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悠久なる君へ~3300年の記憶~  作者: 雛子
1章 黄金と茶色
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ルクソール

 手軽に着れるノースリーブのグレーのワンピースに、つばの大きな白い帽子を被る。少し地味だろうかと鏡に映る自分を見て首を傾げた。

 帽子が無いとすぐに暑さに負けてしまうに加え、淡い色の服だと太陽の光を反射するから肌が焼けしてしまう。家族と出かけるだけだから、そんなに気にすることでもないと妥協してもう一度帽子を深く被り直した。


「弘子ーっ!準備できたなら早く降りてきなさい!置いてくわよ!」


「待って、すぐ行く!」


 肩から斜めに掛けた赤いショルダーに参考書と携帯を入れて部屋を出た。お財布も忘れずに入れた。これでもし迷子になっても自力で帰ってこられる。

 とりあえず、今度の試験のことしか今は頭になかった。この試験を落としたら大変なことになる。ものすごくどころではない。表現する言葉が思いつかないくらい重大なことだ。進路に悩んではいても、今はやるべきものだらけで目先のことに追われている。これから回る遺跡に格別に興味があるわけでもないから、時間がある時は勉強時間に回そうと目論んでいた。

 駆け足で階段を降りると母と良樹が待っていた。父はもう車でエンジンでもかけているのだろう。


「弘子、のろま」


「ごめんったら」


 どのサンダルで行こうと並んでいる靴を見て考える。歩き回るのなら、ヒールが無い方がいいだろうと一足取り出して玄関に並べた。


「その服似合ってる」


「素敵なお世辞ありがと」


 そっけない良樹の褒め言葉を適当に流したら母が嬉しそうに笑った。


「二人とも仲良いわね」


「そうなんですよ、意気投合して付き合うことにしました」


「嘘はいけませんよ、良樹くん。お母さん、騙されないで」


 昨日、お母さんからあんなことを言われたのに、案外私は普通に彼と接することができている。やっぱり私には彼を恋愛対象として見えていないのだろう。


「弘子は準備だけじゃなくて、靴履くのも遅いんだなあ」


「待ってなくていいわよ、先行ってていいから」


 いつもの会話を交わしながらサンダルを履いて結局は良樹と一緒に外へ出ると、相変わらず目を瞑ってしまうくらいの眩しい太陽が金色を煌めかせてあたりに光を降り注いでいた。


「朝からあっついなあ。40度超えるの当たり前なんだろ?」


 良樹が手で目の上に影を作りながら気怠そうに顔を歪めた。


「夏は当たり前。この前は45度まで上がったって。酷い時は47度よ。その代わり夜は寒くなるんだけど」


「さすがエジプト、アメリカとは違うな」


 アメリカだけじゃない。エジプトの太陽は、日本の太陽と同じもののはずなのにこうしていると全然違うことが分かる。目が向けられないほどに光り輝き、地面や人を暑さに焦がすこの太陽。嫌いという訳ではない。むしろ威厳さえ感じるこの力強い光が私は好きだった。


「ほら、早く車に入れ。エアコンつけておいたから涼しいぞ」


 お父さんの言葉通り、飛び込んだ車内はとても涼しかった。ほっと息をついて後ろ座席にもたれる。

 お父さんが運転席で、お母さんが助手席、そして後部座席に私と良樹だ。


「俺、すっごい楽しみになってきた」


 さっそく参考書を開いた時、隣で良樹の声が弾けた。


「な?弘子」


「そうね。楽しみ楽しみ」


「何だ、その棒読みは。それよりそんな今から勉強なんてやめろよ、この湧き上がる気分が台無しになるだろ」


 ひょいと参考書を取り上げられる。


「ちょっと!!試験近いのよ!返して!」


「うわ、これ懐かしい。俺、13の時やったわ、これ」


「そんな自慢どうでもいいから返してよ」


 良樹がケラケラと笑った瞬間、お父さんが片腕を高々と上げた。


「よし!それではしゅっぱーつ!!」


 そんなお父さんとお母さんの声で、工藤家と中村良樹の愉快なエジプト遺跡めぐりが始まった。





 今日主に回るのはルクソールだった。車で4時間ほど行ったところにある、3000年経った今でも多くの遺跡が残されているエジプトの都市の一つ。あの王家の谷もあるから、この都市丸ごと世界文化遺産に登録されている場所だ。エジプトはもともとどこを見ても遺跡がある国だけれど、ルクソールにはそれ以上に、それはもう腐るほどに遺跡がある。


「ほら、ナイル川だぞ」


 お父さんの声で車の窓に映る風景に目をやると、海を思わせるくらいの川がずっと伸びていた。この川があったからこそ、エジプトは文明を発達させることができたと言われている。


「海みたいだなあ。向こう岸がずっと遠い」


「ナイル川は古代人にとっては神様も同然だったんだ。この川のおかげで水に餓えることはなかったし、食物もたくさん育てられたからね。文献の中では『母なるナイル』とも呼ばれていたんだよ」


