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悠久なる君へ~3300年の記憶~  作者: 雛子
22章 守りたいもの
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異例

 着替えて、セテムとメジットと共に向かった部屋の扉が両側にいた兵たちによって、ゆっくりと開けられる。凛々しく、威厳を持つことを自分に言い聞かせ、顎を引き、開いた扉の先に現れる人々を見据えた。ナルメルとカネフェル、カーメスとラムセス、他に3人の重役たちが長い机を、一つの席を残して囲み、深々と頭を下げている。彼らの方へ数歩踏み出して口を開く。


「顔を上げなさい」


 私の声に従って彼らは厳かな様子で顔を上げ、満足そうに笑みを向ける者もいれば、私を驚きの目で見る者もあった。私はもう一歩前に出る。


「皆には今まで迷惑を掛けました。王家としての責任を放棄してしまっていたことを、深くここに詫びます」


「よくぞ、戻られた」


 そう真っ先に言って大きく頷いてくれたのは開いた席の隣にいたナルメルだった。セテムに促され、皆の中心とも言える椅子に新たな心地で腰を下ろす。

 今までも眺めてきた、彼の視点だけれど、今となってはとても新しいものに見えた。


「今まで何も見えてなかった。蹲っていても時が止まってくれることはない。私にはやるべきことがある」


 微笑んで見せると、心なしか周りの表情が緩んだ。


「ホルエムヘブに狼藉を働かれたと耳にしました。お休みにならず、よろしいのですか」


 私から一番離れた位置にいる心配そうな面持ちの大臣に、首を横に振って答える。


「もう十分休んだわ。本当に長い時間、留守にしてしまったと思う」


 机の上に広げられているは文字の書かれた多くのパピルスがある。私の後ろに控えるイパの腕にもまだたくさんのパピルスがあった。これらはすべて、王家が立ち直らない中で話し合ってくれていたものだ。


「私より、心から感謝します。王家不在の中、よくここまでやってくれました。ありがとう」


 いえ、と笑う彼らに、こうして待っていてくれた人々がいたことを、とても幸せなことのように思えた。


「では早速、王位継承の件を」


 ナルメルがすかさず私の前に一つのパピルスを出した。今よりも昔、王家が生まれた当時に決められたという、王位を決める上での決まり。所謂法律だった。

 最も早くに手を付けなければならず、王家がいなければ始まらなかったこの議題を何よりも念頭に置いて進めていく必要がある。


「その前に、今の政の全貌を大まかにでも知りたいの。申し訳ないのだけれど、教えてくれるかしら」


「勿論に御座いますとも」


 ラムセスを王に添えて、果たしてアイの勢力を衰えさせることはできるだろうか。それを知るには、ホルエムヘブが言っていた事実がどこまでが本当で、実際はどのようになっているのか知ることが先決だった。


「今、アイ殿が動き始めております」


 大臣の発言に頷く。


「ホルエムヘブも言っていたわ。アイが私に許可なく神官や儀式の方で大きな編成を行っていると」


「王妃や我々に無断で役職を再構成しているのです。そのほとんどは神に仕える身分の者たちと言って良いでしょう。しかし例外もあります。例えば、軍事司令官」


「将軍より上なはずよね?今までは無かった役職の……」


「いかにも。に廃止された、将軍をも上回る軍事における最高指揮官です」


「廃止された役職まで新たに作り直したということ?」


 今度はカーメスが悩む素振りもなく是と答える。少し困ったような深刻な表情を浮かべていた。


「急に作られたせいで、我が軍にも動揺が広がっております」


 アイはもともと神官の管轄を司る者だった。神仕えの役職の官位を入れ替えるのならまだしも、軍事に手を出しているとなるとこれは行き過ぎというものになる。おそらく、ホルエムヘブとカーメスによって分けられていた軍事を、自分の配下に軍事司令官という名の下で一つに統括してしまおうという魂胆なのだろう。


「我々では王に近い権力を持つアイ殿に異議を申し立てても無駄でした。軍事はカーメスがいるためまだ余裕もありますが、神仕えの役職においてはほぼ独裁です」


 横暴な、と唇を噛む。今まで彼の存在で抑えられていたアイの権力が、彼が死んだことで暴走し始めたような印象。

 ずっと自分の殻に籠もって政治を蔑ろにしてきた私にも原因はあるけれど、ここまで進められているとは予想外だった。


「しかしこれらはすべて名ばかり。任じられた者たちにそれ相応の仕事や責任がすべて回ってきたわけではなく、実際は裏でアイ殿がどの権利も裏から糸を引き、好きなようにしているというのが現状のようです。軍事関連であるナクトミン以外は」


