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悠久なる君へ~3300年の記憶~  作者: 雛子
21章 残照
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月光

 一人、夜を見ていた。

 この世界にあるのは月光と、それによって背後に伸びる私の長細い影の山。数歩先の床と外の狭間には真っ黒な空間が広がり、底が無いかのようだった。

 夜の風景というものは、月や星のある空はともかく、地は黒一色で本来そこにあるものを覆い隠してしまっていて何も見えない。

 少しの間真下を見てから目を離し、唇を噛んで再び前に広がる夜を見据える。電気のない真っ暗な混沌とした夜を「普通だ」と思い始めたのは、いつからだろう。こんな暗すぎる夜は変だと感じていた時が確かにあったのに、不思議なものであまり覚えていない。

 隣の柱に手を置いて感じる夜風は冷たい。身を震わせる程ではないそれは素肌を撫でて後ろへ吹き抜け、背後の壁にぶつかって私の背へ流れてくる。大きく息を吸い込み、吐いて、上下した自分の胸に左手を添えた。


『──3300年のその先へ』


 彼は言った。あれから話は続いたものの、気が動転していた私には、どんな内容なのかを把握する余裕も無かった。決まっていた台詞のように淡々と流れていく彼の話を聞き、背中に回された彼の手を感じては震えて、彼の手を掴んで嫌だと首を横に振ることしかできなかった。


『──私は死ぬ』


 何度も私の頭の中で繰り返されるあの人の声を振り切りたくて、強く目を閉じた。

 どうしてあの時部屋に戻ってしまったのだろう。戻っていなければ聞かなくて済んだだろうに。出来たなら聞きたくなかった。それでも、あの話が私の知らないうちにすべて話されていたらと思うとそれもまた嫌だった。結局どちらにしろ、良い悪いもない。私が望んでいたのは、そのどちらでもなかったのだ。


 そのまま空を見続けた。月も夜も越えて、その先の仰ぐ空に声を探していた。数年前、彼がコブラの毒で死に欠けたあの時のように誰かが私を呼ばないだろうか。呼んで未来に連れて行ってくれないだろうか。そうすれば今度は彼を連れて行ける。未来ならば助かる可能性が出てくる。

 淡い思いを抱いて耳を澄ませても、待てども待てども声は降らない。あの時とほとんど同じ状況でも、未来に戻った時と同じものは何一つ感じられなかった。

 もう縋れるものさえ何もない。本当に何も。


「ここにいらしたのですか」


 柔らかな声がかかり、そちらに視線をやると、私を見下ろす優しい目があった。


「……ナルメル」


 いつもの朗らかな笑みを私に向けて髭を撫でている。


「ファラオが心配しておいででしたぞ」


 言われて俯く。話が終わった後、彼の手を振り払ってここまで一人で来てしまった。逃げるように部屋を出て、誰もいない場所を探してふらふらと歩き、ここへ辿り着いて夜を見ていた。

 堪らなかった。何もかも。あのままであったら、私は彼や皆の前で泣き喚いていたに違いない。


「月でも、眺めていらっしゃいましたか」


 隣の人が穏やかな声を放って上を眺めたから、私も上を見上げる。

 月があった。ようやく意識して目にした月は少し欠けて、それでも銀に輝いている。黄金の太陽とは反対の色は、黄金と違ってとても寂しい。


「今夜は一段と月が美しい」


 本当に美しかった。綺麗だった。儚い、それでも気高い銀に光る月。銀は黄金の影、王妃の色。音が無い世界でそれだけが瞬きの無い光を降らせている。


「ナルメル」


 銀を浴びながら呼んだ。


「はい」


 目にいっぱい銀を映したまま口を開く。その色が視界の中で徐々にぼやけていく。


「彼は……私が来る前、何を話していたの?」


 私の声が落ちた。


「あの人は、あなたたちに何を話していた?」


 身体の向きを宰相に向けて繰り返すと、夜風が私たちの一メートルもない間を吹き抜ける。視線が合った宰相はその目を伏せ、静かに顎を引き、哀愁を漂わせる表情を浮かべた。それは私が会の部屋に入った時、皆が浮かべていたものと同じだった。

