Episode4 第一回 男子会
ディーア視点です。
お願いします。
鰯雲が浮かぶ満月の夜。真夏は過ぎたとはいえまだ少し熱気が篭る。部屋の中ぐらいは快適に過ごしたい俺はベッド上の窓を全開にして、時たまの風に微睡んでいた。
今日は珍しくルクシオが部屋に来ている。こいつは気が向いた時にふらりとやってくる。何をするのかと疑問に思うが動くのは億劫、聞くのも面倒臭い。迎え入れる動作すら面倒でやっていないのだ、絶対起きたくない。
がり、がり、と音が聞こえる。物を漁る音でも物を引き摺る音でも無い。薄ぼんやりと目を開けてやつを見ると黒毛玉が巣作りをしていた。眠いのかうとうとしながらやんわりソファーを掘っている。
俺のソファー…壊れたな。夢と現実の狭間に大迫力で弁償の文字が躍り出る。嫌にリアルな単語だ…。もう顔を顰めるしかない。
…というのが半刻前で。
俺はどうにか重い瞼をこじ開けてぼやけた視界で彼を見た。折角寝られそうだったのにこんな事をする不届き者は一人しかいな…いや、片手はいるな。思った以上に起こされているようだ。
「第一回男子会を開催するよ。はい、ぱちぱちぱち」
「…あ?」
今日はその内の一人、俺の主であるアルが爽やかな笑みをたたえて宣った。
男子会―――なんて気持ち悪く嫌な予感しかしない響きなんだ。
時々おかしな事を言い出す主はまたおかしな事を考えついたらしい。今回は今までの中で上位に位置する気持ち悪いことを言い始めた。
そもそも男子会ってなんだよ。女がよくする茶会を真似たものか? 男だけで集まるなんてよくあるのに何を求めているんだ。そんな表情が出てしまっていたのかアルがゆるゆる首を振る。どうやら違うものらしい。
絶対知らないと思うが隣の毛玉を見ると、壁に寄りかかって船を漕いでいた。興味すらないのだろう、ぴくりとも反応しない。まあ予想するまでもなかった。女みたいな顔をしているのに何も知らないらしい。…こいつは見た目に反して凶暴な奴だからな。茶会なんてものを知っている方がおかしいか。
「で? お前は何をしたいんだ」
最近白騎士の遊び相手で疲れてるんだ。どうでもいい事なら即寝る。
「だから男子会だよ、男子会を開くんだ」
「…よし、寝る」
「待ってよ!」
部屋から出ようとしたら必死な顔して止めてきた。もう面倒臭い。こういう時だけ力が強くなるのはどうかと思うぞ俺は。
ぎりぎり痛いほど握ってくる手を引っ張りながらアルを睨みつける。それに負けじとアルも睨んできた。頑固な奴だな…! と、その拍子にルクシオが逃げようとするのが見えた。俺は咄嗟に奴の首を掴む。
「ディーア…手を離せ。咬み砕くぞ」
「だから首を掴んでんだよ…! お前だけ逃げるとか許さないからな!」
「は? なんだよそれ。お前とアリスで勝手にやれよ」
絶対嫌だ。今どこにいると思ってるんだよ、ここ食堂だぞ?
こいつが俺を連れて入る時は基本的に試食だ。美味いものが食える割合より不味いものを食わされる割合の方が多い。碌でも無いことが起こると断言出来る。
が、ルクシオもルクシオで気が立っているようだ。低く唸って威嚇してくる。手を離せば噛み付かれるのは明白だ。そんな緊迫した状況で、アルがにっこり言った。
「言っておくけどルクシオの件についての話だから」
「……ディーア、お前だけ逃げるとか許さない。お前も残ってもらう!」
「あ? お前ら二人で勝手にやれよ!」
「ディーアには僕の教師役でも頼もうかな。引き受けてくれたら一日白騎士から逃げられるかも…」
「引き受けよう」
気が付けば引き受けていた。断わる理由なんてない。
だが引き受けて思うのは何をすればいいのかという事だ。突然の男子会、ルールも何も聞いていない。そもそもルールなんてものはあるのか? いや、それよりもだな…
「アル…お前は何を作るつもりなんだ?」
調理台の上には小麦粉や砂糖に卵やバター。型抜きまで用意している。作るものは十中八九クッキーだろうが…本当に茶会でもやるつもりなのか? そのためには菓子から作らなければならないと…?
