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「あの子には言うなと、頼まれているんだけどね……」
オルガノは一拍置き、静かに続けた。
「星杯契約者は、主の運命を引き受けて、最後は死ぬんだ」
すぐには、言葉の意味が理解できなかった。
「え……?」
唖然とする佳蓮を、オルガノは深淵を湛えた銀色の双眸で見つめている。
「レインジールの手に流星痕があったろう? あれはね、客星の限界が近づくほどに成長するんだよ」
「……翼の形をした、あれ?」
「そうだよ。完全に育ちきった時、主の身代わりとなって、散るのさ」
「……身代わり?」
「客星がこの物質界に留まるには、莫大な熱量が要る。その代償として、星杯契約者は命を燃やすのさ」
喉が鳴った。
「……じゃあ……レインは、どうなるの?」
「肉体も、魂も燃やして、この世から消える」
佳蓮は言葉を失った。
「……嘘でしょ……?」
震える声で、必死に否定を探す。
「流星痕が……あれのせいで……?」
「もう双翼になっている。羽ばたく寸前だよ」
オルガノは静かに続けた。
「佳蓮の星杯が満ちるまでに、間にあわないだろう」
世界が、音を立てて崩れた。
「本当に? どうして、私の身代わりに、レインが……っ」
「星杯契約者の宿命さ。選べるものじゃない」
千里を見通すような銀色の双眸に、佳蓮は慄然とした。
「……本当に? レインは、死ぬの……?」
「そうだよ。あの子は、佳蓮の負担になることを恐れて、最後まで黙っているつもりだ。だけど、それじゃあ、お互いに不幸じゃないか」
あまりのことに言葉がでてこない。茫然としながら、ふと閃いた。
「……これが……私の罰なの?」
年を取らず、時の流れに取り残されることが、自殺に対する贖いだと思っていた。
――本当の罰は、愛する人を失うことだったの?
「佳蓮、絶望しちゃいけないよ」
叡知を秘めた銀色の眼差しに、心を覗きこまれた。
「……星杯を満たせれば、レインは死なずに済むんですか?」
「そうだよ」
「どうすれば、満たせるんですか……?」
オルガノは哀しそうに佳蓮の頭を撫でた。
「苦しみが癒えて、心が潤えば自然と満ちるだろう。焦っても、仕方のないことだよ」
佳蓮は首を振った。
「でも、このままだとレインが死んじゃうんでしょ? どうにかできないの?」
「だから、会いに行きなさい」
オルガノは、はっきりと言った。
「レインジールに会いに行きなさい。あの子の傍にいることが、一番の近道だろうから」
「じゃあ……結局、私が時計塔を出たことは、全部無意味だったの?」
「無意味なんかじゃない」
きっぱりと、オルガノは否定した。
「ここへ来るまでの全部が、星杯を少しずつ満たしたんだ」
「でも、間に合わないって……私のせいで、レインが……っ」
「運命は、定まらぬ天災のようなものさ」
とうとう佳蓮は、崩れ落ちた。
「……私……生前……自殺したんです。楽になりたくて……命を棄てたんです。だから今、こんな目に遭っているんでしょうか?」
「……辛かったね」
頭を撫でられて、ぽろっと涙が零れた。
堪え切れない嗚咽が、喉の奥からこみあげる。口を両手で塞いだが、止まらなかった。
「うぇ、ふぅ……ッ……私――」
瞼の奥に、遠い故郷が蘇った。
遥かな世界。美しい和の国、日本。家族の待つふるさと。
髪を撫でる手に縋りつきながら、迸る思いそのままに過去を、罪を、打ち明けた。
中学生の頃――
毎朝、俯く佳蓮の手を、母は黙って引いた。小言の多い凡庸な人だったが、優しい人だった。
学校の正門から少し離れた所で足を止めると、行ってらっしゃい、帰りも迎えにくるからね。
励ますように背中に声をかけてくれた。
俯いたまま、行ってきます、とぼそぼそ応える佳蓮の背中を、母はじっと見つめていた。
いじめに苦しむ佳蓮を見兼ねて、母は休学してもいいと言ってくれたが、頑固な父は許さなかった。
学校を辞めてどうするのだ。いじめだって、同級生の意地悪の延長だろう。学校を休みたい口実ではないのか。
強い口調で責められると、気の弱い佳蓮も母も強くは言えず、終いには口を噤んだ。
暗澹たる日々が続き、自殺に片足を突っこんだ薬の過剰摂取で倒れると、頑固な父も態度を改めた。
進級は半ば諦めていたが、学校から日数はぎりぎり足りていると提案を受けて、頑張って登校しようと両親と話し合った。
それでも、送り迎えがないと学校に行けなかった。
――みっともない娘でごめんなさい。
毎朝、自己否定と憂慮に苛まれながら、歯を食いしばって学校に通った。震える手を叱咤して、一人も味方のいない教室の扉を開いた。足の震えを堪えて、机にかじりついていた。
あの頃は、自分のことで精一杯だった。でも、そんな佳蓮を見て、家族はどんな気持ちでいたのだろう?
話し始めたら止まらなくなり、堰を切ったように過去を披瀝した。
魂の告解に、オルガノは黙って耳を傾けた。泣きじゃくる佳蓮の髪を撫でながら、
「そりゃぁ、哀しいよ。佳蓮が哀しんでいるのと同じくらい、家族も哀しんでいるよ」
静かな囁きが、胸に堪えた。
「……ッ……ごめんなさい……っ」
泣きながら、母を詰ったこともある。
――もっと綺麗に生まれたかった‼
悲しそうな顔を見ても凶暴な感情が治まらずに、生まれ持った姿を否定して、酷く責めたてた。
心ない言葉で母を泣かせて、父に頬を張られて。部屋に閉じこもり、ひりつく頬を手で押さえながら、私は世界で一番不幸な子供だと本気で思ったりした。
『ごめんなさい、お母さん。お父さん』
遠い故郷の言葉、久しぶりの日本語を、唇はちゃんと覚えていた。
遺書に、許してほしい、と綴った。顔も見ずに、あんな紙きれで詫びて、救いようのない愚か者だ。
「こんな親不孝をして、私、どうやって謝ればいいの……レインだって……私がいて、いいことなんて一つもないじゃんッ‼」
「誰も怒っちゃいないよ。神様だって、哀しい話に胸を痛めても、怒っちゃいない」
今になって、手を引いた母の優しさが身に堪える。心配そうに見送る妹の眼差し。短気をぐっと堪えて、佳蓮を見守る父。家族の優しさに、いったい何を報いたのだろう。
「ああぁぁ……ッ」
酷い話だ。悲しい話だ。なんて寂しい話なんだろう。誰も救われない、哀しい物語。
「佳蓮。レインが待っているよ」
「あ、あ、合わせる顔がない……っ」
人を愛し、生に執着した今、命を棄てた罪が問いかける。どうして飛び降りたの?
「大丈夫、あの子は佳蓮のことが大好きなんだから。怒っちゃいないよ」
逝かねばならない苦しみ、残される者の苦しみ、残していく者の苦しみ。混沌とした、無限の苦しみに突き落とされて、佳蓮はオルガノにしがみついた。
「ふぅっ……ごめ、ごめんなさい……か、悲しませて、私が、私のせいで……っ!」
「佳蓮、人生ってのは、苦楽を煎じ詰めたものさ。全部終わって、辛くて堪らなかったら戻っておいで。とっておきのハーブティーを煎れてあげるから……」
オルガノの声は賢者のように理知的であり、そして柔らかかった。
優しく髪を撫でるオルガノの膝に顔を埋めて、子供のように声をあげて泣いた。