 髭下の口が動き出すのを見て、私は思わず自分の胸元を掴んだ。


「ファラオは、もうじきご自分の命は尽きると……そう仰せになられました」


 ──ああ。


 全身の力が抜け、それに従い目を伏せる。


 ──やっぱり。


 胸元が苦しく、添えていた手で抑え込んだ。私が部屋に入った時の言葉にできない雰囲気は、彼が自分は死ぬと明言したために生まれたものだった。

 覚悟して尋ねたつもりでも、いざこの耳で聞くと気落ちした。まったく気づいてなかった訳ではない。近頃の彼はそんな顔をしていた。感染が分かってそれを受け入れてから、ずっと。ただ分かりたくなくて、悟りたくなくて、この目を背けていたのは私の方。

 それでも、死ぬだなんて、それだけは言って欲しくなかった。私がアンケセナーメンではないと相談も無しに告白されてしまったことよりも、それの方が何倍も苦しい。決意に満ちた彼の顔を思い出して、あの人が覚悟を決めているだろうことを嫌でも思い知らされて胸が詰まった。

 死にゆく覚悟。彼は、もうそれをしている。私を置いて。


「宰相殿!」


 切羽詰まった声が駆ける足音と一緒に聞こえて来て、やがてナルメルの後ろにカーメスやセテム、あの部屋で彼の話を聞いた人々が現れた。真っ青な表情で、息を荒くしている。


「王妃様が見つからないのです!ここが最後……ここにもいらっしゃられないのならば、もしや外へでも……」


「案ずるな。ここに居られる」


 ナルメルに言われ私を見るなり、カーメスたちはあっと驚いた顔をした後、すぐに安堵を浮かべ、肩を撫で下ろした。その様子に私を探してくれていたのだと初めて気付いた。思えば、誰にも断らず宛も無く辿り着いたここは神殿の端。心配をかけてしまうと思わなかった自分に罪悪感が募る。


「こちらであの月を眺めていらっしゃったようだ」


「月を……」


 彼らが、宰相が示した頭上の月を仰いだ。ラムセスの緑眼が銀を映して細められ、セテムの固い表情が解ける。皆が自らの目に月の銀色を映し、それからカーメスがこちらを見て微笑んだ。


「是非、我々もお供を」


 ナルメルも微笑を返す。


「皆で眺めようぞ」




 一人が大勢になった。ひとつしかなかった廊下に落ちる影の山が、いくつも連なり山並みになる。ここにいる誰もがそれぞれに思う所があり、口を開くことなく、ひとりは月を眺め、一人は夜を眺め、一人は自分の足元を見下ろし、風が運んでくる静けさに耳を澄ませていた。

 どれくらいの時間、そうしていたのかは分からない。静かで、不思議で、澄みきった銀の下にいる。

 時間の感覚が消えた場所に留まっているかのようで、私が顔を上げた時には、自分たちの影の伸びる方向が少しだけ右にずれていた。

 気持が落ち着き始め、ようやく私を探しにきてくれた皆の顔を眺めた。ナルメルは隣で瞼を閉じて穏やかな顔を浮かべ、セテムは瞬きの少ない瞳で月を映し、ラムセスは悔しげに口を閉ざして俯いている。涙目のネチェルもメジットも、皆様々だった。

 共通しているのは、どこか遠くを見つめる眼と何かを秘めた面持ち。彼らの面持ちは、何日も彼が浮かべていた表情に良く似ていた。

 このまま、水上に身体を浮かせているようなこの雰囲気に埋もれていきそうになり、それではいけないと足に力を籠める。月から視線を足元に落とし、柱に添えていた手で拳を握った。


