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悠久なる君へ~3300年の記憶~  作者: 雛子
27章 太陽の国
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博物館


『──お母さんね、夢を見たの』


 これが、日本に帰って落ち着いた1年ほど経った頃に、母から話された夢の話の始まりだった。


『──弘子がメアリーと一緒に古代に行って、沢山の人たちと一緒に一生懸命に生きていた、そんな夢』


 私が二度目の失踪を遂げた後、何日も物語を追うように、母は眠るたびに夢を見ていたと言った。やがて、その夢が私の身に実際に起きていることなのだと悟りながらも、忘れてしまいそうな儚い記憶しか残してくれず、私が戻ってきた今はもううっすらとしか残っていないのだとも。私が発見されたあの夜も、夢の中で私が王家の谷に向かっているのを知ったからこそ、深夜にも関わらず王家の谷へ向かったのだとも教えてくれた。

 不思議な話だと思う。話された時は胸が騒ぐのを感じながら、私はどうしてもその話を信じることができないでいた。それは今も変わっていない。


『──弘子は、それでいいのよ。ただ、知っておいてほしいだけ』


 先程の従妹の言葉を振り返っていると、1年も前の母のそんな言葉が甦ってきた。


 従妹と別れ、空色の小田急線から新宿へ、そこからJR線の山手線に乗り換えて上野駅へ26分。

 上野駅公園口の改札から出てすぐに現れる、横断歩道を行く。募金集めや、何かの署名活動、土曜日ということもあって、思った以上に横断歩道の周りに人は多い。道路を挟んだ先にある博物館と動物園の案内板の周りには人待ちする人々の姿があった。家族で。恋人同士で。上野動物園か、それか他の博物館や美術館の特別展を見に来たか、だと思う。

 私はそこを縫うように歩きながら携帯を確認した。

 母からの着信があった。メールを開くと、「さっき出発したばかりだから約束の時間よりも遅れてしまう」という内容が困った顔の絵文字と一緒に画面に並んでいる。

 それほど遠くはないから30分くらいだろうと、横断歩道から少し行ったところにあるカフェに入って、そこで紅茶を飲みながら母を待つことにした。

 紅茶を買って席に座ると、この前買って読みかけだった本を鞄から取り出し、栞のところを開いて読み始める。題名は「死が最後にやってくる」。考古学者の夫がいたアガサ・クリスティーの著書で、たまたまミステリーフェアで平積みされていたものから手に取って購入した。金と黒のエジプト彫刻の横顔が神秘的に取り上げられたハヤカワ文庫の表紙には神秘的な魅力があって、この表紙があったからこそ選んだと言っても過言ではない。

 その内容はエジプトが舞台のミステリー。紀元前二千年の古代エジプトで、墓守一家に起きる連続殺人事件。読んでいると、これを書き上げたクリスティーの構成力の高さには脱帽してしまう。

 それでも今日に限っては、恭介や香澄のことで頭がいっぱいになって、なかなか進まず、ついには読むのを諦めて外を眺めることに徹することにした。頭がいっぱいになったら、風景を眺めて一度空っぽにするのが良い解決策だとどこかで読んだことがある。

 すると、小さな女の子が、大きめのパンダをぬいぐるみを抱いて母親と一緒にカフェに入ってきた。丸い瞳でガラスごしに並ぶケーキを見つめ、これがいいと母親にせがんでいる。上野動物園からの帰りだろうか。輝かしい、柔らかな子供特有の笑顔は、遠くから眺めている私の口元を緩ませるほどに可愛らしい。数席離れたところに座っている別の家族の体型の良い父親は、すでに額にびっしょりと汗をかいて、ひたすら首にかけたタオルで顔をぬぐっている。また数席離れたところでは疲れを露わにしつつある両親に対して、二人の小さな兄弟が元気いっぱいな大きな声でライオン、ライオン、と連呼し、動物園をいかに楽しみにしているかを身振り手振りで興奮気味に訴えていた。


 外を眺めていると半袖の人も多く、もう夏に入りつつある季節なのだとぼんやりと思った。13時半を回った空は恐ろしいほどに晴れ晴れとし、どれだけ気温が上昇しているのかを物語っている。自分も、ホームから階段を降りて駅へ向かう間に若干の汗をかいたことを考えると、半袖にしてしまえばよかったと今更ながらに後悔した。


