33話 お祭り騒ぎのその後は。
お願いします。
頭を掻き回されるような嫌な感覚。
胃から酸っぱいものが込み上げる。
体が軋んで眩暈が酷い。
力が抜けて…もう立てない。
失敗した。馬鹿みたいに魔力を使いすぎた。
崩れ落ちる私をルクシオがそっと抱き寄せる。倒れないように支えてくれたのか…どこまでも優しい人だ。
ありがとう。口を開くと掠れた呻き声が出てきた。いつも通り頭を撫でようとするのに腕が上がらない。心配そうに抱き締める彼に笑いかけようとするが顔が動かなかった。
あー…これは駄目なやつだ。
私は意識を失った。
―――ぴちゃり
生暖かいものが頬を滑る。何度も何度も舐めあげるように滑るそれはぬるりとしていて柔らかい。ぬるぬるするものに戸惑っているとそれは次第に下がっていった。
「ぅん……」
なんだこいつ、首ばっかり狙ってくるんだけど。何かあるのかと聞きたくなるぐらい丹念に滑らせてくる。やんわりと優しく這うそれは擽ったく、首を竦めて抵抗してもゆっくりじんわりと這ってきた。
身動ぎしながら小さく呻くと、ぐるる…と低い音が耳を通過した。聞いたことがあるような音だ。いや、よく聞く音だ。威嚇しているようで、本当は甘えた声。ぼんやりと晴れてくる思考に任せて手を伸ばすと鋭い何かに当たった。
『っ…』
「……あぇ?」
つるつるで硬くて鋭い。ぺたぺた触っていると今度は柔らかな毛が手に当たる。ふんわりしていて気持ちいい。かき分けるように手を入れて撫で上げると困ったような声がした。
こっちに来るよう毛を引っ張るとそれは簡単に身を任せてくる。温かくて柔らかくて気持ちいい。思った以上に大きいが、抱き枕だと思えば…いや、でかいわ。
もさもさに顔を埋めて息を吸うと思考がふわふわしてきた。
『…セレスティナ』
頭上から私を呼ぶ優しい声がする。甘い甘い優しい声。
まだ寝たいと駄々をこねる瞼を開けて、呼ばれるがままそれを見ると綺麗な瞳と目が合った。紅くとろけた瞳がゆったりと揺れている。…やっぱりルクシオか。じゃあ寝ても大丈夫だ。
『寝るんですか?』
だって気持ちいんだもん。
ゆるゆるく微笑めばぱたりと尻尾が足に当たる。嬉しそうに伏せた耳が可愛くて、優しく撫でるとくふんと声を漏らした。そんな高い声も出るんだね。くすくす笑えば唸られた。
『警戒心が無い…』
警戒心なんて必要ないでしょ? だって君が私に害を与えるはずが無いから。君は私のために必死になってくれるから。だから安心して抱き付ける。君のそばは心地いい。
ぼやける思考をそのままに、思うように動かない口でそう言うと彼はほんの少し目を見開く。
何度も瞳をさ迷わせる様子は困っているのか、照れているのか。ふいっと顔を逸らして横に寝転がった。…いちいち反応が可愛いな。
尻尾を揺らして喜んでるくせに不満そうな声を漏らす。呆れたようなため息を吐き出すくせにもっと抱き付けと身を寄せる。この隠し切れてない感じが可愛いよね。警戒心なんて付くはずがない。
彼の胸に抱きついて顔を埋める。黒く艶やかな首の毛に触れて柔らかい感触を楽しむ。前足を枕にして体勢を整えると思った以上に心地いい感じになった。温かいし寝れる。うーむ…至福。
すると首に硬いものが掠った。牙のようなものが首筋を辿り、やんわりと噛んでくる。甘噛みかな…可愛いな。半分寝ぼけた状態でよしよしと撫でる。
愛でる私を彼は低く唸って、何故かその手を押さえつける。そのまま口に力を込めようとして―――
『―――って俺は何をやってるんだ?!』
きゃいん、と鳴いて飛び起きた。私も飛び起きた。
……で、何故か私はベッドに座っている。
頭が痛い。耳がきーんってする。体がだるい。とにかく寝たい。
歪む顔を隠すように手を当てて、ぽすんとベッドに寝転がる。はあ…と呻き混じりにため息をつくと下からきゅう…と悲しそうな声がした。
…怒ってないよ? ちらりと床を見るとルクシオが正座で座っている。どこの武士だと問いかけたいぐらい真っ直ぐな姿勢だ。緊張したふうに固くなって俯いている。狼状態なら色々萎びてそうな雰囲気に首を傾げた。
何がどうなってこうなった。