 母なるナイル。

 父の言葉をそっと胸に呟いてみる。こんなに大きく、壮大な大河を、母と崇めた古代の人々の気持ちがなんとなく分かる気がした。


「このナイル川でルクソールは二つに分けられてるんだ。今走ってるこっちが東岸で、生ける人々の住む場所。有名な神殿があちらこちらにある。そして見えない向こう岸。あっちは西岸で、死んだ人々の眠る場所。あの王家の谷も西にあるんだ」


 あの薄茶色の砂で覆われる寂しい谷。それがこのナイル川の向こうにある。


「今日は東岸の遺跡を回ってから、西に渡って王家の谷に行こうと思ってる」


 走る車の中から、私は母なるナイルの向こう岸にうっすらと見える茶色の谷を眺めていた。




 ルクソールに着くとまずは目玉とも言えるルクソール神殿に向かった。何体もの小さなスフィンクスのような石像の参道が神殿に向かって続いている。

 ツタンカーメンと同じ第18王朝、その祖父に当たるアメンホテプ3世が作った大神殿だ。入口にはファラオの偉業を証明するための細い塔のようなオベリスクと呼ばれる建造物が一本立っており、最も偉大なファラオとして現代でも知られるラムセス2世の像が2体並んでいる。

 興奮した父は私と母を残して、良樹の腕を引っ張りながら走って行ってしまう始末だった。


「お父さんたら」


 母は穏やかに頬を上げて、遠くにいる二人を眺めていた。本当に子供の頃に帰ったようなはしゃぎ様だ。父と良樹の後を追うように歩きながら、ようやく神殿の入り口まで来てオベリスクを仰いだ。

 高さは20メートルくらいはあるだろうか。オベリスクは元々2本あったものの、今は無いもう1本は19世紀にフランスに持って行かれてしまっていた。その国の遺産はこの国の物なのだというのに、何故外国にわたってしまったのか。19世紀頃、エジプトは弱い立場だったから、フランスともなる大国には太刀打ちできなかったのかも知れない。

 遺跡にさほどの興味がない私でも、実物を目の前にするとありがたみを感じてしまう。手を合わせたくなるのは私が日本人だからだろうか。


 ルクソール神殿の次に向かったのが、比較的近い場所にあるカルナック神殿だった。歴代3人のファラオが増築して完成させた大きな神殿だ。昔はとても栄えていたのだろうけれど、今はとても寂しい場所となっている。砂漠の砂で埋もれてしまった神殿の石の柱が、3000年前の栄華を消してしまっていた。


「今は綺麗に神殿の形が分かるが、クレオパトラの時代では、瓦礫の山で神殿なのかさえ分からなかったと言われている」


 父が寂しそうに隣で呟く。またこの遺跡に感情移入してるのだと分かるのにそれほど時間は要さなかった。


「それに異民族に破壊されてしまったり、ヨーロッパ人に持って行かれてしまったものもある」


 悲しいものだ。父に影響されたのか、ふとそんな言葉が胸を走った。

 こんな立派な神殿を作った人たちはもうとっくの昔に死んではいても自分が頑張って作ったものを破壊され、盗まれ、きっとあの世で泣いているのだろう。

 奥に入って行くと巨大な柱に囲まれて、ようやく日陰に覆われた。涼しい所に来れて安堵の息をついた。

 なんて大きな柱だろうと、柱に触れて空に聳え立つ古代の浮彫を宿す柱を見上げた。3000年も昔の人も私と同じようにこの柱を見上げたのかと思うと少し胸が弾んだ。


「ねえ、お母さん」


「なあに?」


 日陰で涼んでいた母は微笑んで、こちらへ歩いてくる。


「昔、エジプトに来たくらいの頃、ここに来たことあったよね。お父さんに引っ張られて」


「……あら、無いわよ」


「あれ、そうだっけ?」


 何故か、随分昔にここに来たような気がしていた。ここに来て、同じような柱に触れて、空を仰いだような記憶が頭の片隅にある。


「エジプトに来たばかりの頃、弘子ったら環境の変化に慣れなくて、吐いたり風邪ひいたり、大変だったじゃないの」


 言われてみれば、なかなか外に出してもらえなかった。あの時のお母さんの心配そうな顔や、額を撫でてくれていた手は今でも覚えている。


「この中でここに来たことがあるのはお父さんだけよ。お母さんはあなたと一緒にいたから」


 ならどうして、そんな記憶があるのだろう。単なる勘違いだろうか。


「きっとお父さんに何度もここの話をされたから、来た気になってるのね」


 母はそう言ってはしゃぐお父さんの方を見やった。父は相変わらず、私たちを放って良樹の腕を引っ張りながら色んな説明をしまくっている。連れまわされている良樹はほとんど苦笑いだ。良樹この暑さに慣れていないからしんどさが出てきているのだ。

 今日はおそらく35度くらいでも、アメリカと日本で育った彼には絶対にきつい気温のはずだ。それに彼はお父さん程エジプトに興味がある訳ではない。興味があるとしたら、普通の人よりもあるというくらいだ。でもお父さんの話について行こうと頑張ってくれている。良樹は優しい人なのだ。


