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奇跡のように美しい人  作者: 月宮永遠
2章:謳歌
18/42

16

 アディールの夏。

 国中が熱狂する、賑々(にぎにぎ)しい降臨祭が幕を開けた。

 降臨祭は、流星の女神信仰における主要儀式の一つで、四年に一度、七日に渡って催される。

 二年前、佳蓮がアディールに降臨したことで、王都ヘカテルの聖教区は、現在世界最高の聖地に認定されていた。

 降臨祭ともなれば、砂や海の波濤はとうを越えて、あらゆる人間がアディールに集まる。大通りは活気に満ち溢れ、連日大盛況だ。

 昼は、白薔薇騎士団の騎馬隊や楽士達がマロニエ並木の大通りを闊歩して、観衆の眼を愉しませている。麗しい騎士とお近づきになりたくて、若い娘達はお洒落をして、パレードの最前列を競うのだ。

 大通りに面した見晴らしの良い一等貴賓席から、佳蓮はその様子を眺めていた。

 お愛想程度に、騎士が通る度に薔薇を一輪、花道に投げ入れる。そこに特別な感情はなかったが、凛々しい礼装姿の騎士達は、佳蓮を仰いで誇らしげに敬礼を返した。

 レインジールの率いる、星詠魔導師達の騎馬隊が近付いてくると、佳蓮は薔薇を投げ入れると共に、名を叫んだ。


「レイーンッ!」


 騎馬したレインジールは、佳蓮に気付いて眼を瞠った。はっとするほど眩しい笑みを閃かせ、大きく手を振る。佳蓮も腕を振ると、観衆達は興奮したようにワッと手を鳴らした。

 軽快な演奏が始まり、人々が輪になって踊り始めると、佳蓮はレインジールの姿を探して席を立った。


「踊っていただけませんか?」


 振り向くと、手を差し伸べるシリウスがいた。佳蓮は一歩下がると、お辞儀をした。


「せっかくですが、踊りは苦手なんです」


 断られるとは欠片も思っていなかったのだろう。シリウスは驚いたように眼を瞠ると、すぐに柔和な笑みを浮かべた。


「そうおっしゃらずに。堅苦しくない気楽なダンスです。どうか一曲お相手を」


 どう断ろうか考えていると、ふと、人の輪の中にキララの姿を見つけた。平凡を判で押したような顔が、不機嫌そうにこちらを睨んでいる。慌ててシリウスに視線を戻すと、勢いよく頭を下げた。


「ごめんなさい。本当に苦手なんです」


 逃げるように群衆に溶け込んでも、声をかける者は後を絶たない。

 呼び止める声を愛想笑いで躱しながら、なるべく人気の少ないところを目指した。

 小路を抜けていくと、ちょっとした広場に出た。噴水の傍に、見知った顔を見つけて思わず足を止める。

 俯いていて顔はよく見えないが、ジランだ。小柄な少年を、背の高い複数の魔導師が囲んでいる。

 どうも雲行きが怪しい。肩からかけた鞄を奪われて、ジランは弾かれたように顔を上げた。泣きそうな顔をしている。

 どうしよう。

 同い年の子達は、周囲にちらほらいるようだが、誰も止めようとしない。けれど、佳蓮が割って入れば注目を集めてしまうだろう。

 よく見れば、ジランに絡んでいるのは、先日も絡んでいた生徒ではないか。確かリュウという名前だった。

 必死に鞄を取り返そうとするジランの腕を、リュウは軽く捻って地面に転がした。起き上がろうとする身体を、足で踏みつける――


「何をしているの?」


 我慢できずに、佳蓮は前に進み出た。


「女神様!」


 リュウはジランから距離を取ると、慌てて姿勢を正した。


「遊んでいただけです」


 しれっと応える地味顔を、佳蓮は呆れた目で見つめた。


「鞄を奪って?」


 冷たい声で問いかけると、リュウは俯くジランに鞄を手渡した。


「ほら、返すよ。ちょっとふざけただけだ。そうだろ?」


 無邪気な悪意は伝播でんぱし、遠巻きに眺めている見物人の間から、ちらほら忍び笑いが漏れた。

 一瞬、ジランは瞳に怒りを灯した。すぐに顔を伏せると、無言で鞄を受け取る。

 佳蓮がめつけると、リュウは少したじろいだが、ふてぶてしくもにっこりと微笑んだ。


「女神様、これから魔法劇の演目が始まります。良ければご一緒しませんか?」


 悪びれもなく、仲間を従えて平然としている少年に、燃えるような怒りを覚えた。差し伸べられた掌を、衝動的に叩き落とす。

 パチンッと小気味いい音が鳴った。

 リュウは、何が起きたのか判らない。そんな顔で呆然と佳蓮を仰いでいる。


「痛かった? “ちょっとふざけただけだ。そうだろ?”」


 口真似をすると、少年だけではなくジランまで呆気にとれらた顔をした。


「今、君がジランにしたことだよ」


 ようやく佳蓮の勘気に気付いたリュウは、余裕のある笑みを消した。戸惑った表情で姿勢を正す。


「……すみませんでした」


「うん。私もごめんね。でも、どうして叩いたか判る? 誰だって、適当にあしらわれたら哀しいんだよ」


「……はい」


 今度こそ悄然しょうぜんと俯く少年を、たっぷり十秒は無言で見下ろした後、佳蓮は傍観していた周囲に視線を走らせた。全員が怯んだ様子を見て、佳蓮は昂った感情のままに口を開いた。


