける。

「ずっと、ずっと、会いたかった」

 絞りだすように呟くと「私もです」と、レインジールが切なげに応えた。

 愛おしむように頭を撫で、赤くなった(まぶた)へそっと口づける。

 優しい慰めに、涙はとめどなく溢れた。

 どうして、この人はこんなにも優しいのだろう? 自分勝手に塔を飛び出した佳蓮を、少しも責めず、ただ温かな胸に抱きとめようとする。

「私が星杯(せいはい)の役目を終える時まで、傍にいてくれますか?」

 いつまで、一緒にいられるのだろう――不安な気持ちを読んだように、レインジールはほほえんだ。

「大丈夫です。貴方を死なせはしない。そのために、私がいるのです」

「全然、大丈夫じゃないよッ」

 声を詰まらせる佳蓮を、レインジールは包みこむように抱きしめる。胸に押し当てた頬に、少し速い鼓動が伝わり、胸が締めつけられた。今こうして、生きているのに。生きているのに!

「どうすればいいの? 私にできることはないの?」

「傍にいてください」

「いる。一緒にいよう。もう離れたくない……!」

 この決断をするために、この世界へ降りたのかもしれない。

 あの夜から始まった悲劇に、ようやく一つの答えを見つけた気がした。

 胸に(すが)りつくと、レインジールは耐えかねたような表情を浮かべ、佳蓮の指先をそっと取る。そっと、(うやうや)しく唇を落とした。

「もう限界です。もし次に、貴方がどこかへ行ってしまったら……私は何をしでかすか判らない」

「離れないよ。私はレインに会うために、この世界へ来たんだもの」

 レインジールは小さく息を呑んだ。

 佳蓮は(ひとみ)を閉じ、胸へ頬を押し当てた。早鐘を打つ鼓動を聞きながら、広い背中に腕を回す。

「ずっと待ってた。もっと早く、会いにきてくれたら良かったのに」

 腕をそっと外され、レインジールは佳蓮の手を白皙(はくせき)の頬に押し当てた。

「私を遠ざけたのは、貴方でしょう」

「……うん」

「責めるつもりはありません。私自身の問題です。会ってしまえば、二度と離れられないと判っていたから。次に拒まれたら、貴方を閉じこめてしまいそうで……それが怖かったのです」

 佳蓮は首を振った。

「私も、やっと判った。レインが好き。心変わりしていないか、ずっと怖かった」

 美しい(ひとみ)を覗きこんで告げると、花開くように、レインジールは表情を(ほころ)ばせた。

「私もです、佳蓮。嬉しい……とても」

「もう離れるのは嫌。一緒にいる方がいい!」

「……想像以上に、嬉しいものです。ここへ来るまで不安ばかりでしたが、今はただ、嬉しい」

 佳蓮の手を自分の頬に押し当てる彼の手の甲には、朱金の双翼(そうよく)が刻まれている。翼は大きく開き、今にも羽ばたきそうだ。

「私にできることがあるなら、何でもする。お願い……死なないで……っ」

 涙が頬を伝う。()(えつ)(こら)える佳蓮を、レインジールは強く引き寄せた。

「泣かないで、佳蓮」

星杯(せいはい)契約を解くことは、できないの?」

「……できません。魂に刻まれた誓いです」

「どうしても? 何か方法はないの?」

 緩やかに首が振られる。

「ありません。どうか苦しまないでください。私は少しの後悔も、恐怖もないのです。ただ、佳蓮の負担になることだけが、怖い」

「嫌だ、一人にしないで。私も連れていってよッ」

 頬を大きな掌に包まれて、上向かされた。狂おしい光を(たた)えた(ひとみ)に、涙に濡れた佳蓮が映っている。

「今すぐ消えるわけではありません。明日も明後日も、佳蓮と一緒に過ごせます」

 顔中に優しいキスが雨と降る。濡れた(まぶた)、熱を持った頬、鼻の頭、唇にも……

「お願いです、泣かないで。今、悲しむのはやめましょう?」

 そう言うレインジール自身も、今にも泣きだしそうな顔をしている。

 涙を(ぬぐ)って、どうにか笑みを(こしら)えると、レインジールもほっとしたように口元を緩めた。

「ここにいては、風邪を引いてしまいます。オルガノ様のところに戻りましょう」

「……うん」

 腰を力強い腕に支えられ、佳蓮は大人しく身を委ねた。

 道すがら沈んだ空気でいたが、屋敷に戻り、楽しげなオルガノの顔を目にした途端、二人とも肩の力が抜けた。

「不器用な男だと思っていたけど、レインジールもなかなかやるじゃないか。流星の女神の心を、本当に()止めるとはね!」

「オルガノ様……」

「でも、まだまだ女心が判っちゃいないよ。私に感謝するんだね」

 反論もせず黙って席につくレインジールを見て、佳蓮は新鮮な気持ちを味わった。

 冷静で明晰(めいせき)なレインジールが、オルガノの前では年相応の若者に見える。本当に、師とその弟子なのだ。

「これを飲んで、二人で時計塔にお帰り」

「はい。ありがとうございます、オルガノさん……」

 優しい紅茶の味が喉を伝い、自然と涙が溢れた。

 オルガノの傍は、本当に居心地が良かった。彼女がいなければ、レインジールが傍にいない月日を、耐え忍ぶことはできなかっただろう。

「……また、会いに来てもいいですか?」

 涙声で(たず)ねると、オルガノは破顔した。佳蓮の頭を、変わらず優しい手つきで撫でる。

「当たり前じゃないか! 遠慮なんていらないよ。いつでも遊びにおいで。待っているから」

 目尻に皺を寄せて、磊落(らいらく)に笑う。

 この素敵な女性に、どれほど救われたろう――佳蓮は涙に濡れたまま、心からの笑顔を浮かべた。

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