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奇跡のように美しい人  作者: 月宮永遠
3章:決意
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21

 時計塔の六十二階。

 四阿あずまや籐椅子とういすで、佳蓮は夕涼みをしていた。

 梢の揺れる音に瞳を開けると、視界一面に金色が飛び込んでくる。天井から、滝のように流れ落ちるミモザの群だ。

 異国の空の下で、燃える落陽を浴びていっそう輝いている。金と藍色の組み合わせを眺めていると、ふと在りし日の記憶が蘇った。

 東京の夏。

 く夏に叫ぶ、かまびすしい蝉の声。

 うだるような八月の暑さ。うなじを焦がす太陽光線。夏休みの切実な哀愁。

 学校に行く必要のない夏休みを、いつも心待ちにしていた。夏休みが始まると、外へ出掛けもせず部屋に籠り、昏れなずむ空を仰いでは溜息をついた。

 夏の黄昏は、冬よりもずっと侘しかった。

 妙に感傷的になっているのは、今日がレインジールの十七歳の誕生日だからかもしれない。

 この日がくることを、長く恐れていた気がする。

 時を止めたままの佳蓮の隣で、レインジールは蕾が開花するように美しく成長していった。

 彼が十七歳を迎える日を、遥かな時の向こうのように感じていたのに、いつの間にか追いつかれてしまった。

 この先は、追い越されていく一方かと思うと、背筋が凍りつきそうになる。その正体は、てしない茫漠ぼうばくの時の流れの中で、たった一人取り残されてしまう恐怖だ。

 薄い酸素を吸うような息苦しさは、哀愁漂う夏休みの黄昏を佳蓮に思い出させた。


「――佳蓮。ここにいたのですか?」


 逢魔おうまが時に木陰から現れたレインジールは、佳蓮を見つけて嬉しそうに微笑んだ。

 すらりと伸びた背は、佳蓮よりずっと高い。綺麗なアルトの声は深みのある声に変わり、頬の丸みもとれて、玲瓏れいろうたる美貌に変わった。彼は、奇跡のように美しい。


「ちょっと寝てた……」


 身体を起こすと、隣にレインジールが腰かけた。背中に垂らしている黒髪を、優しい手つきで梳く。

 昔は、こんな風に触れることはなかった。少し顔を寄せるだけで、真っ赤になっていた純情な少年だったのに。

 いつからだろう? 見上げるようになったのは。瞳の奥に、熱を灯すようになったのは。


「レイン、お誕生日おめでとう」


 複雑な感情に蓋をして、佳蓮はほほえんだ。


「ありがとうございます」


「お菓子を焼いたんだよ。後で食べようね」


「ありがとうございます。楽しみにしていますね」


 笑顔が眩しくて、佳蓮はそっと視線を逸らした。さりげなく彼の手から髪をとりかえして、席を立とうとすると、手を掴まれた。


「佳蓮」


「何?」


「祝福はしてくれないの?」


 一瞬、言葉に詰まったものの、佳蓮は大人しくレインジールの傍に座り直した。少し背伸びをして、白い頬に軽く口づける。


「おめでとう。レイン」


「ありがとうございます……佳蓮」


「ん?」


「唇には、してくれないのですか?」


 笑いかけても、レインジールは誤魔化されてくれない。じっと見返してくる。

 青い瞳の奥に、熱が灯る。

 直視できずに、佳蓮はそっと視線を逸らした。

 もう、昔のように彼をからかって遊ぶことはできない。向けられる一途な眼差しは、いつの間にか、熱を帯びたものに変わってしまったから。


「佳蓮、こちらをを向いて」


「……手、離して」


「佳蓮。私にキスをして」


「今したよ」


「もう一度、唇に」


「……」


「佳蓮」


「嫌」


 顔を背けると、頬を両手に包まれて、正面を向かされた。


「私の誕生日なのに?」


「……判ったよ」


 怯みそうになる心を奮い立たせて、レインジールの襟を掴んで引き寄せた。形の良い唇に、そっと唇を重ねる。一瞬の触れあい。すぐに離れようとしたが、腰に腕を回されて引き寄せられた。


「貴方の眼に、私は今でも十歳の子供に映っていますか?」


「え……」


 顔を上げると、強い光を灯した青い瞳に射抜かれた。


「もう、慈しみの口づけだけでは足りません」


「こら、我慢しなさい」


「佳蓮」


「ねぇ、離して」


「唇が欲しい」


「駄目。唇は、私とじゃなくてさ、恋人としなよ。レインなら、きっとかわいい子が幾らでも見つかるよ」


「佳蓮が世界で一番かわいい」


「もう、レインってば……」


 冗談にしてしまおうと佳蓮は笑ったが、レインジールは少しも笑わなかった。


「貴方は私を傍に置いてくださるけど、いつまで経っても、変化を受け入れようとはしてくださらない」


 熱を帯びた空気を肌に感じて、佳蓮は立ち上った。すかさずレインジールに手を引かれて、胸の中に転がり込んだ。


「ッ!?」


 唐突に、唇を塞がれた。

 やんわりと食まれて、吸われる。ちゅ、と濡れた音が響いて、心臓はドッと音を立てた。

 硬直する佳蓮を、力強い腕が抱きしめる。うなじの後ろに掌が潜り込み、後頭部を引き寄せられた。顔を傾けて、口づけは深くなってゆく。

 これまでにも、頬や額に、触れるだけのかわいいキスなら幾度も繰り返してきた。けど、こんなキスは知らない。

 唇のあわいを、優しく舌でつつかれた。唇が戦慄わなないて、涙が出そうになる。

 顔がゆっくりと離れる。

 涼しげな青い瞳の奥に、熾火が揺らいでいる。

 仄かに上気した顔。濡れた唇が艶っぽくて、佳蓮は首から上に熱が昇るのを感じた。ずっと隣で見てきたはずなのに、知らない男の人みたいだ。

 再び迫ってくるレインジールの肩を、佳蓮は腕を突き出して押し留めた。これ以上距離を詰めるようなら、暴れてでも逃げ出すつもりだった。

 本気の拒絶が伝わったのか、青い瞳に抑制の光が閃いた。姿勢を正すと、礼儀正しく佳蓮の手を両手で包み込む。


「……キスをありがとう、佳蓮」


 小首を傾けてほほえむ綺麗な顔は、喜びに満ちて、いっそう煌めいている。綺麗だけど骨ばった男らしい手に視線を落として、佳蓮は小さく頷いた。

 無理だ。

 もう、どうやっても、年下のかわいい少年とは思えない。

 背はとうに追い越されたし、華奢に見えても、服の下にはしっかり筋肉がついている。腕も胸も硬い。手だって、綺麗だけど骨ばっていて佳蓮とはまるで違う。海のように青い瞳には、憧憬や敬愛ではなく、もっと強い熱が灯っている。

 永遠に埋められない溝が広がっていく。


 もう、一緒にいるのは限界なのかもしれない。





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