「ナクトミンだけは違う?」


「いくらアイとは言え、軍事だけには疎い面が御座います。よって、一応自分側についているナクトミンを据えて任せている、という状況で間違いは無いでしょう」


 自分の頬に手を当てて、文章を見ながら頭を整理する。


「アイが命じた役職は全部で何人?」


「儀式監督官、管理官、印璽官、朗誦神官、裁判官、最高神官、軍事司令官の計23人です」


 別の大臣が組織を描いた表を私に示す。儀式や祭事に重要な役職がことごとく変えられていた。


「アイは自分の最高神官の役目まで人に与えたのね。なら、アイは何の職にいるの?」


「──王位」


 低まった声で言い放ったのはラムセスだった。カネフェルもそれに同意を示す。


「これらはすべて、あなた様に王として己を選ばせるため。多くの権力を我が物とせんと仕組むためと言えます」


 アイは王位を得るのを当然として、自分の役職を引き払ったということだ。


「よって、アイは真っ直ぐ王座だけを目指している……突進していると言うべきか、おぞましい獣を連想させるものがあります」


 それだけの権力を自分で牛耳って見せ、自分こそが次王に相応しいと周りに示しているも同然。権力で膨れあがり、かつ王家の男性となれば、本来なら王位に収まる他ない。


「大臣の中にはファラオはアイ以外にいないと、アイ側についている者もいるとか」


「恐れながら王妃が姫君を身籠られた折、ファラオはご懐妊の由を重役以外にお知らせになろうとしませんでした。それにより、自分は信用がなかったのだと逆上してアイを支持する者もいると聞き及んでおります」


 周囲も悩ましげに唸り出す。民もこの王宮内でもアイを支持する者は多いのだろう。

 私が二人目を妊娠した時、彼は最低限の信用のおける人々にしか私の懐妊を知らせず、それを生まれるまで隠し通した。その影響が今になって現れ出てきている。


「……私は、あの男を王に選びたくはない」


 呟いた私の声に、彼らは無言で首を縦に振った。


「私はアイを無視してラムセスを王にとも考えました」


 顔を上げたラムセスと目が合う。


「亡き夫もそうしたいと願っていた。私だけでなくあなた方も同じく思っているのでしょう。けれど、ラムセスを王に据えると問題が出てくる」


「事情を知らぬ民は混乱しましょう。王家がいるならば王家の者に王位を譲渡するのが古よりの習わし。もしかすれば事情を知っていようが変らないかもしれませぬ」


 ナルメルの発言に私も頷く。ラムセスが王になるには、この国はあまりに不安定。


「あなた様は、アイではない、民も納得する人物を王として迎えたいとお考えなのですね」


 カネフェルの言う通りだった。


「私は王位に相応しく、失うものが最も少なくて済む道を見つけたい」


 アイに王位を与えれば我欲によって、他国に侵入し、領土を広げながら戦争を起こすことも考えられる。そう考えていてから、彼はアイを自分の後見人から降ろしたのだ。

 逆にラムセスに王位を与えれば、不満を持つ者が不服を持つ民を率いて王家に抗議を入れ、大なり小なり必ず国内が乱れることになる。無視してラムセスを据えることができない状態までアイが上り詰めているのも事実。

 この状況下で、私の望むような人物がいるかどうか。


「ひとつ、手段が御座います」


 顔を上げれば宰相が私に指で一つと示していた。


「王妃ご不在の折、アイもラムセスも選ばれぬと仰せになった時のために我々で考え至ったものが」


「それはどんな?」


 尋ねると、周囲の表情が揃って引き締まる。固唾を飲み込む様子は緊張しているようにも、何かに悩んでいるようにも見えた。


「私たちが導き出したものは、我が国の歴史を遡ってみても異例のもの。前例が御座いませぬ。そして今まで以上の大きなご覚悟が必要となるものでも御座います。苦しい道となるやもしれませぬが、抑え込む、という形で最も失わずに済むものです」


 周りの様子を眺め、それなりの危険性や難しさがあるのだろうと察することができた。それでも悩んでいる暇はない。意を決し、ナルメルを見つめる。


「覚悟はできてるわ。聞かせて」





 私がいない間にこの集まりで考え出されたという考えは、ナルメルが言った通り前代未聞のものだった。それなりの覚悟が必要だと言われた意味がここで聞いてやっと飲み込める。アイやラムセスを選ぶ以上に抗議の声が増えるような気もするが、おそらくそれを抑えられるだけの権力の後ろ盾がついてくれることも間違いない。