もう面倒臭い。それなら女共が開く茶会にでも参加して来いよ。お前ならあの空間に馴染めるだろう。あいつらの方がお前の会話についていけるぞ。
するとルクシオに手を洗うように指示をしていたアルが調理台に戻ってきた。腕まくりまでして準備万端だ。目をキラキラさせて…何が楽しいのか疑問である。
「今から『彼女』へのプレゼントを作ろうと思ってね」
「彼女?」
「ふふ、ルクシオの大切な『彼女』だよ」
ねー!と嬉しそうにルクシオの腕を取るアル。手洗いから戻ってきたルクシオも握る手を全力で突っ張って嫌がりながら、しかしほんのり頬を染めている。瞬時に空間がピンクだ。
お前らは女か。きゃっきゃするんじゃねぇよ。これだからあいつに恋人同士だなんて言われるんだ。
「で、最終確認なんだけどさ」
「何?」
「彼女ってさ…セレス嬢の事だよね?」
「……ああ、そうだが?」
「だよねぇー!」
手をとって喜ぶ主から飛び出た一人の女の名前。それは俺の同僚であり、ある程度は尊敬できる赤の団長の娘だった。
…おい、お前らそいつに恋人認定されてたぞ。プレゼントを渡すよりお前らが仲良くしていた方が喜ぶと思うのだが。そもそもルクシオ、お前そんなやつに贈り物をあげるのか?
「ふふ、ルクシオは愛されてるねぇ。そっか…セレス嬢から貰ったんだ。あの愛されようなら納得…納得……出来るようなものじゃ無いけどなぁ…。どうやって探し出してきたんだろう…?」
「……」
「そうだね! 愛に技術なんて関係ないよね!」
こいつらが何を言っているのか最早理解出来ない、全体的に。
なんだ? 目と目で伝わる何かがあるのか? 一言も話さねぇぞこの毛玉。そもそも最初の男子会から意味がわからない。くそ、俺に理解が出来ないものがあるなんて世界は広すぎる。
既にただの女子と化してしまったアルと女にしか見えないルクシオ。最近恋愛モノの娯楽小説に嵌っているアルは兎も角ルクシオ、お前はこっち側だろ? 何故そんなに照れてるんだよ! 帰ってこいよ無表情!
頭を抱えながら意味も無く小麦粉を見つめている間にも謎の会話は進んでいく。いや、ルクシオは一言も話していないからアルが一人で押し進めていく。
「ねぇねぇ、ルクシオってセレス嬢の事が好きなの?」
「…?」
「セレス嬢もルクシオの事が大好きだものね。いいなぁ…両思い?」
「は…?」
「ふふ、姉弟って禁断だけどロマンがあるよね!」
「……?」
アルがにこにこ笑いながらルクシオに畳み掛ける。どこまでも恋愛脳である。お前、年がら年中権力と顔目当てに狙われているってのに何故そんなに純粋でいられるんだよ。恋愛モノの娯楽小説は現実じゃないからな?
そんなアルの期待に反して毛玉はあまり理解出来ていないようだ、打って変わって首を傾げている。そりゃそうだろう。こいつがあれに見せるものは敬愛だ。一方的に大切に仕舞いこんで、害あるものを消していく。やつはその行動が当たり前と思っているし、自分の存在意義とも思っているようだ。
この状態でどう恋愛と判断すればいいのか。絶対こいつ自分の気持ちが恋愛的なものだと思ってないぞ。もちろん俺も思ってない。
意味も無く卵を割りながら色々止まらないアルの足を踏む。頼むから落ち着け。ちょっとは黙ってくれ。念じながらかき混ぜているとアルが口を尖らせた。
「えぇ…だってさ、聞いてよディーア。前に僕があいつらに拐われたでしょ?」
「拐われたな」
「その時に遠征中のルクシオに会ったんだけどね。ルクシオが…」
「…が?」
「舐めた」
「何を」
「セレス嬢の顔を」
「……」
思い浮かぶのは黒毛玉が喜んで飼い主の顔を舐める図。久し振りの再会に尻尾は揺れている。
…いや、アル。どこに盛り上がる要素があるんだ。ただのペットと飼い主の図にしか見えんが。人間でやるならまだそれっぽいかもしれない。
「狼だったけどね!」
…ダメだ、やっぱり飼い主と戯れるペットにしか見えない。
キラキラした目で見てくるアルの視線から逃れるように砂糖を入れる。その、どうだ熱々だろう!って目を止めてくれないか。お前の脳内で繰り広げられているものと俺の想像したものは真逆だ。
もしかするとアルの想像は合っているのか? ちらりと隣の毛玉を見ると…無表情だった。照れは若干引いていないが無表情。何を思っているのかわからない。やつは何故か俺の手元を見ながら材料を入れ始めた。
