1話 枕元で騒がないでください。
初投稿です!お願いします。
突然だが、少し『私』のことについて聞いてほしい。少し困ったことが起こったから状況を整理したいんだ。
私の家は五人家族だった。優しくてのんびり屋の母、優しくてのんびり屋の父、唯我独尊の兄、私、そして唯我独尊の妹。我の強い兄妹がいるがそこそこ普通の一般家庭。ちょっと色々あって波瀾万丈な人生を歩んでいたような気もするが…まあ、そこそこ楽しい人生だった。ただ愉快な兄妹のせいで人生設計が狂ってしまっていたが、人生全体から見れば些細なズレだった。
だから私は呆然とした。前々から珍妙な人生を送っていると思っていたが、これは流石に予想できなかった。ゲテモノ食いから始まって、プロジェクションマッピングを駆使したドッキリに遭遇した私はこれ以上驚くものがないと思っていたのだ。
目の前に広がる光景はいつものマンションの一室。茶色い木の床と白い壁……ではなく、白と赤の宮殿のような美しい部屋。コンセプトは子供の部屋…なのだろうか、同じく白と赤を基調とした家具に可愛らしいクマのぬいぐるみが置かれている。寝ているベッドは天蓋付きの豪奢なベッドで、どのような造りをしているのか柔らかくどこまでも沈みそうだ。こんなベッドで寝るなんて生まれてこの方初めてだ。なんだこれ。寝起きでもわかる、私の部屋じゃない。
兄妹の悪戯なのだろうか…今回は無駄に手の込んだセットだ。私はこの状況にドン引きするのを忘れて感心のため息を漏らす。
私の兄妹は図工が大好きで、よくこのような悪戯を仕掛けてくる。俳優業の兄と建築学科の妹。二人が集まると何故か裏方の家具議談になり、使いやすい家具とは何たるかを語っているうちに実際に作ってしまう。そして使い心地を私で実験するのだ。
意味がわからない。俳優業って使い心地とか気にするのか。建築学科って家具から作るのか。こいつら家具屋に弟子入りすればいいのに。
こんな大層なセットを使ったものは初めてだが、一日二日で理想の家具とやらを作ってしまう非常識を地で行く人間だからこそ納得してしまう。しかもこいつらは家具だけに飽き足らず、とうとう家まで立ててしまったらしい。きっと兄の有り余る財力で家を建てたんだろう。馬鹿なのだろうか。
今回もにっこにっこ笑いながら『驚いた? 今回は力作なんだ』と言う二人の姿が目に浮かぶ。
もう十分驚きましたとも。本当どこで作ってきたのさコレ。そろそろ自重しないと怒られるよ。…てか私が怒る。仕事しろお前、大変なのは私なんだよ。
…なんて呑気に思ってた時期が私にはありました。
右、執事。左、メイド。天蓋のベッドを挟むようにして、執事服を着た人達が号泣。メイド服を着た人達はダイナミックに抱き合って泣き崩れている。どアップで私の手を握ってくるお若い美形様なんて涙とか鼻水とかで素晴らしく汚い顔になっていらっしゃる。なにこれ……葬式?
「セレス…セレス……」
誰だよお前。誰だよセレス。ていうか、べたべた顔を触るんじゃない。その手で鼻水拭ってたよな、ふざけんなよ。
「お嬢様…大丈夫でございますか?」
執事、お前の目は節穴か。大丈夫じゃない。早くこの汚いのを退けてくれ。私の顔面が鼻水まみれになる。
「お、お嬢様…お労しい」
うるさいメイド。言う暇があるなら助けろ。あと顔面が崩壊してるからメイク直してこい。ついでにこいつも持ってけ。ってそれよりも。
「君達誰? サプライズはこの家だけにしてくれよ…」
「は…?な、何を言って……」
「んん…あれ、おかしいな。あー、あー……メイドさん、申し訳ないけど水くれないかな。喉の調子が悪いみたいだ」
愕然とする美形様を放置して、喉に手を添えて咳をする。やっぱり声が高い気がする。子供みたいな声になっているような…。日頃から叫びすぎているからかな。純粋に風邪で喉が荒れている可能性もあるな。のど飴舐めよう。……ってあれ、私の手ってこんなに小さかったっけ?