 カルナック神殿のあとは動物のミイラがたくさん置いてあるミイラ博物館と、カイロ博物館ほどではないが、たくさんの出土品が展示されているルクソール博物館を回って東岸めぐりを終えた。




 昼食を終えて、西岸に着いた時にはもう午後3時を回っていた。王家の谷の前に王妃の谷に寄ることになった。王家の谷はファラオたちの集団墓地であるのに対し、王妃の谷はそのファラオたちの妃や子息の集団墓地だ。


「ここにはツタンカーメンの唯一の王妃の墓もあると言われているんだが、見つかってないんだよね」


 父がぽつりと言葉を零した『ツタンカーメン』という名に、どうしても変な感覚が身体の中を駆けていく。額をぎゅっとしめつけるような、小さな頭痛と共に。


「そう言えば、聞いたことがあります。その妃の墓さえ見つかれば、ツタンカーメンの死の真相も分かるはずだって」


 私の隣にいた良樹が言った。


「ツタンカーメンの死?」


「弘子知らないのか?有名な話なのに」


 良樹の言葉に、こくりと頷く。


「寿命じゃないの?」


「ダメだなあ、本当にエジプトに住んでるのか?アメリカ国籍の俺だって知ってるのに」


「無知ですみませんでした。私はあなたと違うんです」


 口を尖らせた私にまた彼は笑った。笑われても興味が無いのだから仕方がない。


「もともと医学があまり発達していなかった古代人の寿命は短い。大概事故や病死で、平均寿命は三十代後半前後。でもツタンカーメンはとても若くして死んでいる。それに彼のミイラには結構いろんな所に損傷があるんだ。それも医学的にも研究されているのに死因が良く分かってない。殺人説、事故死説、病死説が一応死因としてあげられてるけどね。今でも謎が多いファラオだよ」


 良樹の説明にへえ、と声を漏らした。


「それにファラオの呪いもあるのよ」


 今度は母が身を乗り出してきた。そう言えば、同じ言葉を博物館の警備員さんにも言われた。


「1930年までにツタンカーメンの墓の発掘に関わった人たち22人が死亡したの。生き残ったのは、たった1人だけ。ミステリーよねえ」


 そんな呪いがあったのか。ツタンカーメン発見は1922年。それから10年もしない内に22人はさすがに多い気がする。


「それにね、封印されていたツタンカーメン王の墓の入り口には、『偉大なるファラオの墓に触れた者に、死はその素早き翼をもって飛びかかるであろう』って書かれてたんだよ。まさにその通りになったって訳さ」


 更に父が追い打ちをかけるように言うものだから、思わず隣にいた母の袖を掴んだ。


「弘子は臆病だなあ」


 良樹がケラケラと笑う。


「だ、だって!お父さんとお母さんが変なこと言うから!!」


 何でみんなこんなに詳しいのだろう。この中で私が一番無知のようだ。


「よし、じゃあ、最後はツタンカーメン王墓に行くか」


「ちょっと、やめようよ、お父さん」


 そんな呪いの話を聞いた後だとどうしても気が引ける。

 父はまた気合を入れ直して歩き出した。母も楽しみねえ、とその後を追う。


「ツタンカーメンの王墓行ってみたかったんだ。ほら弘子、走れ」


 良樹が私の腕を引っ付かんで、走り出した。


「ちょ、ちょっと!走らないで!転んじゃうでしょ!ねえ!」


 茶色の砂の上を走る。黄土色の砂を乗せた風で目がまともに開けられなかった。


「弘子」


 あっという間にお父さんとお母さんを追い抜いて、車の前に着く。


「え?」


 顔にかかった砂を払いながら、彼の方を見る。いつもより距離の近いその人から砂漠の砂の匂いがした。


「弘子の18の誕生日に、言いたいことがある」


 良樹はにっこりと笑っていた。


「言いたいこと?」


「そう。弘子に言いたいこと」


 彼は口端をあげて、こくんと頷く。


「何?気になるから今言って」


「それは嫌だなあ」


 もったいぶるように、彼ははにかんで身体を離した。

 何だろう。言うことがあるなら、さっさと言ってほしい。もしかしてと思うところがあって、緊張が細い糸のようにぴんと張るのを感じた。


「弘子は焦らせた方が面白いから、今はやめとく」


「何よ、それ」


 また微笑みを湛えて、彼は何も言わず私の両親の方を見やった。


「おじさん!おばさん!早く!」


 腑に落ちなくて、眉間に皺を寄せながら車に乗り込む。

 10月の誕生日まであと2か月。それまでに返事を決めておかなければならないかもしれない。


「さあ、王家の谷に行くぞ!」


 そんな父の意気揚々とした声と共に、エンジンが音を立て始める。何を話すつもりなのかと横目で鼻歌を歌う彼を見やりながら、車が進んでいくのを感じていた。



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