私が気を失っている間に何があった。
いや、それよりもこの状況な何だ。
ルクシオに説明してほしいと掠れた声で聞くと、彼はびくりと肩を震わせる。恐る恐る見てくる目は何故か泣きそうになっていた。…あれ? だから私怒ってないんだけど。
「すみませんでした。あんな…あんな事をするつもりは無かったんです!」
どこの犯罪者だ。何の独白だ。どういう事だ。
思わず眉を顰めると小さくか細い悲鳴が上がった。狼なのに捨て犬のような哀愁漂う声になっている。……いや、だから何度も言うけど怒ってないって。
「ル…クシ、ごほっ…」
「っ! 水持ってきます!」
「や、だいじょ…」
引き止める前に行ってしまった。足…速いな。
水はどこだ!とばたばたしているルクシオを放置してだるい体を起こす。寝たりなかったようで魔力がいまいち回復していないようだ。頭の回転が遅い気がする。前よりも症状が酷いのは馬鹿みたいに一気に使ったからか。
彼が楽しく探している音を聞きながら、そっとため息をついた。
まさかまさかでやってしまった。魔法で倒れてしまった。魔法職なのに魔法を使いすぎて倒れるとか最悪だ。
いや、けど今回は仕方が無いと思うんだ。だってあいつら本当に丈夫なんだもん。まさか何人も耐えれる人がいるなんて思わなかったんだよ…!あいつらの頭は石頭か。思わず本気でやってしまった。…うん、全員気絶まで持っていってやったぜ何やってんだろ私。
今更すぎるやっちまった感を味わっているとルクシオが帰ってきた。手には水の入ったグラス。『普通にあった』と疲れた様子で呟いている。そりゃ普通にあるでしょと言いかけたが言ったら更に怯えそうだから噤んだ。
「これ…どうぞ」
猛獣に近付くような足取りで来たルクシオがおずおずと手渡してくれる。餌やりか何かなのか。飛びかかって食われるとでも思っているのか。
猛獣認定はどうでもいいけど怯えられるのは辛い。若干心にダメージを受けながら水を一口飲む。…あれ、思った以上に喉が渇いていたようだ。すぐに飲み干してしまった。
「おかわりはいりますか?」
「ん…大丈夫」
ありがとう、と微笑むと彼が漸く頬を緩める。手からするりとグラスを取って近くの机に置いた。そして彼は私から離れて、離れて、離れて……ベッドから大股数歩分の遠い位置に正座した。
「……ん?」
あれ、さっきより遠くないか?
「あの…ルクシオ?」
「なんですか?」
「遠くないですかね?」
「遠くありませんよ…近いぐらいです」
あの距離で近い…だと? ここから助走をつけて跳んでも届かないけど。
這って近寄ろうとするとその分後ろに下がる。遠ざかろうとするとその分前に来る。神妙な面持ちで何をやっているんだ。美形は何をやってもイケメンだというけれども、だからこそのシュールな光景だ。
「ルクシオー…こっちにおいで?」
「ダメです」
「何もしないよー。怖くないよー」
「ダメです」
なんと頑なな。手を振ったり口を鳴らしたりして誘ってみるが一向に来ない。困ったな…何故か初めて来た日よりも警戒心が強くなっている。こうなった理由すらわからないのにと困惑していると低く唸られた。
「あ、いや…違います。あんたに唸ってるんじゃない。言うことを聞かない自分にですね…? 気でも紛らわせないと色々と、その……」
「…はあ、」
「う…怒ってます、よね。すみません」
きゅう…と鳴き声が聞こえそうな声音で小さく言う。本人は相当落ち込んでいるようだが、マジで何の話をしているかわからない。そんなに謝る事って何があるんだ。…ってまさか。
「ルクシオ…君、もしかして…」
ある事が脳裏に過ぎり血が引いていく。
私は敵がお子様達だと思っていた。けど本当の敵は目の前のこの狼だった。そうだ、一番凶暴なやつが唯一意識を保ってあの場に立っていたのだ。
震える声で呼ぶとルクシオがきゅっと目を瞑る。聞かれたくないって? いや、聞かないと…。間に合うなら手当をしなくちゃ。
「ルクシオ」
「はい…っ」
「君さ……」
「……」
「あの子達を殺してないよね?」
「………は?」
ぽかんってされた。…あれ、聞こえてなかった?
