天秤
* * * * *
誰もいない神殿に一人でいるというのは、どこか知らない場所に独り放り込まれた感覚がある。
ここの厳かな空気は、俺にとっていささか息苦しい。これほど広い空間にいながらもそう感じてしまうのは、目の前に巨大なアメン神像が威圧するように立っているからだろうか。それとも、先程他の神官たちに無言の白い目を浴びたからだろうか。神官でもなんでもなかった男が突然、大神官という神官の頂に立ったのだから、今まで地道に神に仕えてきた奴らから不快感を持たれない方がおかしいというものだ。
だが、彼らは知らない。アイの後継としてこの役についたその意味を。
祭壇の方へ歩を進め、首筋に鈍い痛みを感じながら、正面のアメン像を見上げた。この国の人々が一心に崇め奉る神。なんて巨大で威厳を湛えた像だろうと、いつもと変わらぬ感想を今日も漠然と繰り返し、そこで自分の中に虚しさを感じていた。
神はいるのだろう。この像通りの姿をしているとは思わないが、神とされる存在のようなものはこの世界のどこかに。偶然に偶然が重なったかのように事象が起き、それが不思議なほど正確に歴史通りになっていく。これを肌に感じて身震いした記憶は新しい。今まで歴史がどのように起こっていくのかを気を張って見守ってきた中で分かったことは、神と呼ばれる存在があったとしても、彼は人間が望むように不幸から救ってくれることはなく、ただ見ているだけという理不尽な存在でしかないと言うことだ。
人間が、神は救ってくれると都合の良いように信じているだけでしかない。通りで戦争や貧困が無くならないわけだと、妙に納得してしまう。悪いことをしたことのない人間が早死にしたり、不運の人生を歩んだりすることがあるのだと。
祭壇前の一段に座り込み、片方の膝頭に額を付け、金に塗りたくられた神具を握り締めて息をつく。呼吸はそれほど大きいわけではないはずなのに、この空間では耳につくほどの音になった。
唇を噛んで、頭痛に眉を寄せ、目を閉じる。
疲れた。
肩の上に得体の知れないものが伸し掛かっているかのように、身体が重い。視界を閉ざしてしまうと代わりに聴覚が鋭敏になる。そうして捉えた、こちらに向かっている微かな足音。潜めようとすることなく、真っ直ぐサンダルを鳴らして歩いてくる音は、俺の背中を前に止まった。
「……久しぶりだね、元気?」
背後の気配に返事はしなかった。この状態を見て、元気かなどと聞く奴は一人しか知らない。人の気を逆撫でするようなことを何の悪びれた風も無く尋ねてくるは、ナクトミンという人間の性なのだろうか。
「項垂れてないで仕事しなよ、大神官さん」
近づく足音につられて顔を上げると、すでに彼は俺の近くまで来てこちらを覗き込んでいた。大神官と呼ばれたことに苦笑して、視線を反らす。
「外にいた若い神官が愚痴を言ってたよ。無能なくせに何もやらないって」
「……仕事?」
笑って吐き捨てた。
「一体何をすればいい。所詮は名ばかりだってのに」
曲げていた膝を延ばし、背中を伸ばすようにして上を向く。
「下積みがない。ここでの作法も礼儀も分からない。勉強してそれをやっても馬鹿にされてやらせてもらえない、アイの言う通りに動くだけしかできないのに無意味に周りから嫉妬される。はっきり言って惨めの他の何物でもない」
息を吐いた相手は徐に腕を組み、馬鹿だと言わんばかりの目で俺を見た。
「ヨシキはアイ様が役職全部を自分に与えてくれるとでも思ってたわけ?」
そんなことは分かり切っていたのだと答えるしか道はなかった。
アイが何故、神仕えに関してほぼ初心者である俺をここに据えたのかを分かっていながら、自分のもとで無邪気に育つ幼い子を守るために、受け入れたのだ。今だってあの二人の部屋の前には侍女や一般の兵の他にアイの側近である神官が見張っている。