 案が記されたパピルスとナルメルたちの話に耳を傾けながら頭を働かせ、これしかない、と私のどこかが思い至り、唇を引き結んだ。


「王家と同等の立場を持って、それなりの利益もあるとなれば、王位からアイを遠ざけることが出来ましょう」


「王妃が頷かれるのならば、これを決定議会に持ち込み、最終決定を促します」


「一度踏み出せば、引き返せない道とお考え下さい」


 本当に、引き返すことができない道だ。失敗したとなれば、取り返しのつかないことになるのも、彼らほど政治に精通していない私でもよく分かる。


「この場の私を除いての意見は」


「我ら満場一致でこれを支持しております」


 顔を上げて信頼を置ける人々を見渡し、頷く。この面子で異議がないというのなら、問題は無い。あとは私の、王家としての力量次第なのだろう。


「明日、この決定を求める議会を開きます。大臣や主要な貴族を全員召集しなさい。話を付けましょう」


 緊張した面持ちの彼らは、私の言葉を聞き入れると一斉に深く礼をした。

 大臣たちとカネフェルが明日のために動き始め、部屋の扉が開き放たれる。カーメスの後ろについて去ろうとしていたラムセスを呼び止めた。


「……王妃」


 私が言おうとしていることが分かっているような様子で、私に似た表情を浮かべていた。どこか吹っ切れたような、まだこれからだと神経を張り詰めさせたような小さな笑みがある。


「今のエジプトではあなたを王にすることができない。ごめんなさい」


 いえ、と首を振り、私の足元に膝を折る。


「これで良かったのです。あの方の跡を継ぐというのには、俺はあまりに未熟すぎる」


 眉を下げて弱く笑った目元は、すっと真面目な勇ましいものへと変貌を遂げる。


「今回の決定に異議はありません。このエジプトのためになるのなら、俺はどんなものだろうと飲み込む覚悟です」


 顔を上げて見えた緑を、とても綺麗だと感じた。


「あなたの言葉は、我らの主君の言葉だ。主君の遺言を叶えることはできませんでしたが、あなたをお守りすることをここに誓いましょう。主君に捧げたこの魂を持ち、どこまでもお供致します」


 それだけを言って、ナルメルと私の前から去って行くその人の背中を見送った。


 ラムセス──21世紀でツタンカーメンと同程度かそれ以上に知られる大王の名。

 歴史通りに進んでいるというのなら、私の記憶にあるラムセス2世というエジプトの大王もこの後の時代に出てくるのだろう。そしてラムセス2世はこのラムセスの血を引いた人間。私の前にいるラムセスはいずれ、必ず王になり、ラムセスの血筋を継いだ家系が王族となる。

 何年、何十年先か分からなくとも、すべてが、この話し合いでさえもが歴史通りだというのなら。




 ナルメルたちと議会に備えての資料を読み漁り、考えを確認し、まとめ上げている内に夜は過ぎて朝になった。身を黄金で着飾り、化粧をし、決められた広間に出て傍に側近と宰相を従えて王座に腰を据える。

 見渡す広間は昨日の倍の広さ。人数においては倍以上。兵と女官が広間の入り口と、私から少し離れた場所に一糸乱れず前を見据えて並んでいる。

 前の少人数での決定を、今度はこの場で大臣全員や上流の貴族たちに、いつもの議会の中で言い渡して最終決定を促さなければならなかった。重要な決定はここで賛同を得て初めて意味を持つ、実行に移せるものとなる。

 テーベに都を遷してからアイはこの場に参加していないが、政治にほぼ無知だった私を侮る者もいれば、アイの方に身を置こうと考えている者も含まれていた。女だからと蔑む態度も、私がようやく出てきたことに呆れる態度も露わにされ、居心地が悪いのは言うまでもない。それでもこれは私の器量でどうにでもなることを知っている。ホルエムヘブが私から無理矢理王位を略奪しようとしたのも、他の男がそういう考えに至ってしまうのも、私がそれだけの存在としか見られていないから。私は神なる王家なのだという意志を表に出して、それを示さなければならない。この私を軽んじるのだとしたらそれは過ちだと思わせなければ。


「王位継承者を審議なされていたと伺っております」


 ナルメルの議会開始の宣言後の、静まった空間に低い声が這ってきた。伏せがちだった瞼を開いて、私は視線を前へと向ける。色が違うだけの似たような服をまとった大勢の人々が私の一段下にひしめき合っていた。