「かき混ぜるのか?」
「ん、ああ。適当にかき混ぜろ」
「っ、ディーア! まだ続きはあるんだよ!」
まだあるのか…飼い主とペットの話は。
面倒な気持ちを一切隠さずアルを見る。と、不満そうに頬を膨らませてきた。反応が宜しくないってか。
ばんばん叩いているバターをやんわり奪い取って入れると代わりに小麦粉の入った袋を叩き始める。どれだけ不満なんだよ。面倒臭ぇよ。お前が何を言っても事実は変わらん。
「ルクシオが匂ってたんだよ!」
「何をだよ」
「セレス嬢を!」
「……」
思い浮かぶのは黒毛玉が尻尾を振りながら飼い主を匂っている図。いや、アル。何度も言うが何処に盛り上がる要素があるんだ。どこからどう見てもただの犬にしか見えないが。
妄想が逞しい主に溜息をつきながら、粉を撒き散らす小麦粉を掠め取る。何だその目は。何やら言いたげだな? 先に言っておくが俺の感想は勿論安定の飼い主とペットだ。
今度はどうだ!と目をキラキラさせるアルを見ないように、小麦粉を適当に入れて捏ねる。と、毛玉も真似するように入れて捏ね始めた。相も変わらずマイペースである。
お前全然話聞いてないよな。俺と代わって話を聞いてやってくれないか。
「今度は人間で、だよ! 喜んで匂ってたよ!」
「人間で…? ルクシオ、お前変態だったのか」
「違う」
しゅん、と鋭い音を立ててルクシオが生地を投げつけてくる。危ないやつだな…。そのまま掴んで元の位置に戻すと眼光鋭く睨んできた。
「あれは怪我をしていないか確認しただけだ。深い意味は無い!」
「はあ、そうか。わかったわかった」
「けどすごく嬉しそうだったじゃないか。大切そうに抱き締めてさ! きゅうきゅう言ってたし…」
「い…言ってない!」
「言ってたよー。ねえ、やっぱりセレス嬢に撫でられたら嬉しいの? あんなルクシオ初めて見たよ。幸せいっぱいって感じだったよ!」
「っ…追及するな。そんなに盛り上がるなよ!」
「甘いねぇ…。セレス嬢も満更でもなかったよ? 嬉しそうに抱き締めてたじゃないか。これは彼女も…ふふ、これからが楽しみで仕方が無いよ!」
うん、もうそのまま話をしておいてくれないか。突っ込むのも疲れてきた。
竈に魔力を流して火をつけて、それから腰に付けているナイフを取り出す。話を聞いているうちにいつの間にか生地が出来ていた。適当にしてはなかなか綺麗に纏まっている。自分の才能が恐ろしいな。
伸ばして大体の形を作り、ナイフで細工をしていく。縦長で、切れ目が入って、焦げない形。出来れば薄い方がいいが厚くなりそうだ。難しいな…。焼き加減を間違えると中が生で外が丸焼けなんて事になりそうだ。
だがどうしても細い部分が出てきてしまうし太い部分も出来てくる。しかしここを無くせば何が何だかわからなく……
「違う! そうだよなディーア!」
「合ってるよ! ね、ディーア!」
「知るか」
何を問われているのか聞いていなかったので適当に返事を返しておく。
強くなる唸り声と姦しい声を放置して最後の一太刀を入れると…なかなかの出来ではないか。ちょうどタイミング良く竈も温まったし、後は焼くだけ。
生地を焼くための薄い金属に完成品を乗せる。立体的で運びにくそうだが竈はすぐそこだ、気をつければ倒れまい。
ここ最近したことが無いほど慎重に、ゆっくりと持ち上げると……不意にアルが質問してきた。
「ディーア…それ、何?」
「見てわからないか?」
分かるけど…と困ったように呟くお前はこれで俺の気持ちがわかっただろう。これは俺がお前の話を聞いて、感じて、思ったものを表したものだ。
戸惑うアルににっこり笑う。この作品の題名は…
「腹を見せて喜ぶルクシオ。毛玉バージョンだ」
即座に叩き潰された。解せぬ。
ルクシオは歯がムズムズする時にディーアの部屋に行きます。生え変わり時なんです。硬いものが噛みたいのです。会話などほぼしません。
殿下の趣味はお菓子作りと色恋沙汰と噂です。特に最近先祖返りモノの恋愛小説を読んだので超楽しいです。これを境に男子会が好きになりました。
あの後普通のクッキーが出来ました。変なものが含まれていない安全なものです。
ありがとうございました。