「弘子」


 そんなこんなしていると、母が手を振りながらやってきた。本を鞄にしまいつつ、手を振り返す。


「待ったでしょ、ごめんね」


 向かいの席に手をかけて、すでに紅茶を手にした母は笑う。


「ううん、そうでもないよ、大丈夫」


 確か、今日は親友のところに行くと言っていた。仲の良い二人だから、話が弾んだのだろう。その母の親友は、この前までアメリカにいた方で、私の三歳の七五三にも来てくれた、私を娘のように思ってくれている人でもあった。


「中村のおばさん、元気だった?」


「ええ。アルバム整理に追われてたわ。大変だって言いながら楽しそうだった」


 そう答える母は私の向かい側の席に座り、紅茶を一口啜った。


「アルバム?」


「家にアルバムがたくさんあるのに、全部風景ばかりで整理してたんですって。それもただの庭だったり、何もないプールだったり、小学校の校庭……過去の自分が何を写そうとしたのか全く分からないって困ってたわ。子供が生まれたら行こうと思っていた所ばかりだって笑っていたけれど」


 その家には、誰も写っていない写真があちらこちらにあるそうだ。家の一部屋も同じ。アメリカから帰ったら、何も無い、すっからかんの部屋がひとつだけ二階にあったと。

 私の部屋にも、同じような写真が何枚もあることを思い出した。写真に写る私の隣は、ぽっかりと空いている。まるで、そこに誰かがいたかのように。

 注文した物を飲み終わった頃には、すでに14時になっていた。時計を見た母が椅子から立ち上がる。


「さて、そろそろ行きましょうか。見る時間がなくなっちゃう」


 母は私の隣で嬉しそうに上野の道を歩いた。通路に沿って植えられた青く茂った木々の間から漏れる木漏れ日を全身に浴びて、周りの風景を楽しむ。正面に現れた上野動物園を視界の端に、西洋美術館の前を曲がり、クジラの大きなモニュメントが特徴の国立科学博物館の前を通り過ぎ、突き当りを左に曲がった。


「弘子に言ったことあったかしら。ここが初めてお父さんと二人きりで出かけた場所だって」


 突然言われて、驚いて目を丸くした。


「初めて聞いた。出会ったのが大学で、学生時代に付き合い始めたのは知ってるけど、他は知らないかも」


 そうねえ、と母は考えるようにしてから顔を上げた。


「……弘子には言ったこと無かったけれど、お母さんのひいおばあちゃんって、エジプト人だったのよ。本当に随分昔の人の話になっちゃうけれど。弘子にとってはひいひいおばあちゃん……高祖母ね」


 私にとっての高祖母とは、多分、明治あたりの人にならないだろうか。開国した後、世界のものを急速に吸収した時代だったから、誰かがエジプトに行ったり、来たりすることもあったのかもしれない。


「だから弘子にもエジプトの血が、実はほんのちょっとだけ流れているの」


 とすると、新井家の叔母や従兄弟たちもエジプトの血を引く人たちだということになる。


「お母さんもそれを初めて聞かされたのが大学入学の頃だったから、今まで興味もなかったエジプトが急に近くになって、どうしようもなく知りたくなった。エジプトって言えば考古学。それで大学で細々とやっていたエジプト考古学研究会をたまたま見つけて入ってみたのよ。やっぱり自分のルーツって気になるじゃない?」


「そこにいたのがお父さん?」


「そう。研究会っていっても一人だけしかいなかった。本がいっぱい並んでいて、遺跡の小さなレプリカがその間にちょこちょこ置かれてる、あまり綺麗とは言えない狭い部屋でね。他の部員は?って聞いたら、全員幽霊部員だって言われて思わず笑っちゃった」


 道路を挟んで見えてくるのは、明治の豪華建築のような壮大な建物、東京国立博物館。今回の私たちの目的はここだった。昨夜、母が一緒にいかないかと誘ってくれたのだ。

 気づけば、上野動物園までの人混みが嘘のように減っている。

 信号が青になり、数人の人たちと渡り歩くと、国立博物館の門に行きあたる。そこでお財布を取り出して、向かって右側にある自動発券機で600円を支払い、チケットを買った。私のチケットには法隆寺宝物館、母のチケットは古今珍物集覧が印刷されている。チケットの絵柄は他にもいくつか種類がありそうだ。

 母に「入りましょ」と言われて係員の人にチケットを差し出し、戻ってきたそれに目をやると、緑の勾玉模様のスタンプが押されていた。門をくぐると、大きな池のある博物館の広場が現れた。池の周りにはベンチがあり、サングラスをかけた外国人が疲れ果てた顔でぐったりと腰を下ろして雲一つない空を仰いでいる。太陽はぎらぎらと容赦なく、彼らの影を真っ黒に染め上げていた。

