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新星歴一九九〇年。四月四日。
今宵の舞踏会に向けて、レインジールは自分の仕度以上に、佳蓮の準備に余念がなかった。
朝から侍女達に囲まれ、念入りに入浴し、肌の手入れをして着替え、一日がかりで世話をされる羽目になった。
淡い群青を基調に、春の光を縫い留めたようなドレスだった。
花の胴飾りから裾へ、春霞のオーガンジーが幾重にも波打ち、桜色の葩が舞い降りている。華やかにまとめた黒髪に真珠の連なる花冠を戴き、首元には、そろいの真珠と銀鎖に星粒のような宝石を連ねたネックレス。
侍女達は、鏡越しに佳蓮を眺め、恍惚の笑みを浮かべている。
「まぁ……なんてお美しいのでしょう」
「ええ、本当に……蜂蜜を溶かしたような肌に、黒髪と瞳が映えて……」
細く美しい彼女達の賞賛に悪意は感じられない。それでも佳蓮は、金縁装飾の姿見から、そっと視線を逸らした。
この都合の良すぎる世界で、一つだけ不満を挙げるとしたら、やはり少しも変わらない佳蓮の容姿だろう。死後にこれほどの贅沢を許されるのなら、願わくば、美しく在りたかった。
惜しみなく注がれる賛辞が、不思議でならない。
真に受けないよう自戒すれば、どんな美辞麗句も無味無臭で、ただ虚しかった。
どれだけ着飾ろうと、どれほど言葉を捧げられようと、佳蓮は佳蓮でしかない。姿形に服う精神だけが、今も痩せ細ったまま。
「……褒め過ぎです」
苦々しい思いで遮ると、侍女達はとんでもない、というように目を見開いた。
「いいえ、言葉では言い尽くせませんわ!」
頬に手を添えて、ほぅと息をつく若い侍女は、佳蓮よりよほど美しい容姿をしている。
彼女の言葉を微塵も信じていなかったが、腹を立てているわけではない。最初こそ不快に思っていたが、もう慣れてしまった。
毎朝、毎晩、流星雨のように賛辞を浴びているのだ。
そしてまた、彼女達の賞賛には、不自然な粗が一つもなかった。猜疑心の強い佳蓮ですら、賞賛の眼差しを信じそうになるほどに。
社交辞令もここまで徹底されると、苛立ちを通り越して感心してしまうのだと、初めて知った。
「若君も、ハスミ様のお姿をご覧になれば、きっと心を奪われますわ!」
力説する侍女に、佳蓮は苦笑いを浮かべた。
「そうですかね……」
曖昧に返しつつ、顔を輝かせるレインジールの姿は、容易く想像がついた。
「見惚れるのは、私の方だと思います。きっと、皆さんレインに目が釘付けですよ」
侍女の戸惑った表情を、鏡越しに眺めながら佳蓮は首を傾げた。
「レインも、行きますよね?」
「はい、もちろん」
「じゃあ、注目の的ですね」
「……お立場上、お声をかけられることが多い方ですから……」
若い侍女が言い淀むと、年嵩の侍女が窘めるように視線を送った。
それを不思議に思いつつ、佳蓮は続ける。
「あれほど綺麗で、おまけに大金持ちで、ちょっと嫌味だけど性格もいいし、将来も有望。子供とはいえ、恋人志願者が殺到するんじゃありませんか?」
その言葉を、侍女はあっさり肯定した。
「以前から縁談は幾つもございましたが、若君はハスミ様に夢中ですわ。婚約も解消されましたし」
「えっ……」
目を丸くする佳蓮を見て、侍女はほほえんだ。
「若君にとって、ハスミ様以上に大切な方はいらっしゃいません」
言葉を失っている佳蓮に、彼女は続けた。
「ハスミ様がいらしてから、若君はよく笑うのです。幼少のみぎりから責務を背負ってこられましたから……今の幸せそうなお姿を見ると、私達も胸が温かくなるのです」
含みを帯びた視線に、佳蓮は狼狽した。七つも年下の少年と、どうこうなるはずがない。
