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奇跡のように美しい人  作者: 月宮永遠
2章:謳歌
20/42

18

 夏の終わり。

 地方伯の庭園喫茶に招かれた佳蓮は、同席しているシリウスを冷静に眺めていた。

 彼は、地味な容姿をしていると思う。切れ長の一重や平坦な顔立ちは、よくよく見れば整っていなくもないが、レインジールと比べたら雲泥万里の差がある。

 しかし、佳蓮以外の人にとって、彼は非の打ちどころの無い麗しの皇子様なのだ。実際、娘達は、少しでも彼の眼に留まりたくて、けんを競っている。

 シリウスのすごいところは、毀誉褒貶きよほうへんに動じず、柔和な態度を崩さないところだろう。今も令嬢に囲まれて、四方から声をかけられているが、菩薩のような笑みを湛えている。リグレットが、彼を権謀術数の百戦錬磨と評していたのも頷ける。

 ふと眼が合い、佳蓮は誤魔化すように微笑んだ。

 シリウスは眼を瞬かせると、ほんのりと目元を染めた。はにかむ皇子を見て、令嬢達はうっとりとしている。キララだけは、不倶戴天ふぐたいてんの仇を見るような瞳で睨んできた。

 彼女は彼に恋をしているから、佳蓮に惹かれているシリウスの姿を見るのは苦痛だろう。

 人の恋路の邪魔はしたくないのに、美しすぎる我が身を時々疎ましく感じる。すごい悩みだな、と佳蓮は自嘲気味に席を立った。


「少し庭園を歩いてきます。皆さま、どうぞごゆっくりなさっていてください」


「私もご一緒してよろしいでしょうか?」


 追い駆けるようにシリウスが席を立ったので、佳蓮は慌てた。


「主役が抜けてはいけませんよ。気ままに歩きたいので、どうかお気遣いなく」


 名残惜しげな皇子に軽く会釈をして、佳蓮は逃げるように背を向けた。

 素敵な庭園喫茶だが、やはりシリウスがいると気疲れしてしまう。

 そろそろ帰ろうかしら……ぼんやり考えながら、藤やクレマチスのからまる石柱の回廊を歩いていると、


「ハスミ様」


 背中に声をかけられて、心臓が撥ねた。振り向くと、優雅な足取りでシリウスが近付いてくる。


「あら?」


「共もつけずに、お一人で歩いてはなりません」


「でも、庭園の中ですし」


 困ったように笑う佳蓮を見て、シリウスはため息をついた。


「油断は禁物です。一般公開もされている庭園ですよ。貴方のような佳人が一人でいれば、声をかけたくなる男が後を絶たないでしょう」


「それは……ご心配いただき、ありがとうございます。そろそろ戻りますね」


 もう少し庭園を見ていたかったが、二人きりになるのは勘弁して欲しい。


「良ければ、一緒に歩きませんか?」


「え、でも……キララ様は?」


「まだ席で茶会を楽しんでいますよ。私もちょうど、歩きたい気分だったのです」


 はにかむシリウスを見て、佳蓮は眼を眇めた。


「いけませんね、婚約者を置いてくるなんて。他の令嬢も、残念に思っているのでは?」


「ハスミ様は、残念に思ってくださらないのですか?」


 苦笑で返されて、佳蓮は言葉に詰まった。適切な言葉が見つからず、戻りますね、と呟いて背を向ける。


「お待ちください」


 シリウスにさり気なく手を取られて、佳蓮は渋々並んで歩き始めた。


「時計塔の暮らしは、いかがですか?」


 注がれる、賞賛に満ちた熱っぽい眼差し。

 居心地の悪さを感じながら、佳蓮はさり気なく視線を落とした。


「よくしていただいております」


「困ったことがあれば、いつでもおっしゃてくださいね」


「はい。ありがとうございます」


 望まぬ展開に佳蓮は困っていたが、シリウスも落ち着かない気分にさせられていた。これまで、何でも選ぶ立場にあった彼にとって、女性の関心を得られないというのは初めての体験である。