「俺は、自分からアイの人形にならざるを得なかった」
大神官という存在であるだけ。存在としてあり続けることだけ。
「それは嫌?」
「文句が言える立場じゃない」
シトレがいる。ティティがいる。この二人を、今の細やかな生活を守るために、逆らえる立場に俺はいない。せめて、シトレが成長し、生きていく未来が幸せなものであると確信できるまでは。
「他の大神官の事情を知ってる神官を最高神官になんてしたら、いつ謀反するか分からないじゃないか。その点では良樹は逆らうことができない弱みがある。手駒に出来る。一番思いのままにしやすい人間を、大事な役職である最高神官に付けたんだ」
「そんなことは分かってる」
名ばかりの役職。ほとんど閉じ込められてた状態で、重要な情報は遮断される。政から完全に身を引いているティティからの情報は徐々に遅く、信憑性のないものになりつつあり、彼女の権力の降下をアイが促進させているのは嫌でも分かった。どんな行動にもアイの側近であった神官たちに監視され、気を抜けるのはティティとシトレといる時しかない。持てる権限はすべてアイの手の中だ。能力がある、自分に反感を持つ人材を下に蹴落とし、何かをできる力が無い、信頼を他から得られない人間を上に据えて権力を自分の手中のままにする。
なんと小癪なやり方だろう。自分たちを囲む環境の全体像をぼんやりと把握することができるようになって、改めてそう思う。
「分かってるならそんな顔をすることないじゃないか。アイ様の言い分を分かっててヨシキは逃げることもせず頷いたんでしょ。何をそんなに惨めそうな顔をしてるの」
どうしてこれほど惨めなのかと言えばティティから知らされた、一月ほど前の話だ。
「王妃が自殺しようとしたと聞いた」
夫を失った弘子が宮殿の最も大きなナイルの池に身を投げようとしたと。運よく側近たちが見つけて救出されたらしいが、それを知ったのが半月も後になってのことだった。愕然とした。
「それに何も出来なかった」
俺は弘子のために何かができる『その時』を待っているのに、弘子にとっての一大事に、西の宮殿にほぼ閉じ込められている俺には何の行動も起こせなかったのだ。救えなかったのだ。それが何より悔しい。そして惨めだった。
俺の答えに、ナクトミンはなるほどね、と小さく零す。
「確かにそんなこともあった。でも今はそれどころじゃない。あっちの王宮はぐじゃぐじゃしてるよ。ヨシキは本当に何も伝えられてないんだね」
ナクトミンは俺を憐れだと言わんばかりに呟いて、上を仰いだ。どういうことかと思って視線を投げた表情の無い青年の顔からは何も読み取れない。神像を捉えた眼がゆっくり細められていく。
「その王妃が大きく動き出したんだ」
思いがけず、青年を凝視した。
「……弘子が?」
座ったまま身体を捻るようにして尋ねた俺を上から見下ろしながら、ナクトミンは無表情のまま続ける。
「この国の命運を懸けたとも言える大きな書簡をヒッタイトに送った。相手は大王シュッピルリウマ」
ヒッタイトという小国を一代にして強大国家に仕立て上げた、ヒッタイトの現国王。他国の人々でさえ、彼を大王と呼称する。
「何故、王がいない今ヒッタイトに書簡を?」
「エジプトと並ぶ強大国家ヒッタイトの王子を、婿として迎えるため」
ヒッタイト王子を婿に。王妃の婿になる、それが意味するところは。
「まさか、ヒッタイト王子を貰い受けてエジプト王にするつもりなのか」
ナクトミンが身体ごとこちらに向けて、一度頷き、俺の前に屈んだ。読めない光を宿す猫目がすぐ向かいに落ち着く。
「だから賛成と反対が出て争ってる。この国の王妃がエジプト人ではない男を娶るなんて、前代未聞のことだから。それでもこの国の現状を考慮してしぶしぶ了承した奴らが過半数を超えて今回のことが決定したんだ」