「ど…どうしたんだセレス。気が動転してるのか?こっ、こんな風にお父様をからかったら駄目なんだぞ?」
「何、今回はそういう設定? ごめんだけど明日も仕事があるから遊んでられないんだけど」
仕事っていうか、まず迷惑かけた人達に謝らないと…特にその色々な液体で汚いあなた。あなたは頑張りすぎだ、イケメン捨ててるでしょ。役が終わったら謝ります。あーこれ…何人に迷惑かけてるんだろう、頭が痛い。
小さくため息を吐いて、汚いのが呻いているのを横目にメイドが持ってきた水を受け取る。一口水を飲むと爽やかな柑橘系の味がして、無駄な演出に目が半目になりそうになる。美味しいし全部飲みきったけど、どこまで頑張る気なんだ。ここはカフェかなにかか。
髪色のおかしいメイドにコップを返してふと気がつく。私の髪…なんでピンクに染められてんの?
「……私が子供役かよ」
「っセレス!」
「ごめんね、美形の外人さん。なんだか眠くなってきた…寝させてくれないかな?」
ふぁ…、と小さく欠伸をしながら汚い美形に言う。正直眠くもないし寝る気もないが、こうも言わないとエキストラの皆様が出ていけないだろう?
役になりきっている汚いイケメンの肩をお疲れ様の意味を込めて軽く叩く。よくここまで美形を捨てられるな。プロ根性を見せてもらいました。なんて感心していると彼は縋るような目で私を見てきた。信じたくない事実を目の当たりにしたような顔だ。複雑な感情を含んだ瞳に違和感を覚える。……はて。
まあ、一人になってから考えるか。この美形の演技力がすごいだけかもしれない。私は目を閉じてエキストラの皆様が立ち去るのを待つ。数分も経てばベッドを囲んでいた人達はみんな出ていき、演技派の鼻水美形様も出ていった。廊下から『どういう事だっ!』なんて叫び声が聞こえてくるのはなかなか手が込んでいると思う。役目が終わったあとでも手を抜かないところがいいね。状況を把握していなかったらこの謎の世界観に飲み込まれていただろう。
だがどうせもう数分もすれば兄妹達が来る。『ドッキリ成功!』の看板でも背負って楽しそうに笑うのだ。
「…今回は面白かったね。無駄に金を使ってなかったら褒めてたな。あー…これ総額いくらだろ。くっそ高い気がするなぁ…」
すごく叱りたい。今すぐ叱りたい。いやいやまあまあ、兄妹が来るまで大人しくしておこうか。看板を持ってきて決め台詞を吐く、までの様式美をぶち壊すと怒られるのだ。そこまでやらせてから怒るのも悪くない。
廊下が静かになったのを見計らって枕に腰掛ける。可愛らしく繊細な家具にふわふわの絨毯。服を何十着でも収納出来そうなクローゼットに大きな姿見。まるで中世を舞台にした劇のセットを使っているような現代日本感のない洋風な家具に、色とりどりな髪色をした登場人物達。ファンタジー世界を思わせる現実感のなさに兄妹達の本気が伺える。何のマンガを参考にしたんだろう。想像だけじゃこんな綺麗な部屋を作るのに何年も時間がかかりそう。
それにしても遅いな…。結構時間待ってるんだけどいつまで経っても来ない。カーテン越しの空は青からだんだん日が傾いて赤くなる。日が沈むにつれ漠然とした不安に襲われて、私はカーテンを凝視した。明らかに夕方になっている。おかしい、三時間以上待っているのに来ない。
事故に遭ったのだろうか。
何かに襲われたのだろうか。
私のいないところでトラブルに巻き込まれているのでは?