 柔和な笑みの下に隠された戸惑いを、佳蓮は知らない。ただ無関心に口を閉ざしていた。

 逃げ道を探していたところへレインジールの姿を見つけて、雲間から射す光を見た心地がした。


「レイン!」


 シリウスの腕に添えていた手を外し、スカートの裾を摘まむ。駆け出そうとした瞬間、シリウスに腕を引かれた。


「シリウス皇子?」


「そんな風にいってしまわないで。せめて、送らせてください」


 予想外に真摯な眼差しを向けられて、佳蓮はドキリとした。

 視線から逃げるようにレインジールを見ると、物憂げな表情でこちらを見ていた。


「ハスミ様!」


 気付けば駆け出していた。背中にシリウスが声をかけるが、佳蓮は振り向かなかった。


「レイン」


 呼吸を整えながら上目遣いに仰ぐと、レインジールは驚いたように佳蓮を見つめた。


「きてるなら、声をかけてよ」


 拗ねたように佳蓮がいうと、レインジールは表情を綻ばせた。佳蓮の頬を両手に包みこみ、額に唇を落とす。いきなり何をするのだ。顔を思いきり逸らすと、レインジールは嬉しそうに微笑んだ。


「お迎えにあがりました」


「羨ましいですね。レインジールを見て、思わず駆け出してしまうとは」


 柔和な笑みを湛えて、シリウスは傍へやってきた。レインジールは胸に手を当てて、忠実な騎士のように一礼する。シリウスは鷹揚に片手で応えながら、金色の瞳を佳蓮に向けた。


「残念ですが、時間のようですね。今度は私にエスコートをさせてくださいね」


 困ったように黙す佳蓮の手を取り、シリウスは眼を合せたまま、ゆっくり唇を落とした。素振りではなく、本当に唇が肌に触れた。手を放されると、思わず胸の前で手を組み合わせる。


「それでは、また」


 爽やかな笑顔でシリウスが去っていった後、二人の間に何ともいえぬ気まずさが流れた。


「……今日は茶会に呼ばれていたはずでしょう? こんなところで、殿下と何をしていたのですか?」


「見つかったから、一緒に少し歩いていただけだよ。途中で抜けたら、皇子が後を追い駆けてきたからさ」


「抜けた?」


「うん。そろそろ帰ろうと思ってた。いいところにきてくれたよ」


 レインジールは強張った表情で口を開いた。


「……佳蓮も、シリウス皇子に惹かれているのではありませんか?」


「えぇ?」


 胡乱げにめつけると、レインジールは失言を悔いるように視線を逸らした。

 まるで嫉妬しているようだ。いや、気のせいではなく、シリウスに嫉妬している。

 今でも信じ難いが、ここでは、恐ろしいほどの美貌を持つレインジールは凡人以下の容姿で、凡人たるシリウスこそが麗しの皇子様なのだ。


「シリウス皇子のことは、嫌いじゃないけど好きでもないよ。それに私、キララ様を影ながら応援しているから」


 ニベもなく佳蓮がいい放つと、レインジールは俄かには信じ難い、といった表情を浮かべた。


「彼はアズラピス殿下と共に、帝国の碧玉、光芒を放つ天子と、波濤はとうを越えて讃えられる、アディール帝国の皇太子ですよ」


「知ってるよ。否定はしないけど、別に惹かれない」


「……前から思っていましたが、佳蓮の好みは少々変わっていますね」


「レインにだけはいわれたくない」


「は?」


「別に。文句ある?」


「いいえ。殿下の魅力が貴方に通じなくて、ほっとしています」


「私の一番は、レインだから」


 大好きのあかし。そんなつもりで告げたが、レインジールは黙ってしまった。


「あ、そういう意味じゃなくて」


「そういう意味?」


「えっと……」


「教えてください」


「だから、弟のように気安いというか、レインは本当に特別だから」


「……弟?」


「うん」


 大分目線は近くなったが、彼はまだ一四歳だ。

 嘘はいっていないはずのに、軽薄な言葉に聞こえてしまうのは、レインジールが苦しそうな顔をするからだろうか。


「光栄です。でも、貴方は私が想うようには、想ってくださらないのですね」


「レインー……」


 いかにも困ったという声が出た。レインジールは悲しそうに顔を俯ける。


「私の気持ちを、知っているのでしょう?」


 言外に責められて、佳蓮は俯いた。

 両手首を掴まれて、肩が震える。顔を上げられずにいると、さらりと流れた銀髪が頬に触れた。


「ッ!」


 朱くなっているだろう耳朶に、柔らかな唇が触れる。とろりと蜜を流し込むように、佳蓮、と囁かれた。


「困らせてすみません……どうしようもないほど、貴方に惹かれてしまう私を、どうか許してください」


 言葉の意味を理解すると共に、カッと身体が熱くなった。

 信じられないほど、心臓が早鐘を打っている。心は浮き立ち、酩酊したように頭がクラクラする。

 甘い感情に戸惑いながら、漠然とした恐怖も感じていた。

 この先、どうなってしまうのだろう……知ることが怖い。少しも定まらない未来に戦慄する。

 心にわだかまる疑問から逃れるように、佳蓮きつく眼を瞑った。





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