「……黙っていてごめんなさい」


 私の声が静寂を破る。横に並んでいた人々の視線がゆっくりとこちらに集まるのを感じた。


「私は、3300年後の未来から来た」


 そこで切り、また月を見た。私が未来から来た存在であること。アンケセナーメン本人ではないこと。彼が言ったのなら、私もこの口で真実を伝えなければならない。


「……とても、とても遠い未来でこの時代の彼の声を聞いて、時を越えてここにきたの」


 出逢った当初の彼はなかなか信じてくれず、私自身も受け入れるまで時間が掛かった事実。苦しかったあの時が、今は戻りたいほどに恋しい。


「そして彼が言った通り、私はアンケセナーメンその人ではない。でも彼女は多分私の中にいる……私であって私ではない、そんな存在なのだと今は思う」


 初めて自分の口から出た彼女の存在は、思った以上に曖昧なものだった。けれど、これ以上の説明ができないのも事実。ナイルを覗いて映る私──青い水面上に揺れる自分の像が、自分ではないと思う時がある。同じ仕草をして、同じタイミングで瞬きをして、呼吸に胸を上下させるナイルの私が他でもない私であるはずなのに、違うと感じることを過去に幾度か経験してきた。今でも自分の胸の中に私ではない誰かが息を潜めている気がしてならない。


「誰も信じてくれないと思ってた。未来から来たなんて……それも数年とか数十年でもない、三千年なんて、本当に信じられない話でしょう?」


「信じております」


 真っ先に言葉を返してくれたのは、ナルメルの隣にいたカーメスだった。月から声の方へ視線を移すと、くせ毛の人は胸の前に右手を斜めに添え、月光を浴びながら穏やかな眼差しを私に向けている。


「ファラオが嘘などという愚かなことを仰せになるはずがない。あの方は一国の上に立たれる御方。御自らの言葉の重みを誰よりも分かっておいでです。そのようなファラオが仰せになられたことを我々が信じない理由がどこにありましょう」


 誰が信じるだろうと思ってきた告白に、信じると言い切る人がいる。今までと変わりなく、にっと口端を上げて破顔させるその人に、私は驚きが隠せなかった。嘘だと非難されるかもしれない、今までと同じようにはもう接することは出来ないかもしれない、そう思っていたのに。


「あなた様のことも、我々は以前より存じておりました」


 カーメスの隣側で月を見ていたセテムが告げた。


「畏れ多くもあなた様とアンケセナーメン様とでは違い過ぎた。ただ姿形が同じであるだけ」


 あまり感情を示さないその面持ちが私に向き、心なしか緩んでいる。


「姫様は決してと言っていいほどお泣きになられない。逆にファラオを唖然とさせてしまうくらい強気な御方でいらっしゃいましたから。私もよく振り回されたものです」


 セテムの言葉に、思い出に浸るかのようにカーメスが苦笑し、涙を浮かべていたネチェルも眉を下げて小さく笑う。そんな中で傍のナルメルが杖を突き、すっと私を見つめた。


「そうであろうと、我々があなた様にお仕え申し上げて来ましたのは、絶対なるファラオのお言葉があってこそ、そしてあなた様の中に姫君の面影を幾度となく拝見した故」


 細められた老人の瞳は、仄かに月光を宿して何かを諭すかのようで、一言一言が胸に反響した。


「不思議なことに、あなた様の一瞬一瞬に姫君を見る時がある。たとえそれが瞬きするくらいの程のことでも、これは我々皆誰もが確かに感じたことなのです。だからこそファラオはあなた様にあれだけ大切な姫君の名を与えられた」


 アンケセナーメンという王家の姫君の名。

 今思えば、これは彼にとってこの上ないほど大切な名で、これを名乗ることは特別な意味があったのだろう。この名をもらった時の私は、そんなこと気にも留めていなかった。

 私は、どれだけ大きな名を貰ったのかしら。名乗ってきたのかしら。


「おそらくあなた様と姫君は全くの他人ということはないのでしょう。星の結び、魂の何か、古の縁、あの世とこの世とを繋ぐ神の思し召し……我らには説明のしようのないもので繋がり、あなた様は来るべくしてここへ来た。そのような気が致します」


