楽園は一日にしてならず
下ネタばかりです。本当に酷い内容です。それでもよろしければ、どうぞ。
引きこもりの夜は早い。
家族が食卓を囲っている間は、まだ息を潜めている。が、しかし、リビングの灯りが消えた瞬間から全てが始まる。
「右……よし。左……よし。オールクリア」
扉からひょっこりと顔だけ出していた僕は、みなが寝静まったのを確認。そして忍び足で階段を下りる。忍者よりも華麗な足さばきで、階段という名の危険地帯を下りていく。そう、ここは危険なのだ。わずかな足音が騒音となり、妹に察知されかねない。
そうなったもう最後、僕は猫のように背中を丸めてその場に蹲るしかないのだ。
「よし……階段クリア。次は――リビングだ」
居間へと通じるこの扉を開くのもまた、一苦労。
立てつけが悪いので、ギギギっと音がなってしまうこともしばしば。そうなったらもう最後、妹が階段を駆け下りてくるに決まっている。
つまるところ、深夜帯は至福の時であると同時に、デンジャラスゾーンでもあるのだ。
「ふぅ……扉クリア。あとは、冷蔵庫に行くだけだ」
勝手知ったる我が家のように、僕は冷蔵庫に向かって歩みを進める。いや、もちろんここは自分の家だ。しかし、この二十四時から二十七時の間はまったくの別物。父親でも母親でもなく、この魔の時間帯に限っては妹が我が家の主なのだ。
「って……僕のプッチンぷっちんが消えてるじゃないか」
プッチンぷっちんとは、いま流行りのプリンである。ネットで大量買いしたものの、冷蔵庫に入れるタイミングが見つからずほとんどが腐った。それに懲りた僕は、必要な分だけ、つまりは一つずつネット注文することに決めたわけだが――。
「ない……ほんとにない。日向のやつ……食べやがったな」
日向とは、僕の妹のことだ。
最近では、妹の年齢どころか名前すら忘れそうになるので困ったものだ。
それはともかくとして。
プッチンぷっちんプリンが消えたいま、僕の腹を満たしてくれるものはなくなった。
甘党でベジタリアンな僕には、今晩の残りモノには手を出せない。
仕方がないので、適当にサラダでも作ろうとするのだが――。
「なっ!? や、野菜すらないだとっ!?」
これはもしかしたら、いやもしかしなくても、引き籠りたる僕への嫌がらせ。いや、ベジタリアンへの嫌がらせに違いない。
あれだけ口を酸っぱく、というかメールで野菜は常備しておいてください。お願いします。と言っておいたにも関わらずコレだ。
いま、僕に残された選択肢は二つ。食べずに我慢するか、コンビニへ行くか。答えはすぐに出た。食べずに我慢する、だ。
「くぅっ……これだから引き籠りなんて」
そう思うなら学校へ行こう。などと言う下らないツッコミは不要だ。何故なら僕は、なにがなんでも学校には行きたくないからだ。
たとえ学校中の女子生徒が裸になろうとも、僕は行かない。何故なら僕は、女性の裸に魅了を感じないからだ。僕は、下着フェチである。しかし、縞パンは却下だ。以上です。
「あれっ、やっぱりお兄ちゃんだ」
「なっ――」
な――んでそこにいるのか。あるいは、な――んで気づいたのか。僕がどっちを言おうとしていたのかは分からない。しかし、これだけは言える。僕はいま、崖っぷちに立たされているのだ。
「お兄ちゃんさあ、独り言やばいよ? 上にまで、女の裸がどうとかパンツがどうとか聞こえてたよ?」
「なっ――」
「なっ? なに? どういうこと? あたしは今、同意を求められてるの? パンツっていいよな。お前もそう思うだろ、なっ? ってことが言いたいの?」
「ちっ――」
「違うの? じゃあ、アレか。お前にはどうせ分からないって感じ?」
小首を傾げている日向から、そっと目を逸らして。
「お前なんか大っ嫌いだぁぁぁぁぁぁ!」
と、鼻水を垂らしながら叫ぶ僕だった。
「うわ、お兄ちゃんが発狂した。引き籠りの最終形態だよね、それ」
「どうしてお前はいつも、いつも、僕の邪魔をするんだぁぁぁぁぁぁ!」
「うん、よくわからないけど。とりあえず、落ち着こうよ。お兄ちゃんのプッチンちん食べたのは謝るから」
「ぷ、プッチンちん!?!」
「あれ? 名前が違ったっけ? ブッチン……ちんちん? あたしは、お兄ちゃんのちんちん食べたんだっけ?」
「この変態! なんでそうやって卑猥な言い間違えをするんだ!」
「ごめんね。でもさ、こういう下ネタじゃないと、お兄ちゃんが反応しないから」
「下ネタ以外でも反応するもん! お兄ちゃんはそんなにエッチじゃないもん!」
もはや号泣しながら叫んでいると、なぜか日向はニッコリと笑って。
「よし……これで、記録更新だね、お兄ちゃん」
「えっ……」
「部屋を出て、あたしと向き合ってからおよそ三十秒。今までは、あたしの顔みた瞬間に逃げ出してたんだよ? これ、大きな進歩じゃん」
日向に言われて、僕はハッとした。もしや僕は、昔と比べたら成長しているのかもしれない。そして、僕が成長できたのは、他ならぬ――妹のおかげ。
感動のあまり目頭を熱くしていると、日向は照れたように微笑して。
「あっ、進歩だからね? ちんぽじゃなくて、進歩だからね?」
「お兄ちゃんをバカにするなよちくしょー!」
「だってお兄ちゃん、脳内エロパラダイスじゃん」
「そんな楽園は存在しないっ!」
「でも、思想の自由だって認められてるし。何をどう想像しようとお兄ちゃんの勝手だと思うなぁ」
「お前はとにかくプッチンぷっちんを買って! そしてお兄ちゃんに献上して!」
「うん。わかった了解。それじゃあお兄ちゃん、コンビニまで一緒に買いに行こうよ」
腕を絡めてそのまま無理やり連れて行かれそうだったので、僕は走って逃げた。急いで部屋に戻って、そして施錠。すると、ドンドンと扉を叩かれる。
「お兄ちゃーん、出てきてよー!」
「や、やめろっ! 僕は二度とお前の顔なんて見たくない! この変態めっ!」
「ふうん……じゃあ、あたしのパンツ見せてあげるって言っても、出てこない?」
「なっ――」
「一石二鳥だよー、お兄ちゃん。パンツを拝み、そしてプリンも食べられる。これぞ正しくパラダイス。でしょ?」
「そこに楽園があったのかぁ!」
甘いものにもパンツにも目が無い僕は、部屋から飛び出した。
けれど、一瞬にして期待は裏切られた。
「はい、パンツ」
「えっ……」
「ああ、これ? お兄ちゃんのことをもっと知ろうと思ってさ。ほら、最近はまったくコミュニケーションとれてなかったじゃん?」
「えっ……でも……え?」
「相手の気持ちを知るには、まず形から。というわけでお兄ちゃんのパンツを穿いてみました。ああ、もちろん、直接じゃないよ? ちゃーんと、下に自分の穿いてるからご安心を!」
「僕の楽園を返せぇぇぇぇぇぇ!」
今日の教訓は、こういうものだ。
ローマにしても楽園にしても、一日にしてならず。そういうことだ。