いつかティティが言っていた、アイを王家から遠ざける方法に弘子は辿りつき、実行しようとしているのだと悟った。この国は未知の方へと大きく動き出している。
ヒッタイトと言えば、エジプトと長年戦争を続けてきた大国。近年では落ち着いているが、冷戦状態であったことは過言ではない事実だ。おそらく自分はこの先の記録も歴史も読んでいたのだろうが、頭を絞って見ても、白く塗りたくられて閉ざされた記憶は謀られたように甦ってくれなかった。
「王位継承権を得るためとか言って王妃を襲おうとする輩が出てたんだけど、これでひとまず落ち着いた。ヨシキの大切な王妃は威厳を以って話し合いに挑んでる。こちらとしての犠牲はホルエムヘブさんと他の兵が数名だったかな」
「ホルエムヘブが犠牲?」
そう言えば、最近ホルエムヘブの姿を見ていない。
「真夜中に王妃の部屋に忍び入って、そこにいた兵士と侍女たちを一人で倒して、寝ていた王妃を襲ったんだよ。結局ラムセスさんが助けに来て未遂で終わって牢獄行きさ。他の兵は門番の兵に掴まって終わった馬鹿共だ」
アイに何の役職も与えられなかった時のホルエムヘブの顔を思い出した。唖然と、言葉を失った彫りの深い顔。弘子を襲って王位を略奪し、この国の頂にある王位をもぎ取ろうとしたというところだろうか。確かにあの男ならあり得る。憐れな奴だと、一瞬でも思ってしまった。
「変な夢を抱いて馬鹿な行動に出て失ったのが数人で良かった。出産経験があるとは言え、王妃は僕と変わらないくらいの年若い娘、それも妻にすれば王位が手に入るんだから、狙う輩なんていくらだっていたんだ。今の王妃は立ち直って他の男を弾き飛ばす勢いだから、そう考える奴はいないだろうけれど」
ナクトミンは自分たちには関係のないことだと言うように、頬杖をついて話を続けた。
「……でも、こう来たかって感じだった」
「ヒッタイトへの書簡のことが?」
足元に目をやったまま、うん、と相手が頷く。
「次のファラオはアイ様か、ラムセスさんだと噂されてたのはヨシキも知ってるね?でも今回の異例の決定はこの国の負担を最も軽減させる方法としては最善の策だと僕も思う。よく考えたものだよ」
弘子は賭けに出たのだ。自殺さえ図ろうとした弘子を立ち直らせたものが何であるかは分からない。それでも彼女が前を向いて歩き始めたらしいという事実に、ナクトミンの前で思わず良かったと口走ってしまうくらい安堵した。
「返事は来てるのか?」
「今の所、やりとりは2回ほど続いてる。シュッピルリウマは随分と警戒しているみたいだし、王子を引き渡すというところまではいってない。まだ時間は掛かるだろうね」
自分の息子を敵国とも言える場所に放り込むのだから、ほいほいと進むような交渉ではないだろう。
「アイの様子は?」
瞳を伏せがちにして、唇に人差し指の関節を当てがって考えているナクトミンに言葉を向けた。権力で、弘子に自分しか選べないよう策を立てていたあの男は、今どうしているのだろう。ほぼアイの側近を通して指示が来るものだから、大神官を任じられたあの時以来アイと顔を合わせていなかった。
「あの方は至って普通だよ」
「王位が遠のこうとしてるのに?」
「そうだね。王位は遠のこうとしてる。でもまだ遠のいたわけじゃない」
俺は小さく喉を唸らせて俯いた。正確に言えば、まだアイから王位は遠のいている最中。遠のいたと言い切れるのは、ヒッタイト王子がエジプトに来国し、弘子と婚姻を結んだ時だ。その合間に状況を引っ繰り返す何かが起こらないとは限らないとナクトミンは示唆している。
「そもそもアイ様がそれくらいでやられる人じゃない。神官の端くれからこの地位まで登ってきた人だよ?何か考えがあるんだろうって僕は思ってる」