「して、誰になさるのです。王家はアイ殿しか残っておりませぬ。亡きファラオはラムセスを推していたとか?」


「しかし、王家を虐げてまでラムセスは王として身分が低過ぎるというものではないか」


「王家が存在するというのに、たかが隊長上がりの王では諸外国に示しがつきますまい」


 苦笑を含んだざわめきがぱらぱらと広がって、落ち着く。ナルメルと視線を交わし、今までのことを一通り反復させてから立ち上がった。勇を鼓して、口を開く。


「アイもラムセスも王には選ばない。それが私の決断である」


 視界に入る何人もの目が、大きく見開いた。


「アイかラムセス、どちらを選んでも国はそれぞれを支持する二つの派閥に分かれ、内乱を起こすことは目に見えています。今の我が国に内乱は国を滅ぼす原因になり得る」


「……このどちらでもないと言うのならば、一体誰に王位を譲渡なさるおつもりか」


「我が王家と同じ身分を持つ他国王家から王子をファラオとしてお迎えしようと考えています」


 これが話し合ったうえでの最善の策。

 唐突で思いがけないものだったのだと思う。首を振る姿がちらほらと見受けるだけで、場は固まっていた。


「ヌビア王家で御座いますか」


 片手を上げ、発言した人がいた。最も親交が深く、エジプトに依存しきっているヌビアはエジプトにとっても良い相手だと誰もが考えつくこと。私はそれに首を横に振る。


「ヌビアは年端もいかない王子が一人。頼んだとて渡してはくれない。そもそもヌビアに今以上介入を行おうものならば、ヌビアは我が国を侵略の疑いをかけて警戒するでしょう。ヌビアは大切な我が同盟国。それをするわけにはいかない」


 ではどこだと潜めた声が私の足元で飛び交っていく。もう一度深く息を吸い、言い放つ。


「今回は我が国の安寧もかねて決定したものです。ミノア、アッシリア、バビロニア……我が国と交易がある多くの国々の中でどの国と同盟を結べば、我が国は最も安泰するか、それはあなたたちにも分かるはずです」


 ぎょっとした目が私に集まる。声がなくなった空間に、そこにいる内の誰かが呟きともとれる声を発した。


「――ヒッタイト」


 意をついて出たような声だったのにも関わらず、広間に予想以上に響き、それを耳にした人々が悲鳴のような声を上げて瞬く間に場が騒然となった。それを気に留めず、私は頷き声を張る。


「ヒッタイト王には5人の王子と3人の王女がいらっしゃいます。王子5人のうち、一人を我が夫、我が国のファラオとして迎えると宰相たちと話し合いました。この婚姻と共に我が国とヒッタイトの国交友好同盟を完全なものとします」


 そんな、と誰かの叫びが空気を割った。


「まさか、あのヒッタイトに!?ヒッタイト王家から婿を迎えると仰るのですか!?」


「馬鹿な、我が国の宿敵ですぞ!長年、かつてのファラオ、アメンホテプ3世殿下のご治世以前より領土をめぐり戦ってきた!アクエンアテン殿下の際は我が領土を横取りした者たちではありませぬか!」


 誰かが抗議を続ければ続けるほど野次の勢いは増していく。


「ヒッタイトとの国交においては、亡き夫が生前に回復させています」


 感情的にならず、あくまで冷静な対応を取ろうと私は抑え込んだ声で反論した。


「ここ十年戦争は起きていない。今こそ国交を回復させる時です」


「しかしどのように。ヒッタイトとて我々と同じ。易々と我らを信用してくれるでしょうか」


「こちらが信用を以って話せば、あちらも聞く耳を持ってくれるはず。悪意がないと私たちが示すことでこちらの要件を飲んでくれる、そういう御方だと思っています。それにヒッタイトとしても決して悪い取引ではない。ヒッタイト王としては見過ごせないものとなるでしょう」


 友好の土台はもうすでに彼が整えてくれていた。だから、今度は私が土台を使って完全な国同士を結び付ける番だ。


「あなたは国を売る気か!!」


 怒号が牙を剥いて向かってくる。


「他国王家がエジプト王家に介入させる!?このようなことは、売国奴と同じではないか!!」


「王妃でありながら売国奴に成り下がるか!」


「違う!」


 叫んですべてを振り切る。握りこむ拳に力を込めた。覚悟していた批判だったが、いざ耳にすると怒りに似た感情が胸に蠢いた。分かってもらえないことに対する悲しみが怒りの後に滲む。


「私たちは決してヒッタイトに頭を下げようとしているわけではない」


 生前の彼の足元にも及ばない自分の未熟さを噛みしめながら、毅然とした態度で臨む。


「今回は対等な立場で交渉に乗り出そうと考えています。ヒッタイトとエジプトの国交が完全に回復すればどれだけの民が安心するか、どれだけ周辺諸国が安堵するか。国を売るやらそんなことを考えていてはいつまで経っても和平は成立しない」


