地球は青かった――の、続きってなんだっけ
期待しない。怒らない。呆れない。この三つを守って頂ける読者の方のみ、お読みください。
「お兄ちゃーん。あたし、そろそろ学校行くからねー」
扉越しに聞こえてくる妹――日向の声に、僕はビクビクしていた。それは恐らく、僕が引きこもりだからというより、女嫌いだからだろう。
「お兄ちゃんってばー、いるのは分かってるんだから、返事ぐらいしてよー」
「ひゃ、ひゃい!」
「ひゃい? なに? 寝ぼけてるの?」
「ちがっ」
「血がっ!? なに!? 扉の向こうでは何が起きてるの!?」
とんでもない力でドアを叩いてくるので、僕は布団の中に潜りこんだ。これは、怖い。もしかしたら勢いあまって、扉をぶち壊してしまうのではないか。
ひょっこりと布団から顔を出して、恐る恐るドアへと視線を送る。バンっ、バンっという犬の咆哮のように恐ろしい音だ。このままでは、いずれ結界は破られる。この不可侵領域に、男ならまだしも女が踏み込んでくるのはいただけない。何故なら、空気が淀んでしまうから。空気が淀めば、頭が痛くなる。頭が痛くなれば、ますます部屋から出たくなくなる。そうなったらもう、手遅れだ。一日どころか、二日三日と閉じこもり、飢えの苦しみに悩まされることだろう。よし、ならば行こう。乱暴なドアどんに、一喝してやらなければ。
「や、やめろ! 扉が泣いてるぞ!」
「お母さんだって泣いてるよ! お兄ちゃんが顔見せないから!」
これはクリティカル。引き籠りたるこの僕の心理を、しっかりと理解しているな。
「と、とにかく! ドアを叩くな!」
「お兄ちゃんだって、あたしの好きなアニメ叩いてた癖に!」
「そ、それは違うぞ! ていうか、なんでその事知ってるんだよ!」
「だってお兄ちゃん、独り言がウルサイんだもん! 昨日だって、深夜帯に叫んでたじゃん! このアニメは何も分かってない、みたいな!」
さすがは、この僕の妹である。全てはお見通し。そういうことなのだろう。だとしたら、いささか気が進まないが、降伏するとしよう。このままでは、僕に勝ち目はない。
「分かった……諦めて、部屋から出るよ」
「えっ? 話が、すり替わってない?」
「へっ……?」
騒音がやみ、日向は語り掛けるようにして言ってくる。
「あたしはね、お兄ちゃんの生存確認のために、こうして声をかけてるの。だからね、別に出てこなくてもイイんだよ。ちゃんと、生きてるならね」
死んでたら出ていけない。という詰まらないツッコミは入れない。代わりに、僕は小さくため息をつくことにした。
「そうか……なんか、ごめんな。こんなお兄ちゃんで」
「ううん。大丈夫。もう割り切ってるから」
「割り切ってる……?」
「うん。お兄ちゃんは引き籠りだって、そう割り切って考えてるから大丈夫だよ」
それだけ言い残して、日向は立ち去ってしまった。何故か嬉しそうに階段を下りているので、とても悲しい。お兄ちゃんは、とうとう妹からも見捨てられてしまったのだろうか。
「お兄ちゃん……逝きまーす……」
そんな下らない冗談はさておき、我が王国には平穏が訪れたわけだ。両親はとっくに仕事へ行ってしまったし、ラスボスたる日向も学校に向かった。つまりは、我が王国のみならず、マイホームという名の世界を掌握したも同然である。
「は、ハハハッ! 僕は全知全能の神! 神! 神だ!」
「お兄ちゃん? なに、紙が欲しいの?」
「どわっ!? いつの間に!? ていうか、学校に行ったんじゃなかったのかよ!」
「フェイクだよ。それで、なんだっけ。紙が欲しいんだよね。ティッシュ? それともトイレットペーパー? あっ、何に使うのかは察してるから、言わなくていいよ。男の子だもんね」
「勝手な思い込みをするな! ていうか、早く行けよ!」
「えへへ、実はね、今日は学校がお休みなんだよね」
「なっ―――――」
驚くべき事実を告げられて、僕は失神した。神はもういない。神は、いないのだ。
「お、お兄ちゃん? なんか今、バタンって聞こえたけど大丈夫? 倒れてるの?」
薄れゆく意識の中で、僕は思った。なんだよ……やっぱり僕のこと、心配してるんじゃないかって。割り切った癖に、さ。