ナクトミン自身もアイから策を直接聞いている訳でないようだった。眉間に皺を寄せ、指に顎を乗せて伏せがちの目で思考を巡らせている。アイも最低限でしかナクトミンを使っていないのだ。そこにアイという人間の用心深さが窺えた。
「今日、アイ様は問責に掛けられたんだ。僕は付き添いでの出席だったんだけど」
「問責?王妃からか」
「正確には王妃と宰相からだった。内容は無断での役職大幅移動の件と、それに関することが諸々と聞かれた」
「それでアイはどうした?」
「罪に問われるようなことは何も言わなかった。当たり障りのない言葉に言い換えて…本当に賢い人だと呆れるくらいだったよ。隙を見せず、ほいほい避けて進んでいくような感じで…あのナルメルさんにだって口出しさせない。凄かった」
自分が内心落胆したのを感じて、自分はアイの失脚を望んでいるのだと他人事のように思った。アイの行動さえ押さえられたなら、ティティもシトレもあんな捕らわれの身のような、王宮の外に出られない生活から解放されると言うのに。
「結局問責は無意味に終わったも同然だった。退席に関しては自分から言ってたし」
「王妃は催促しないのか。それじゃ問責に掛けたことにならないだろう。アイを捉えるための問責じゃなかったのか」
「しないんじゃない、できないんだ。王の勤めがすべて王妃に移って、ただでさえ慣れない仕事に王妃は不眠状態で政務に駆り出されてる。体力がいつまでもつか心配する声も出てるけれど、休ませている暇さえもない。それだけ王を失ったこの国は不安定なんだ」
そもそも今回のアイの政治への介入は異常で、法にも触れることが大半だったはずだ。それなのに罪人として仕立て上げられなかったのは、アイの大きすぎる権力の故か、それともそれだけ王権が弱くなりつつある故か。どちらかと言えば後者だろう。王がおらず不安定になったこの豊穣の国を、他国が侵略しようと考えない訳がない。他国から侵略の備えや、貿易などの国との均衡、他国との国交……やらなければならないものは数知れず、アイだけに構っていられる余裕など、王家にありはしないのだ。
「ヒッタイトに書状を送った以上、アイ様の動きは制限されたと言っていいからアイ様の処分は後回しになっているだろうしね。しばらく今回のような問責の催促はないと僕は踏んでる」
俺も視線を神像の足元に映してから頷いた。王妃である弘子がアイに釘を打ち、そしてヒッタイト王子を婿にすると決定した。これに了承した者たちが過半数を超えたのだから、アイの力は削がれて、以前ほど自由に動き回ることはできまい。
しかし何だろう、胸のずっと奥で燻るこの黒々とした不安は。何か悪いことがこれから起こるような気がしてならない。それはナクトミンも同じようで、深刻そうな顔つきで自分の足先を見下ろしていた。
「僕もどうしていくか考えなくちゃ」
意味深に呟かれ聞き返すと、それに構わずナクトミンは立ち上がって俺に真っ直ぐ目を向けた。
「最後にアイ様からの伝言だよ」
答える気はないようだった。本来の目的と思われるアイからの伝言のために、彼は口開く。
「半月後、先王の遺体が死の家から戻ってくる。葬儀は自分が中心として行うから、お前は埋葬の時のみに立ち会え」
大勢が集まる葬儀への出席は、間違いなく権威の証となる。命ある王族たちは死者の場所である死の谷で行われる埋葬の時は来ず、王墓の場所の漏洩を防ぐために訪れる人数も最小限に抑えられる。権威の証となる場ではアイが出て、重要度が低い所で俺が出されるのだ。
「次にヨシキと会うのは埋葬の時……あの谷で、ってことになるね」
あの谷とは、王族が埋葬される未来での王家の谷だ。あの場所に俺は足を踏み入れる。そう思うと、身震いしたい気持ちが足元からせりあがってきた。