「や、だから…殺してないよね?」
「…?」
首を傾げられた。あれ、違うのかな。
「全員殺っちゃった? 私、殺してなかったよね?」
「…えと、放置です」
「何もしてない?」
「アリスだけ起こして後は放置です」
「……なんだ、それならいいや」
心配して損した。生きてるならもうどうでもいい。後は残業の治癒師が治癒してくれるだろう。
はあ、安心したら眠くなってきた。なんだろう…もうあれだ、仕事をやりきった感? 言われた通りパーティに参加したし、体もだるいし。これはもう寝るしかあるまいて。とりあえず、どうにかしてルクシオを抱き枕にしたい。
「ルクシオー」
「…なんです」
「こっちにおいで」
「だからダメです」
「えぇー?」
ぽすぽすとベッドを叩くと眉を顰められる。逆に後ろに下がられた。年頃なのだろうか。いや、さっきまで一緒に寝てたんだから大丈夫でしょ。
「大丈夫だって。何もしないよ」
「あんたは大丈夫でも俺は大丈夫じゃないんです!」
「…わかった、狼は諦める。そのままでいいや」
「俺の話聞いてますか?!」
何がいけないというのか。うちの庭先で散々寝た仲じゃないか。そりゃ建物内だしぽちとたまもいないし狼じゃないけど変わらないでしょ?
それなのにルクシオは顔を赤くして唸ってくる。居心地が悪そうに体を揺すって目を泳がせて。急に落ち着きが無くなった。野生動物は不思議がいっぱいだ。
「咬みかけたのに何故ここまで警戒心がないんだ? あんなにぽやんとして…わざとなのか? 次近づいたら多分…いや、絶対咬む。それなのに…うう、彼女が悲しそうに…。早く、早くここから出ないと体が持たない。けど出たら彼女が倒れ…悲し……くそ、誰か俺を閉じ込めてくれ…!」
…あれ、頭を抱え始めた。よくわからないけどぶつぶつ言ってる。いつの間にか夜になっているしお腹が空いたのだろうか。
私は昼ごはんも碌に食べてないので結構空いている。食べ物があると思って食べてなかったのだ。行ってみれば何も置いてないし襲われるし…最悪だよね。あんなの詐欺だ。今度お父さんに凄い高い定食でも奢ってもらおう。
「ルクシオー、お腹空いたの?」
「はい、とても……じゃない! 何言ってるんだ俺は!」
「え…や、夜だから普通じゃないの?」
「ダメなんです!」
「そ、そうなの」
まさかの気迫で怒られた。そうか、ルクシオは夜ご飯控えたい派の人間なのか。…いや、意味がわからんだろ。夜ご飯控えるって何。急にダイエット?
『夜飯自粛』の文字を掲げて裁判所から出てくるルクシオを想像する。ふむ、思った以上に似合っていていい感じ。これならメガネをかけてほしいな…。今度メガネを作ろう。
あー…やばい。眠すぎて思考がおかしな方向に行くようになってきた。兎に角温かい抱き枕がほしい。おかしなルクシオがちょっと気になるけど……寝ればいいか。
「ルクシオ」
「なんですか?!」
「水が欲しい」
「っ、はい、取ってきます」
ルクシオは弾かれるように立ち上がる。彼はぱたぱたとこっちに来てグラスを手に取った。近付くのを嫌がっていたのに私の事となると心配そうにしちゃって…可愛いなぁ。
グラスを持っていない方の手を握る。驚く彼ににっこり笑うとぴしりと固まった。けど困ってなさそうだしいいよね? 抵抗しないのをいい事に思いっきり引っ張って引きずり込んだ。
拍子にかしゃんと割れる音がするが後で直せばいいから問題なし。硬直する彼をくすくす笑って抱き締めた。
「あったかーい…。気持ちいいー…」
「…っ、あんた何を…!」
「ルクシオー…暴れないでよぅ。寝られないでしょ?」
私から逃れようとするルクシオを軽く押さえる。と言っても体の調子が戻っていないので添える程度だ。けど彼は…ほら、動きを止めた。彼は本当に優しい。嫌ならもっと本気で抵抗すればいいのにそれをしない。
頭を撫でてえらいえらいをしているとルクシオの赤い顔が更に赤くなる。低く唸って威嚇してくるが照れているのだろう、どこか弱々しい。
ちらりと見え隠れする真っ赤な舌と白い牙を意味も無く見つめていると急に口に手を当てて隠した。
「ぁう……うぅ、」
「どうしたの?」
「いや…あの、こっちを向かないとダメですか?」
「後ろを向きたいの? えぇ…ルクシオ大きいから寝にくい。別に後ろから抱き着いてくれるなら私が後ろを向くけど」
「やめてください! 絶対後ろを向かないでください!」
「んー…じゃあ狼になれば? もふもふ気持ちいい」
「それこそダメです。絶対無理です」