「笑っていた子も、考えてみて。逆の立場だったらどう? 自分が笑われたら、どう思った?」


 しん、と沈黙が流れた。視線が合うことを恐れるように、誰もが下を向く。


「他人の痛みが判らない人は、いつか自分が苦しむことになるよ」


 佳蓮の悋気が漏れて、風が荒れ始めた。

 くん、と袖を引かれて視線を落とすと、ジランが泣きそうな顔で佳蓮を見ていた。首をふるふると左右に振って、気持ちを伝えてくる。

 感情を揺さぶられ、佳蓮は言葉に詰まった。じわじわと込み上げてくる後悔に立ち尽くしていると、


「ハスミ様」


 群衆を割って、リグレットがやってきた。

 普段は苦手に思っている男の顔を見て、これほど安堵したのは初めてのことだ。


「行きましょう」


 大きな手が背中に回される。反対側から、ジランも心配そうな顔で佳蓮を支える。二人に守られるようにして、佳蓮はその場を後にした。

 リグレットは遊歩道に置かれた椅子に佳蓮を座らせると、ジランが慰める様子を視界に納めながら、レインジールに連絡を入れた。


「……ごめん、ジラン。注目を浴びて、嫌だったよね」


「嫌じゃありません。僕の味方をしてくれて、すごく嬉しかったです」


 心の籠った言葉に、昂った緊張の糸が切れて、目頭が熱くなる。


「あんな悪目立ちするつもりはなかったの。どうしよう、これから星詠機関でやり辛くなっちゃった?」


「謝らないでください! ハスミ様は少しも悪くありません! 僕の方こそ、ご迷惑をお掛けしてすみません」


 必死に慰めようとする愛らしい少年の顔が、涙でぼやけた。


「ごめん、もっとやり方があったと思う。あれは不味かったよね……」


 視線を伏せて、涙を零す佳蓮を、ジランばかりかリグレットも困ったように見つめた。


「泣かないでください、ハスミ様。僕、自分がすごく情けないです。もっと強くなります、絶対!」


「貴方がそんな風に傷つくことはないんですよ」


 二人の言葉は、余計に涙腺を決壊させた。

 泣いてしまう自分を卑怯だと頭の片隅に思う。ジランにまで泣きそうな顔をさせて、最悪だ。

 一番最悪なのは、欺瞞に塗れた佳蓮自身だ。あれは、ジランを想って取った行動ではなかった。あざける周囲が憎たらしくて、ジランを守るていで記憶の中の佳蓮を庇ったのだ。


「ごめんなさい、ごめんなさい」


 嵐のように感情を揺さぶられて、涙を止められない。様々な記憶、感情が溢れて、思考が混沌としていく。


「佳蓮!」


 声を聞いた途端に、曖昧模糊あいまいもこな霧が晴れた。

 戸口に現れたレインジールは、急いできたのか、いつもは真っ直ぐな白銀の髪を乱している。蹲った佳蓮を見て絶句すると、針のような視線をリグレットとジランに向けた。


「何があったのですか?」


 抱えた膝に頭を埋めたまま、佳蓮はかぶりを振った。

 リグレットが顛末をかいつまんで聞かせると、レインジールは幾らか険を和らげた。そっと佳蓮の傍に跪く。


「……塔に帰りますか?」


 無言で頷くと、佳蓮は視線を落としたまま立ち上った。泣き顔を見られたくなくて、リグレットとジランの爪先を見つめていると、


「あの、またお会いできますか?」


 不安そうな声を聞いて、佳蓮は恐る恐る顔を上げた。


「うん……」


 良かった、と笑うジランを見て、佳蓮もどうにか微笑んだ。子供みたいに泣いたりして、恥ずかしいったらない。

 幸い、誰の眼にも留まらずに塔に戻ることができた。

 書斎に入ると、レインジールは長椅子に佳蓮を座らせて、自分は紅茶を煎れ始めた。


「……ありがとう」


 芳醇な香りが漂うと、荒れていた心は凪いでいく。カップから立ち昇る白い湯気を見つめたまま、佳蓮は呟いた。


「我が喜びです」


 美しい笑みに誘われて、佳蓮も微笑んだ。


「レインは、いつでも私の気持ちを明るくしてくれる。本当に魔法遣いみたいだね」


 視界にほっそりした指先が映ったと思ったら、卓に置いた手の上に重ねられた。


「佳蓮が笑ってくださるのなら、何でもします。どうか、私のいない所で泣かないでください」


「うん、泣かない……」


 言った傍から視界が潤んだ。雫が零れる前に、レインジールは唇を寄せて優しく吸いとった。

 慰めにしては親密すぎるやりとりに、頬が熱くなる。あどけないと思っていた少年の顔が、随分と大人びて見えた。


「レインは、私が……」


 女神でなくとも、傍にいてくれる? そう口にしようとして、やめた。

 答えを聞くのが怖い。いつになく弱気になっていて、悪い方に考えてしまう。


「もし私が、なんですか?」


「ううん、なんでもない」


「……では、もう訊きません。さぁ、暖かいうちに紅茶を飲んで」


「うん」


 不思議な呪縛から解けて、佳蓮はカップに口をつけた。

 花茶の香りと優しい味に癒される。弱った心が潤うと同時に視界も潤んで、ぽろっと涙が零れた。


「佳蓮?」


「……レインだけは、私を否定しないで」


「しません」


「私を嫌いにならないで」


「なりませんよ。どうしたんですか?」


 佳蓮は両手で顔を覆った。レインジールは傍に腰を下ろすと、おずおずと手を伸ばして、肩を抱き寄せる。


「泣かないでください、佳蓮……」


 華奢な肩に頭を預けて、佳蓮は静かに涙を流した。





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