 それでね、と母が話を続けた。


「この研究会を覗いた理由として、実は私の血筋にエジプト人がいて、って言ったら、お父さんったら顔を真っ赤にして興奮しちゃって。エジプトの血なんて羨ましい、って初対面のお母さんに言って来たのよ、びっくりしちゃった」


 なんとも父らしい。大学生時代の若かりし父は、一人だったところにエジプトを知りたいと言う母が来て、それも自分の大好きなエジプトの血が入っているというのだから、もう嬉しさで頭が上手く回っていなかったのだと思う。私の父はとにかくエジプトの魅力に取りつかれた人でもある。


「まあ人数が多い所に入る気もなかったし、お父さんも悪い人ではなさそうだし、エジプトが知りたかったから、そのまま入部して、講義が終わった後にいろんなことを教えてもらった。今の知識はその時の賜物ね。お母さん、すごく楽しくて」


 父との馴れ初めを話す母は、嬉しそうに輝いて、何だか同じ年頃の女の子に見えた。


「確かにお父さんは話し始めると止まらなくて、一人で突っ走っちゃうところがあるから、これを嫌に思ってしまう人もいるかもしれないけれど、お母さんはお父さんのそんなところにとても惹かれたわ。それで、1年ほど経ったくらいに初めて、お父さんから現物を見に行かないかって誘われたの。それがここ」


 てっきり、そのまま中央にそびえ立つお屋敷のような本館に向かうと思いきや、母の指は右側にあった灰色の箱舟のような建物を示した。

 アジアギャラリー、東洋館。「東洋美術をめぐる旅」をコンセプトに、中国、朝鮮半島、東南アジア、西域、インド、エジプトなどの美術と工芸、考古遺物を展示している建物で、横長の入口には小さめの中国風神獣像が守るように立っている。


「お父さんのその時の顔、ゆでだこみたいだったのよ。よっぽど緊張してたのね」


 そういう馴れ初めの後に、両親はそれぞれに卒業、就職を迎え、数年後に結婚して私が生まれた。父が念願のエジプトで働くことが決まったのは、私が6歳の時のことだ。


「……日本の博物館に、エジプトのものがあったのね」


 中に入ってインフォメーションのカウンターに並んでいるパンフレットを開いてみると、確かに2階にエジプトの文字がある。親しみやすい柔らかなイラストは、子供でも喜びそうな絵柄だった。


「ちょっとだけね。戦前に、友好の印としてエジプト考古庁から貰い受けていたそうよ」


 エジプト。その響きを聴くだけで、胸が僅かに高鳴る理由は自分でも分からない。


「弘子はもう何年振りかしら……20年は越えるわね」


 まだ抱っこされながら来るような小さい頃、3歳だった私はここに連れられて来たそうだ。私がもう25になるのだから、22年前くらい前の話になる。幼い娘を連れてきたは良いものの、離れたくないと地団駄を踏まれて困ったのだと言う。だが、その記憶はもう頭の片隅にさえ残っていなかった。


「改装したんだわ……前と随分違ってる」


 そのまま中に入り、最初は仏像を見て回った。暗がりの展示室で、上から白いライトが厳かに過去の遺物を照らし出している。神聖さがあり、感心からため息が漏れた。隣には、スケッチブックを手に、目の前にある一体の白い像を懸命に描いている人がいた。後ろを通り過ぎる時にちらと覗いたその絵は、目が飛び出てしまうくらいに上手で二度見してしまうほどだ。

 階段を上がった2階には、イスラム圏の仏像たちが列を作っている。波打つ癖毛の髪に、彫りの深い顔。中国と日本で作られた仏像と比べると、同じ人を彫ったものとは思えないほど、こちらの方が若々しい。身体にも多くの装飾が成されており、日本の鎌倉の大仏や奈良の大仏と比較すると華美で別の美しさがある。釈迦の王子時代を表しているようだった。

 そこを越えれば、いよいよエジプトを含んだ古代オリエントのエリアにやってくる。エジプトは人類最古の文明揺籃の地として紹介されていた。

 まず目につくのは二体の獅子女神の像。背筋を綺麗に伸ばした獣の瞳は、どこか遠くを見ている。手には命の象徴アンク。そこから順に小さな木彫りのトト神像、ミイラを包んでいたという亜麻布、舟と船乗りの人形、綺麗な琥珀色の首飾りへと歩を進めていくと、頭部が白骨化してしまっているミイラに行きつく。

