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誕生日の夜から、レインジールを避けていた。
部屋に籠り読書に耽るのはいつもの日常だが、今回は逃げているだけだ。
胸中を察しているのだろう。レインジールは部屋から出ようとしない佳蓮を、無理に引きずりだそうとはしなかった。
けれど七日も経つと、食事量が減ったことを案じて、夕食に誘われた。
「……せっかくだけど、今夜も部屋で食べていい? 野菜スープと飲み物と、果物だけでいいから」
目を合わせず、ぼそりと告げた途端、顔に穴が空きそうなほど強い視線を感じた。
「それでは少なすぎます」
「平気。調理するなら、簡単なものでいい。食事に時間をかけたくないの」
「佳蓮、食事を取る時間も惜しいほど、本を読んでいたいのですか?」
「うん」
上目遣いに見ると、レインジールは困ったように眉を寄せた。
「心配なのです。貴方が食べている姿を、この目で見たい」
「……」
「食べたいものを教えてください。何でも用意します」
「……本当はね、毎日決まった時間に食事をするのが嫌なの。お腹が空いた時に、食べたいものを食べたい。それじゃ駄目?」
「そうだったのですか?」
穏やかな声音なのに、我儘を責められている気がして、胸が痛んだ。俯いたまま、小さく頷く。
「……ごめんなさい。一人でいたい」
それ以上、レインジールは追及しなかった。
それから二人の生活は、自然とすれ違い始めた。
佳蓮は部屋に籠り、レインジールは仕事に追われ、星導局の工房に詰めるようになり、言葉を交わさぬ日が続いた。
これほど長く口を利かないのは、初めてだった。
このままではよくないと思っても、きっかけを掴めぬまま、無為に日が流れた。
ある朝。私室に、薔薇の花束とメッセージカードが届いた。
〝貴方が笑顔でいてくれますように〟
優しい言葉を胸に抱いて、佳蓮は俯いた。
どれほど忙しくても、彼はこうして想いを届けてくれる。臆病な佳蓮とは大違いだ。
――いつまでも、逃げてはいられない。
彼の想いに、きちんと向きあわなければ。
差し入れを手に、勇気を出して工房を訪れた。突然の来訪にレインジールは驚いた顔をしたが、すぐに嬉しそうに破顔した。
「ようこそ、佳蓮」
「忙しいのに、お花とカードをありがとう」
「いいえ」
「嬉しかった。薔薇ね、寝室に飾ってあるよ。一輪でもよく香るよね」
「喜んでくださって、良かった」
「うん……」
一瞬の沈黙。
「……少し、話せる?」
「もちろんです。少し、待っていてもらえますか?」
「いいよ。星を肴に一杯やろう」
佳蓮が笑うと、レインジールも嬉しそうに頷いた。
塔内星路陣で最上階の天文宮にあがると、満点の星空の下に並んで腰をおろした。藤の籠から林檎酒を取りだすと、レインジールは目を輝かせた。
林檎酒を口に含みながら、久しぶりの穏やかな時間に、言葉は自然と弾んだ。
――けれど、肝心な話は切りだせない。
タイミングを計りながら、オリーブをつまみに、気がつけば結構な量の林檎酒を煽っていた。
本人も知らぬことだが、酔うと、佳蓮は普段よりも気が大きくなり、大胆になる。やっかいなことに、普段は押し隠している意地悪な感情が表に現れてくるのだ。
「ねぇ、本当は自分のこと、綺麗だと思ってるんでしょ?」
意地悪く笑うと、レインジールは佳蓮の手からグラスを取りあげた。
「酷い冗談ですよ。飲みすぎです」
「知ってるでしょ。私は根性の曲がった、意地悪な女だよ」
冷たく自分を嗤う佳蓮を見て、レインジールはほほえんだ。
「貴方は、誰よりも美しくて、かわいい人ですよ」
佳蓮は照れ隠しに、顔の前で手を振った。
「当てにならない。レインの美的感覚は崩壊してるから」
「そんなことはありません。私はこれでも唯美主義に精通しています。佳蓮は本当に綺麗です。目の眩まない男はいないでしょう。おまけに無防備で……惹かれない方が無理です」
佳蓮は笑って誤魔かそうとしたが、レインジールの真剣な表情は変わらなかった。
「……このままじゃ、駄目なの? ずっと、仲のいい姉弟みたいに過ごしてきたじゃん」
「貴方は稀なる客星であり、天真爛漫な女神であり、慈しむ姉であり、気のおけない友人であり……触れたくて堪らない、愛しい女です」
「レイン」
「叶うことなら――」
「待って!」
言葉を遮った途端に、抱きすくめられた。躰が軋むほどの力だった。
「レイン!」
喘ぐように呻くと、僅かに腕の力は緩んだが、レインジールは離そうとしない。顔を寄せられて、咄嗟に形のよい唇を両手で塞いだ。至近距離で見つめ合う。
〝貴方が好き。愛している〟
熱を灯した眼差しが雄弁に物語る。佳蓮は渾身の力で、腕を突きだし、レインジールから距離をとった。
「言っちゃ駄目」
「佳蓮……もう、想いを抑えることは難しい。貴方を見ているだけで、愛しさが溢れてしまう」
言葉に詰まる佳蓮に、レインジールは手を伸ばす。頬に触れられる前に、身をよじって逃げた。哀しみに染まる顔を見て、胸に罪悪感がこみあげるが、その場から動けなかった。
「……この想いは、佳蓮にとって迷惑でしかないのでしょうか?」
「……あべこべなんだよ、私達。本当に綺麗なのは、レインなのに」
「そう思ってくださるなら、離れていかないで……佳蓮の嫌がることはしません。気持ちを押しつけたりもしません」
胸に手を当てて騎士のように告げる姿は、誠実で、清廉だった。佳蓮の心を汲み取り、能う限りの言葉で尽くそうとしてくれている。
こんなに素晴らしい人は、世界中を探したっていやしないだろう。
今この瞬間が、二人の分岐点だ。
彼に依存して懶惰に過ごす日々は楽で、居心地がよくて、麻薬のような陶酔感があるけれど、いつまでも無邪気な自己欺瞞に浸ってはいられない。
人生行路の端緒に立ち、胸の痛みを堪えて、永訣の覚悟を決めた。
「……ごめんね」
レインジールの傷ついた顔を見ながら、佳蓮は決定的な言葉を口にした。
「もう、一緒にはいられない」




