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白の玻璃城。
荘厳な両開きの扉が衛兵の手によって左右に割られた瞬間、零れ落ちる、光の洪水。
金管のファンファーレが天蓋に反響し、鼓膜の奥まで震わせた。
「ぅわッ……びっくりしたぁ」
思わず素の声をあげた佳蓮に、レインジールがくすりと笑う。
眼前に広がるのは、贅を尽くした瀟洒な広間。
天井から吊るされた巨大な円環照明は、星環を思わせる神秘さで、無数の灯火が、夜の広間を優しく照らしている。
壁一面には花冠が飾られ、春の香りと光が絡みあい、甘やかな眩暈を誘う。
二色の大理石で造られた螺旋階段には、天鵞絨の赤絨緞が敷かれている。
その一段一段を緊張しながら上り、踊り場から階下にひしめく人々を見て、佳蓮は思わず一歩足を引いた。
「大丈夫ですよ」
腕に添えていた手を、小さな手に優しく撫でられた。レインジールの声音は落ち着いていて、佳蓮よりよほど場慣れしている。
静かに深呼吸を繰り返していた、その時。
「女神だ!」
誰かの叫びを皮切りに、感極まった声が次々とあがった。
割れるような拍手、歓声、祝福の言葉の奔流。
覚悟はしていたが、想像以上だ。
溜息混じりの「お美しい……」という声が、あちこちから聞こえてくる。幸い、露骨な悪意は聞こえてこない。
それでも、視線の重さに息が詰まりそうだった。
佳蓮の隣を歩くレインジールは、思っていた以上に身分が高いらしい。
貫禄ある貴顕でさえ、すれ違う際には道を譲り、恭しく頭を垂れた。
やがて人垣が左右に割れ、豪奢な白貂を羽織った皇太子が姿を見せた。深紅の髪の女性をエスコートしている。
「あの女性は?」
そっと耳打ちすると、レインジールはごく小さな声で答えた。
「皇太子殿下の婚約者、キララ・アンネ・マクランタ嬢です」
「へぇ……」
――こう言っては何だが、ぱっとしない容姿だ。
真紅の巻髪と灰紫の瞳は美しいが、佳蓮と同じ小太りで、顔立ちも名前ほどに輝いていない。目が小さく、鼻は広がり気味、顔の凹凸は乏しい。
だが、扇を操る仕草や、左目の下にある泣きぼくろは官能的だ。含みのある流し目は妙に小悪魔的で、不思議な魅力がある。
「お美しい我らが流星の女神。ようこそいらっしゃいました」
「こんばんは、シリウス殿下」
ぎこちなく膝を折る佳蓮を、シリウス皇太子は満足げに眺めた。
「彼女は、キララ・アンネ・マクランタ嬢です。良ければ、あちらでお話ししませんか?」
シリウス皇太子の腕に手を絡めているキララは、扇子で上品に口元を隠しながら、佳蓮を値踏みするような目つきで見た。
「すみません……人に酔ってしまって。端で、少し休ませていただけますか」
しどろもどろに断ると、シリウス皇太子は残念そうに頷き、キララと共に歓談の輪へ足を向けた。
これ以上知った顔に捕まる前に、佳蓮はレインジールの手を引き、壁際に逃げた。
「……私と、一緒にいてくださるのですか?」
二人きりになると、レインジールは信じられない、といった風に佳蓮を仰いだ。
「え? うん。レインしか知っている人いないし、一人にされたら困る。傍にいてよ」
素っ気なく言ったが、心臓は早鐘を打っていた。横目で窺うと、驚いたことに、レインジールは瞳を潤ませていた。
「え……泣いてるの?」
「泣いていません」
そう言いながら、白く小さな手が佳蓮の手を恭しく持ちあげる。物語の騎士のように、そっと甲に口づけを落とした。
「……嬉しいのです」
周囲の視線など意にも介さず、レインジールは佳蓮だけを見つめて微笑する。
全幅の信頼と敬愛を宿した瞳が、眩しすぎた。
「……レインはよく皇城に来るの?」