 ミイラは、亜麻布を貼り併せたカルトナージュ棺に入っていた。頭部が白骨化したミイラ自体は黒く、一緒に展示されている棺も辛うじて模様やヒエログリフが見えるものの、変化による黒でほとんどが塗りつぶされてしまっている。この黒ずみもミイラ作成時の処理で化学反応を起こしてしまったものだろうか。黒ずむ前の棺はどれほど美しかっただろう。

 説明文を見ると、母が言っていたように、明治37年、東京国立博物館の前身であった帝室博物館に、エジプト考古庁長官であったガストン・マスペロによって寄贈されたものであると記されている。死者の名はアンクムートの息子・パシェリエンプタハだそうで、第22王朝の人だとも書かれていた。第22王朝は、紀元前945年から紀元前715年。有名な18王朝が新王国時代と呼ばれるのに対し、22王朝はエジプト第三中間期と呼ばれている。エジプト人がファラオに君臨することは無く、22王朝は別名リビア人の王朝と呼ばれた時代でもあったはずだ。

 改めて展示室内をぐるりと見回す。エジプトの展示品は10分もあればすべて粗方みられるほどの数しかない。カイロ博物館の埋もれてしまうほどの展示品の量と比べれば、ここにあるのは本当に数少ない。イギリスの大英博物館、フランスのルーヴルと比べてしまえば、足元にも及ばない量だろう。

 傍に展示されていたくちばしの長いトト神像を見つめた。人によっては物足りなさを感じるかもしれない展示に、どこからともかく懐かしさを覚えるのは何故だろう。幼いころから住んでいたエジプトを離れたからだろうか。

 違う、もっと別の何か。

 もっと奥の、何か、他の。


「……やっぱり、思い出さない?」


 ガラスに向かい合って考えを巡らせていた私に、母の声が掛かった。セクメト女神像の方から歩んで隣に並ぶ。


「あなたは、誰よりもこれを作った人々と近くにいたのよ」


 そう言う人の横顔を見て、再びガラスの向こうの懐かしさに目をやる。母は私の失踪時に見ていたという夢のことを言っているのだとすぐに気づいた。

 舞台は古代エジプト。年代を推測するには第18王朝、あの少年王の時代。そこで、私は少年王の妃で、まるで映画みたいな壮絶な人生を歩んでいたと。それが実際に起こったことで、失踪時にまったく行方がつかめなかった私はタイムスリップしていたのではないかと、母は私に言った。


「お母さん、何度も言ってるじゃない。私がタイムスリップなんてするはずない。そんなことあり得ない」


 少し冗談気味に笑って、母に言い返す。この話をすると、決まって母は悲しそうな顔で微笑む。その理由は分からない。けれど何かが違って、このままではいけない気がするのは私の確かな感情でもあった。私がその少年王と恋をして、沢山の人の死を目の前にして生きていたと、母は言う。この夢が夢だとは思えず、私が古代エジプトにいるのだと感じたとも。たとえ帰って来なくとも、娘がそこで幸せに生きていてくれるのなら、と願っていてくれたことも。父はその証拠を見つけるために、エジプトのカイロから、古代首都テーベに当たるルクソールに職場を移して研究を続けている。

 しかし、もちろん私にそんな記憶はない。失踪していた時の記憶は空白のままだ。今は結婚したメアリーも、失踪時の記憶は忘れたまま、行方不明だった5年を受け入れてくれた男性と一緒にイギリスで幸せに暮らしている。

 私にも今、あの6年を含め私と言う人間を受け入れてくれるという人が目の前に現れている。それなのに受け入れられず断っているのは、私はまだどこかで誰かを探している気がしてならないからだ。


 不意に思う。

 私は一体、誰を探しているのだろうと。


「……お母さん」


 エジプトから離れようとしてきた。それでもこれほどに焦がれる気持ちが抑えられないは何故。


「ん?」


 懐かしげな視線を彷徨わせていた母がこちらを振り向く。母の顔を見、博物館に入ったあたりから感じていたことを正直に聞こうと心に決め、口を開いた。


「どうして……」


 私をエジプトから引き離そうとしたのが誰よりもまず、母だった。家にあったエジプト関係のものをすべて処分して、エジプトの話だって夢の話以来聞いたことがない。まるで避けているかのようだった。それなのに何故、エジプトのものがあるここに私を連れてきたのか。


「どうして、私を連れてここに来ようと思ったの?」


 母は、困ったように眉を下げて微笑んだだけだった。



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