侍女達が去った後も、頭からレインジールのことが離れなかった。どんな婚約者だったのか。なぜ解消したのか、気になって仕方がない。
「羽澄様、お迎えに参りました」
扉の向こうから、ノックと共に声が聞こえた。
「どうぞー」
窓辺の寝椅子に腰掛けたまま答えると、部屋へ入ったレインジールは、雷に打たれたように立ち尽くした。
「どうしたの?」
「どうしましょう……羽澄様。息が止まりそうなほど、お美しいです」
予想通りの反応に、佳蓮は苦笑する。
「褒め過ぎ」
「本当です!」
レインジールの方こそ、ため息がでそうなほど麗しい。
白銀の髪を背に流し、蒼紺の礼服に月白の星衣。星花を象った刺繍と硝子細工の青い花飾りを肩から胸に飾り、気品と静謐を幼い身に纏っていた。
暫し無言で見つめ合う。おかしな話だが、互いの姿に魅入っていた。
「……あんまり見ないで」
きらきらした賞賛の眼差しに耐えかねて、佳蓮は視線を逸らした。するとレインジールは、目元を朱に染めながら、そっと視線を外した。
その細やかな仕草には、胡乱を通りこして、感心させられる。彼の御両親は、よほど素晴らしい紳士教育を授けたのだろう。
「……ねぇ、訊いてもいい? どうして婚約を解消したの?」
「プリシラのことを聞いたのですか?」
「プリシラさんっていうんだ。どんな子だったの?」
「両親が生前に決めた婚約ですが、星杯契約を機に解消しております。彼女も快諾してくれましたよ。ほっとしたのでしょう……この縁談は、最初から破綻していたのです」
「……レインが綺麗過ぎて?」
ちょっと考えてから、佳蓮はそう訊ねた。
「まさか」
「謙遜しなくていいよ」
「メビウス家の嫡嗣で星導師ですから、縁談はそれなりにあります。ですが、大抵のご婦人は、私を見ると落胆なさるのです」
「なんで?」
「この通りの、容姿ですから」
一〇歳の少年に似つかわしくない、達観した笑みを浮かべた。
「……苦労してるんだね」
此の世ならぬ麗貌を前にして、尻込みする気持ちは判る。お相手の令嬢は、とても釣り合わないと自信喪失してしまうのだろう。
納得する佳蓮を見て、レインジールは切なそうな顔をした。
「羽澄様も……私を見て……」
「?」
「……落胆しませんでしたか?」
昏い表情で訊ねるレインジール。佳蓮は瞳を瞬いた。
「私は、比較する気にもならなかったかな。でもね、初めてレインを見た時、安心したんだよ。君があまりに綺麗で……ああ、天国に来たんだって思えたから」
レインジールは眩しそうに目を細めて、淡い笑みを浮かべた。
「羽澄様は、お優しいですね」
「普通だよ。ほら、行こ」
「はい」
差し伸べられた手に、佳蓮はそっと指を乗せた。ヒールに気をつけながら、楚々と足を踏みだす。
いつものように、六二階の塔内星路陣に乗り、一階で降りて星路口に向かった。
そこには、長距離移動用の広域星路陣が設えられている。床一面に描かれた紋様は通常のものよりもはるかに大きく、幾重にも重なる円環が、天球と歯車の理を同時に描きだしている。
星を封じ道を縫い、世界と世界を縫合する、沈黙したまま呼吸を続ける星導法陣。
その中央に立った瞬間、足裏から幽かな冷えが伝わった。床ではなく、夜空そのものを踏みしめている錯覚がする。
「すぐですよ」
緊張している佳蓮を仰いで、レインジールは微笑した。安心させるように、繋いだ手に軽く力をこめて。
「……うん」
陣に刻まれた数式と詩が呼応し、月光を溶かしたような淡青の光が脈打った。空間は薄皮一枚となり、此岸と彼岸が近づいていく。
世界は、瞬き一つぶんのあいだに、静かに切り替わった。