「埋葬はお前も来るのか」
「重要な役目が僕らにはあるから」
重要な役目、と口にしたナクトミンの表情は眉間に皺を寄せて曇ったが、それは一瞬のことで、すぐさま見慣れた澄ましたものへと戻った。
「谷で、また。何か起こったら知らせに来てあげる」
彼の雰囲気から、もうこちらの質問には答えてくれないのだと知り、俺に背を向けて、来た道を戻り始めた青年の背中を俺はぼんやりと見ていた。距離のある扉の前に立った見張りの神官に何かを告げて、青年はこの広すぎる空間から姿を消し、音の無い虚しさが再度漂い始める。
誰も通らない開けっ放しの扉をしばらく眺めて、そこから伸びる陽光の色とそれの傾きに、もう夕方に近い時間帯なのだと気付づかされ、帰らなければと、膝に力を込めて立ち上がった。
やはり身体は重い。鉛を引きずるような心地で手にあった神具を決められた場所にしまい、軽く目を閉じて、引き寄せられるようにしてアメンの神像を見上げてから扉の方へ歩き出す。神殿の扉の前に俺を監視する四人の神官と兵に、部屋に帰ることを告げて彼らを背後に従えて帰路についた。
息が詰まるような一瞬だが、シトレの無邪気な声が聞けると思うと自然と胸に突っかかっていたものがするりと落ちて行く。
俺が帰ってきたと知ったら、てててと走って来て俺の足元に縋り、小さな身体を精一杯に揺らして抱っこをせがんでくるのだろう。庭を指差して一緒に歩こうと強請ってくるかもしれない。ティティもそんなシトレの様子に微笑みながら労いの言葉を俺に掛け、傍に寄り添ってくれるのだろう。
共に食事をとって、先にシトレを寝かせて、それからティティと何気ない会話をして、川の字になって眠る隣の二人を眺めながら自分も眠りにつく。他愛のない、安らぐ愛おしい時間が来るのだと思うと、胸に一点だった温もりが染み入るように大きく満ちた。
白く美しい廊下に浮かび上がった自分の影が一段と濃く、床の白さが紅に染められているのを見て、足を止めて西側に顔を向けた。沈みかけた大いなる太陽が最後の陽を惜しまず神々しく、俺たちに振り撒いている。その横に、夕陽の光に負けて黒く影となった神殿が視界に入ってきて、目を細めた。
葬儀が行われるのはあの場所。あの中に、弘子の二人の幼い娘の遺体、そして弘子の夫の遺体が無言で彼女の前に横たわるのだ。愛した者たちの遺体を送り出すため、3つの棺桶の前に一人佇む彼女の姿を想うと、突如ひんやりとしたものが自分の中に広がった。
俺が過ちを犯しさえしなければ、弘子は今頃一人になることなく、シトレと変わらないくらいの娘を腕に抱いていたのだと思うと、後悔が後頭を殴打するように痛みを伴って襲ってくる。自分の頭を打ち砕きたくなるような悔いと吐き気を催す愚かさに額を抑えた。
謝っても取り返しのつかないことで、その償いに値するのはティティが言ってくれたように、命を懸けて彼女のために動くことしかないと分かっている。だから、シトレやティティの傍にいながら、俺は彼女のために役立てる『その時』の訪れを待っているのだ。
だが、そうしている時間の中で、ある一つのことに悩み始めてもいた。『その時』が来た時、もしそれがティティやシトレを危険な目に合せるような事態だった時、自分はどちらを選ぶのかと。何度も考えて来たものの、答えが出ないまま終わってしまう選択。どちらかを天秤に掛けることになったら、俺はどうするのか。
それを考えておかねばならないことが、二つの存在を天秤に掛けようとしていること自体が一番恐ろしく、悍ましく、胸元に流れる服を掴ませた。
後ろから自分を監視する視線を感じながら、沈みかける夕陽を眺める。『その時』がどうか天秤に掛けることにはならぬよう未来に祈ることしか、今の自分には出来ないことがまた歯痒かった。