 聞いてもらうために、今私ができることは自分の本音を包み隠さず述べることだと、自分に言い聞かせた。


「私はアイに王位を渡したくはない……しかし、このまま何も対策を打たなければ王位をアイに渡さざるを得なくなる。今、他国王家に王位を与えなければこの国は必ず荒れる。私はそれを避けたいのです。それはあなたたちにも分かるはず」


 成す術なしといった様子で広間は黙り、不満の色を湛えて静まり返る。

 もともとエジプトでは、男性である王が他国の王女を第二、第三王妃に迎えても、王妃が自分の家系以外の人間と結婚しないことは他の国にも知れ渡っている。それに、王に異国人を据えると言うことは下手をすればエジプトを異国人の手に渡すことになりかねない。それでもこれを執行しようとするのには、それに勝る利益が存在するからだ。

 だが、これ以上どう説得していいか、言葉に窮した。


「……確かに、我が国の内乱を防ぐには最善でしょう」


 一人の大臣が静かな重たい口調で発言した。周囲を見渡し、両手を軽く上げて彼は続ける。


「大臣の方々、よくよくお考えください。内乱で滅んだ国が長い歴史でどれくらいあっただろうか。内乱は他国とのどんな大きな戦争よりも実に恐ろしい。小さなものでも場合によっては国ひとつを滅ぼす力を秘めている。その内乱が大なり小なり起きたとして、それを十分に鎮圧できるほどの力が今この国にあるだろうか。あると断言できる方はいらっしゃるのか」


 口籠もった人々が視線を逸らす中、その人は壁際に立つカーメスに声をかけた。


「カーメス将軍、そなたはどう考える。内乱が今起こったとして、それを鎮められるか」


 カーメスは即座に否と応じた。


「内乱を止めることは難しいでしょう。我が軍にもアイ殿を王に、と望む声が上がっています。アイ殿が唯一残された王家の男性であるが故です。習わしというものは恐ろしいもの。それを変えようとすれば必ず反乱民が現れます。しかし反対にラムセスを推す声も御座います。軍の思想でさえ今は二つに分かれ、これからの出方次第で軍同士で乱を起こすとも限らない。我が軍はそれほどまでに不安定なのです」


 カーメスの返答にそうだろうと頷く大臣は、再び他の人々に目を向けた。


「ヒッタイト王と手を組めば、ヒッタイトが我が国の後ろ盾となりましょう。己の息子がこの国にいるのですから。そうなれば強大な王家二つが一つになるも同然。これを自ら敵に回そうと考える愚者はどれほどのものか……反乱によって生じる国の乱れは最小限に抑えられるのではないだろうか。今回の王妃のご決断を売国と考えるか、護国と考えるか、それはあなた方の器量の問題だろう」


 私の意見に賛同してくれる人がいることに胸が震えた。手を握り直し、自信を持ち直して前を見据えると、その大臣と目が合う。

 進みたい。一刻も早く、手遅れになる前に。


「恐れながら、王妃はどのようにヒッタイトにそれをお知らせするおつもりでいらっしゃるのか」


「宰相たちと話し合いの場を設け、可能な限り早い段階でヒッタイトに書状を送ります」


「ヒッタイト王に受け入れていただく自信はいかほどにおありか」


「一度ヒッタイト王には直にお会いしています。亡き夫を認め、国や民を第一とする良き王でいらっしゃいました。亡き夫と心を同じくする者……時間はそれなりに要するでしょうが、私も相手を信じ、誠意を込めて進めていくつもりです。そうすればきっと相手も受け入れてくださるでしょう。ヒッタイト王はそういう御方です」


 数年前、何か困ったことがあったら頼りなさいと言ってくれた優しい王の眼差しを思い出す。

 あの方なら誠意を持って接すれば大丈夫だろう。あとはこちらの問題だ。


「相手に信じてもらうには、まずは私たちが相手を信じなければ。信じてもらいたいのなら疑ってかかってはいけない。信用を持ってヒッタイト王子にエジプト王位を与え、侵略はしないものとする旨をご承認していただきます」


 うむと頷き、その人は私に深く頭を下げる。


「あなた様に賛同の意を示します」


 続いて数人が同じように礼を示した。たとえまだ数人でも、こうして賛同してくれるだけで、大きな一歩を踏み出せた気がした。


「ヒッタイト王子を迎え入れ、国を守ります。これが私のエジプト王家の意志、異議ある者は申し出よ!」


 そこから、私たちは3日間、午前と午後の2回、計6回の話し合いを経て、ヒッタイト帝国の大王に向けて書簡を送る決定にまでに話をつけた。




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