「わがままだなぁ……」
はあ、とため息を吐く。まあ吐くだけで何もしないんだけどね。解決策なんていらないからさー。てかさっきから眠くて眠くて考えるのも億劫なのだよ。
「じ、じゃあ水は? 飲みたいって言ってましたよね?」
「もういい。飲まなくても大丈夫」
「そうだ。割れました! 片付けないと!」
「明日しておくね。バレないように完璧に戻すよ」
「ご飯は? 食べてないでしょう?!」
「明日でいいかな」
「うぅ…」
「……ねぇ、寝てもいいかな?」
いつもは静かなのに今日は一段と鳴くなこの狼。必死に起こそうとしてくる彼がうるさい。
黙れとは言わないがそれに相応する冷たい声で言ってしまう。するときゅっ、と小さく鳴いた。やっぱり今日はうるさい。
「…セレスティナ」
まだ何か話すのか。しつこいな。
顔を顰めると撫でていた手を掴まれた。突然の動きになすがまま、ぼんやり見ていると仰向けにされる。
真っ白な天井が見え、その上にルクシオが。目が妖しく揺れて、ゆっくりと舌舐りしている。ああ、私は押し倒されたのか。心の中で他人事みたいに呟いた。
「貴女は……」
どこか艶のある声が落ちてくる。自分でやったくせに困惑したような、それでいてうっとりとした囁き。するりと首筋を撫でられて無意識に小さく震えた。彼は満足そうに喉を鳴らして、何度も感触を確かめるようになぞる。
不意に彼が首に顔を近付ける。唇が首筋に触れるか触れないか、ぎりぎりの所。そこで低い声で囁かれた。
「俺に咬み殺されるとは思わないんですか…?」
――――ルクシオに咬み殺される、か。
「……いいよ」
「え?」
「君になら殺されてもいい」
「っ…」
「出来れば痛くない方がいいなぁ。君なら一思いにしてくれそうだ。…うん、君になら殺されたい。他の奴に殺されるぐらいなら君に…」
「何を言って…」
「…ふふ、冗談だよ。そんな顔しないで。脅してきた仕返しだよ」
君が求めるのなら私の命は君に喜んで差し出そう。ゲーム通りに進むなら、君の未来に私はいない。私は公爵家から離れるか誰かに殺される。
けど、君は自由だ。公爵家を継いでもいいし、私を殺してもいい。君の選択肢に私の死があるなら、それで君が幸せになるのなら、私の命は惜しくない。
「……やめてください」
「ルクシオ…?」
ルクシオが低い声で言う。珍しく怒った声音に思わず彼の名前を呼ぶ。暗く濁った瞳が私を睨みつける。
「冗談でもやめてください。あんたがいなくなるなら生きている意味が無い。あんたを殺すぐらいなら俺が死にます」
「…それは駄目だ。君は生きないと」
「なら、殺されたいだなんて言わないでください」
「……」
「なら俺と一緒に死にましょう?あんたを食い殺して血肉が俺の体の一部になった時、俺は一人で死にに行くんです」
「……っ、ははは」
私は小さく笑う。本末転倒な結末だ。彼を生かしたいのに、彼が死ぬなんて。だが例え今だけの言葉だとしても彼の気持ちは嬉しい。彼の感情は家族の情とは異なるもののように見えるが、私に依存して彼が生きやすくなるのならそれもまたいいだろう。私も、彼が離れる日まで死ぬわけにはいかなくなった。
不安そうな彼ににっこり笑う。『ごめんね』と小さく呟いて手を伸ばして引っ張れば、彼はゆるく倒れ込む。目を見開く彼の頭を撫でながら抱き付く。
「セレスティナ?」
「殺されないように気をつけるよ。君が死ぬんじゃあ、私が死ぬ意味なんて無いし。だから本気で咬もうとしたら怒るよ。甘噛みなら許してあげる。…じゃあ寝るね」
「…え、は?」
「じゃ、おやすみー」
彼は慌てた声を上げて私をガン見する。『うっそだろお前…』と言わんばかりの目を無視して私は目を閉じた。君の言いたいことはわかった。だがね、言っておくけど睡魔がピークだからね。てか結構前から眠いって言ってるよね?なんだかんだで逃げない彼は実は寝たかったのでは、と思うことにする。
ふぁ…と欠伸を一つして彼の腕を枕にする。至福至福。きゅう…と悲しそうな声がしたがぼんやりした私には聞こえなかった。
仕事終わり+体調不良=自由
主人公は思考を放棄したが故に最強になりました。ただの人肌恋しい酔っぱらいにしか見えません。
ルクシオは弱った主人公を温めようとしたり起こそうとしますが、いつの間にか狩猟本能が高ぶってました。しかし何をやっても勝てません。返り討ちです。
あの後、鳴いたり唸ったりしていると主人公に怒られました。
ありがとうございました。