 再び宰相の目が空へと行き、言葉を紡ぐ。見上げた瞬間、風が一段と強く吹き、私たちの髪を一瞬にして舞い上げた。頬に触れて髪の間を抜けて行ったそれは、何かに気づかせてくれるものがある気がした。澄み渡る黒い輝きに、吸い込まれてしまいそう。

 本当に説明のつかない不思議なことばかり。私はここへ来たのにも、きっと何か見えないものが働いていたのだろう。そして今もまた、働いている。私の中に。


「あなた様は黙っていたことを我々に謝られる。しかしその理由がどこにあるというのか」


 胸に添えた手でそこを強く抑えた。堪えきれないくらいに感情がとめどなく溢れて、震える唇をぐっと噛み締める。


「ファラオはあなた様を信じ、あなた様を自らの妃とした。我々が仕えるお立場をお与えになられた。そしてあなた様は与えられた自らのお役目を全うしようとしていらっしゃる。これ以外の事実を、私どもは誰も持ち合わせていないのです」


 メジットが胸の前に手を重ね、「王妃様」と私を呼んだ。


「アンケセナーメン様その人であろうと無かろうと、その魂を持つ者であろうと無かろうと、あなた様は私たちの王妃でいらっしゃる。王妃としてファラオのために一生懸命になさっていたお姿、私たちはずっとお傍で拝見して参りました」


 メジットの声を受け、ずっと俯いていたラムセスが顔を上げる。すっくと立ち上がり、私に緑の目を向けて口を開いた。


「お前は王妃だ。他に誰も代わりなどいない」


 視界が霞む。気難しさが映る眼差しは強く、どこか彼に似ていた。


「これが俺たちの総意だ」


 目頭が熱くなって仕方が無かった。人前で泣かないように今まで我慢してきたのに、抑え切れなくなりそうだった。

 本当に素敵な人たちに出会えたと思う。掛け替えのない繋がりを持つことが出来たと思う。ここが私の居場所なのだろう。彼がいて、彼らがいて。


「……ありがとう」


 彼の言葉も、皆の言葉も、どうしようもないくらいに心に沁みて、今まで押えていたものもまとめて耐えきれなくなる。嬉しさやら切なさやら、耐えきれなくてそのまま両手で顔を覆った。


「我らの王妃よ、どうかお嘆き下さいますな」


 ナルメルが言った。


「ファラオはあなた様のことを思い、あのように仰せになられたのです」


 彼の顔を思い出す。切なげに笑ったあの顔を。一人部屋に残して来てしまった愛しい人を。


「ただ、ただ……あなた様の幸せをお想いになっておられるのです」


 月光の中、目を閉じたら左目から一滴涙が落ちた。










 暗がりの中、部屋に帰ると彼がいた。暗い空間と褐色の肌はほぼ同化して目が慣れないと見えない。上体を起こしたままの体勢で落ち込んだように俯き、項垂れている。私を未来へ帰せと命じたその人とはまるで別人のようだった。そう思わせるのは、きっと部屋があまりにも広く、寂しいからだけではない。


「あなた」


 寝台から離れた場所から呼ぶと、淡褐色が私に向く。いつどんな時も変わらない色を灯す見開かれた瞳。それは次第に元の大きさへと戻っていく。それから、私の名を呼ぶ掠れた声が耳に届いた。