「夜会には応じませんが、星導師として、陛下の応召や仕事で訪れることはあります」
「ふぅん」
小声で言葉を交わしながら休憩室に向かって歩いていると、向こうから背の高い青年が現れた。
アズラピス第二皇子だ。
彼は、アディール新星皇国の憧憬を一身に集める、星環騎士団の団長でもある。今宵は凛々しくも華やぎのある騎士の礼装に身を包んでいた。
「こんばんは、流星の女神」
柔らかな微笑を向けられ、佳蓮はしみじみと青年の顔を眺めた。
筆で引いたような一重、丸くて低い鼻梁、印象の薄い顔立ち。以前から思っていたが、この国の皇子達は、驚くほど平凡だ。
なんて、失礼な感想を胸に抱きながら、佳蓮は笑みを浮かべた。
「こんばんは、アズラピス殿下」
「今宵は一段とお美しい。空にあまねく星よりも、ハスミ様の方が眩い」
「……ありがとうございます」
芝居がかった賛辞に、頬が引き攣りそうになる。
「神秘的な黒水晶の瞳に映っていられるのなら、私も喜んで命を差しだしましょう」
地味で平凡な顔立ちとは裏腹に、言葉は甘やかで熱を帯びている。女性を立てる言動は、この国の文化らしい。
「一曲、踊っていただけますか?」
差し伸べられた手を断ろうとした、その瞬間。レインジールに腕を引かれた。
「アズラピス殿下」
凛とした声で、レインジールが前にでる。
「羽澄様は、ただいまお休みをお取りになるところでございます。どうか、またの機会にお願い申し上げます」
「おや……」
一瞬、意外そうに目を瞬いた後、アズラピス第二皇子は穏やかに笑った。
「これは失礼。残念ですが、またの機会に」
そう言って、あっさりと身を引く。
軽く会釈すると、礼儀正しいレインジールにしてはいささか無愛想に皇子の横を通り過ぎた。
無言で佳蓮の手を引き、足早に回廊を進んでいく。
休憩用に設えられた客室は、柔らかな淡青の壁布と、低く灯した燭台の光に満ち、星音匣の旋律が流れていた。
長椅子に並んで腰を下ろすと、躰が沈みこむように感じられた。互いに気疲れしていて、しばらくは言葉を探すこともできず、静かに口を噤んでいた。
足の疲れが引いてくると、佳蓮はそっと横目で隣を窺った。レインジールは、どこか思い詰めた表情をしていた。
「ねぇ、どうしたの?」
問いかけると、氷晶の瞳がゆっくりとこちらを向いた。
「どう、とは?」
「アズラピス殿下と、仲悪いの?」
「……彼が、気になりますか?」
「え? いや、別に?」
「彼は、血筋に関係なく実力で星環騎士団の団長に抜擢された、軍事の天才です。シリウス殿下と並び、アディール新星皇国の碧玉と称される英雄ですよ」
唐突な説明に、佳蓮は目を瞬いた。
「……そうらしいね。でも、レインだって一〇歳で星導機関の五塔総監でしょう?」
「……彼と比べないでください」
「何それ、嫌味?」
思わず声が尖る。
レインジールも背筋を伸ばし、挑むような目を送ってくる。陶磁器人形めいた麗貌が不機嫌を滲ませると、一〇歳と侮れない雰囲気が漂う。
情けなくも佳蓮の方から視線を逸らすと、レインジールは小さく息を吐いた。
「……すみません」
「……ううん、私も」
ぎこちなく謝罪すると、レインジールはいつもの穏やかな表情に戻り、そっと佳蓮の手の甲を撫でた。伏せた睫毛が、神秘的な陰を目元に落としている。
幽玄的な美しさに見惚れてしまい、佳蓮は意識して視線を逸らした。
(相手は子供、相手は子供、相手は子供……)
心の中で呪文のように唱えながら、立ちあがる。
「……そろそろ、戻ろうか」
「はい」
手を引くと、レインジールは素直についてきた。
小さな手の温もりが、妙にくすぐったい。
佳蓮は、理由の分からない胸騒ぎを抱えたまま、再び光の洪水へと足を踏みだした。