怒りも様式美もすっぽり頭から抜け落ちて、兄妹への心配が急速に頭を占める。こうしちゃいられない。慌ててベッドから飛び起きて踏むのも躊躇われる絨毯に足を乗せる。想像通りの気持ち良い感触を楽しむ間もなく鏡を横切ると小さな何かが映し出された。
「……は?」
いや、そんな、まさか。
予想外の驚きに足が止まる。体が急激に冷えていく。一瞬止まった頭が見間違えだと答えを出すが、誰かが違うと叫び出す。
いや…違う、ほら、そうだ。これも手の込んだ冗談なのだ。私が疲れているか、実は鏡ではないホラー的な何か。ただ見間違えだだけで、あれは妄想の産物。兄妹の悪戯なのだ。だからそんなことなど気にせずに扉を開ければいい。早く探しに行こう。
頭では分かっているのだが、何故だか無性に自分の姿が見たい。
見間違えだ。
絶対見間違えだ。
おかしい、普通ならありえない。―――自分の姿が子供だなんて。
「…」
美味しい果実水を飲んだのに、何故だか喉が渇く。ごくり、と、唾液を飲む音が嫌に耳に残る。息が苦しい。
私よ、何をそう緊張しているの?ただ見るだけでいいのに緊張することなんてないでしょ?見たくなければ見なければいいじゃん。時間がある時に見ればいい。ねえ、そうでしょ?
自分を宥めるが頑なに足が前に進まない。一歩ずつ、しかし確実に覚束無い足取りが歩いていた道を辿る。後退する私の足は遂に鏡の前で立ち止まり、あとは顔を見るだけ。ちらっと見るだけだ―――
「―――っ…!」
鏡に映るのは私ではなく桃色の髪をした少女。呆然と目を見開く彼女は私が手を頬に伸ばすと同じように頬に触れた。
兄妹よ、私はか弱い少女になりました。人生初です。
あの後、状況が飲み込めず立ち竦んでいるとまた変な美形達が押しかけてきた。泣き付かれるわ長老っぽい人を呼び出されるわ絶叫するわでなかなか凄かった。これって演技じゃ…ないんだろうな。そう考えるとこの子はよほど愛されていたのだろう。人目もはばからず泣いてくれる人がこんなにいるなんて羨ましい限りだ。…だからと言って印象が変わるわけでもなく、キモいとしか感想が出ないんだけども。この美形様とか第一印象が鼻水だからね…汚いイメージしか出てこねぇ。
重い退けろ抱きつくな。頼むから話を聞け無視するな。呻きながら抵抗すると周囲は動揺と衝撃でまた騒がしくなる。口調が別人だの、性格が変わっただの、記憶が無いだの…いや、別人だから。言ったら言ったでもっと騒がしくなりそうだから言わないけど。
あー…失敗したなぁ。もっと可愛らしく『おはよ、はーと。』みたいなことを言っていればよかった。一か八かで誤魔化せたのに。
結局、記憶喪失って事で収拾する頃には夜になっていた。
私の名前はセレスティナ。お貴族様の一人娘らしい。年齢は8歳…だっけ?まあ、歳相応の見た目だと思う。趣味は花を眺めたり刺繍することだって。…うん、したことねぇわ。花は花見で酒がなきゃ見ないし、刺繍とか知らない。雑巾なら縫えるんだけどダメかな?
父親はさっきの汚い美形様。無駄に体格がよかったような気がするけどただの領主らしい。はぁ…残念すぎる。駄々をこねるアレが父親か…この子、大変だっただろうなぁ。
そういえば、一日中ベッドで過ごすなんて何年ぶりだろう。何をするでなくぼんやりと天井を眺めながら、ふと考える。今までが忙しすぎたせいか、一人の時間がこの上なく心地よい。考えたいことが山ほどあるが、仕事をしていた時よりも比較的に頭がスッキリしている。
肩の荷がおりたような感覚を不思議に思いながら―――ちらりと覗くその理由から目を逸らして、私は小さく丸くなる。
小さな手に細い腕、目線が低けりゃ声も高い。周りにいるのは髪の毛を奇抜に染めたコスプレ集団で、話が通じるかわからない。そもそも何時代なんだ。少なくとも現代の科学は使われていなさそうだし、見た目通り中世ほどの文明しかないのかもしれない。
ここは私の世界じゃない。
私が私だと証明できるものが無くなってしまった。
ふと右を向くと手鏡に映る小さな女の子と目が合った。桃色の髪の少女が不安げに瞳を揺らす。今にも泣きそうな表情に私は無理やり笑みを浮かべた。
「どう…なるんだろう」
少女の顔がくしゃりと歪んだ。
ありがとうございました。