「……戻って来てくれたのか」


 頷くと、彼が困ったような顔で優しく笑う。


「嫌われたかと思った。今日は傍にいてくれないのではないかと」


 寝台の方へ歩み、こちらに伸ばされた手を取る。しっかりと握られて、また色々と揺らいでしまいそうになり、深めに呼吸した。


「嫌われたらどうしたらいいかと悩んでしまった……弘子がいないと今の私は眠れぬ」


 苦笑する彼は寝台に寝転がり、大切そうに私の手を握って引く。引かれて私も寝台の傍に屈み、固い焦げ茶色の髪を撫でると、彼の表情が心地よさそうに緩んだ。


「……怒っていないか」


「怒っています」


 そうだなと眉を下げて喉を鳴らしながらも、すぐに真面目な顔になって私の手に頬を寄せた。私を包む褐色の手が、私の手の感触を確かめるように何度も何度も握る力を変える。


「お前がいない間に全部言ってしまおうと思っていたのだが、駄目だった。失敗した」


 私の手を見やる人は、息交じりにそう呟く。


「相談してくれていたら、私だってこんなに驚かなかったわ」


「言ったら言ったで、弘子はすぐに泣いて反対するだろう。そうしたら私はどうしたらいいか分からぬ。そちらの方が嫌だ」


 否定できずに私は肩を竦めた。多分、彼の言う通り反対して、皆を集めて話をすることなんてさせなかった。気づいて止めたかった、というのが本当の所。


「あれだけ考えて決意したことが言えなかったら、それこそ本末転倒だ」


 それでもこの人はその口から言ってしまった。後戻りなんて選択肢はどこにもない。


「後悔はしていない。これで良かった」


 あなたは、また何かに思いを馳せるような遠い目をする。私の手を越えた先に何かを見ている。そんな、切なげな顔をして。

 吐息さえ感じるのに、声だって耳元に聞いているのに、一度離したら掴めないくらい遠くに行ってしまう気がして、その人の手をぐっと握り返した。


「……あなたが好きよ」


 愛しい人の額を撫でて、そこに自分の頬を寄せて言った。淡褐色の瞳を覗いて唇を動かす。


「愛してる」


 彼の抱く覚悟を聞いた。けれど、私はまだ、どうしても受け入れられずにいる。奇跡を願っている。

 目を閉じて彼に縋った。


「愛してるわ」


 死なないで、という言葉をこの響きに聞いてくれているだろうか。

 生きてほしい。ずっと傍にいてほしい。

 溢れるほどの幸せなんていらない。この両手に零れないだけの幸せが欲しい。それだけでいいのに。

 そう願って縋る私の肩を、彼は優しくなだめるように叩く。「分かっている」と答え、私にくしゃりと顔を崩した。


「今日は眠ろう……お前のことを心配し過ぎて随分と疲れたからな」


 冗談気味に言うものだから、私もつられて笑った。


「なら、明日……あなたが起きたら溜まりに溜まった文句を耳が痛くなるくらい言ってあげる」


「それは嫌だ」


 勘弁してくれと苦笑いを浮かべる彼は、それでも嬉しそうに肩を揺らした。言って言い返して、そんな簡単なやり取りで笑い合って。会話が途切れ始め、彼の瞼がゆっくりと下ろされて。やがて穏やかな寝息が傍から聞こえるようになった。


 交わされる声が無い夜を、私はどれくらいそのままで過ごしていたのか。眠りについて規則正しい呼吸を繰り返すその人の手を撫でていた。撫でている内に涙が溢れて落ちる。ぼろぼろと、頬から小さな玉が尾を引いて転がって行き、手元へと落ちる。彼の手を避けて、それを包む私の手に当たって散った。その生暖かさが憎かった。自分が不甲斐なかった。泣いてもどうにもならないことが分かっていながら、彼が考えていたことを全部丸ごと思い返したら、目から出るものが抑え切れなくなった。

 受け入れられるはずがない。出来なかった。彼のような覚悟が、私には。


『──迷わず弘子を未来に帰せ』


『──あなた様のことを想い、あのように仰せになられたのです』


 彼やナルメルの言葉を何度も頭に反芻させる。彼があれだけのことを告白するのに、どれだけ悩んだだろう。どれだけ、考えてくれたのだろう。私を想ってしてくれたというのなら、私も彼を同じくらい想って、尽くしたい。

 愛してる。そう伝える他に私に何が出来るのだろう。想う他に、この人のために一体何が出来るだろう。

 眠るその人を、いつまでも見ていた。



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