ある日の大内重弘
私の名前は大内重弘と申します。
現在、日本中世史を専攻しております、大学生です。親元を離れ京都でひとり下宿にて暮らしをしております。
私の専攻しております、日本の中世の歴史といいますと、平清盛あたりから織田信長の登場あたりまでとされることが多いようです。
戦国時代ほどの人気はないのですが、戦国時代へと続く萌芽になった時代で戦国大名たちによって、倒されていく領主たちが、この時代の主人公なのですね。
私は、変わりもの、かつ、へそ曲がりなので、ちょっと人と違う分野について、専門的に研究を進めております。
その時代が、元冦(中国・韓国・モンゴル連合軍が日本へ攻めてきた)、鎌倉末期室町幕府成立のあたりです。
登場人物でいいますと、北条時宗、日蓮、北条高時、足利尊氏、楠正成、大内重弘というのが、私の研究対象の時代ですね。
いま、この登場人物のところで、スルーしませんでしたか?
あれ?あれ?あれ?って思わなかったですか?
最後の大内重弘って人物をスルーしませんでしたか?
そう、私と同姓同名の歴史上の人がいるわけです。
まあ、そういうきっかけもあったわけですが、
私ではないが、私と同姓同名の主人公である、
大内重弘は、大内家先代の弘家の子。鎌倉時代(1192年~1333年、鎌倉に幕府があったわけです。)の人です。元寇(1274、1281に、中国・モンゴルや韓国が日本に攻めてきて、台風で吹き飛ばされた事件です)あたりに生まれて、正安2年(1300年)の父の死で家督を相続した。周防(現在の山口県)における東大寺の国務と応長年間から激しく対立し、合戦や放火、追捕の行動に出て優位を確立した。元応2年(1320年)3月6日に死去。跡を嫡男の弘幸が継いだ。
乗福寺は、坂本竜馬が薩長同盟の打ち合わせのために使ったところとされていますが、いまは、観光ガイドに記載がある程度のお寺で、私が先日、訪問した時もなんだかさびしいという印象でしたね。
きっかけは、なににせよ、私は、日夜、日本中世史の研究に取り組んでいるわけです。
ある日のことでした。
博物館から借りてきた古文書を下宿で読んでいたときでした。とても眠たくなったので、コーヒーを入れようかと、お湯を沸かし始めたときでした。
睡魔に襲われ、うたたねをしてしまったようでした。
ふと目を覚ますと、これまでいた下宿ではありません。どこか山奥に来た感じです。直感で、思いました。これは、もしや、先日、訪問した山口県山口市ではなかろうか?そして、、、、
私も、時代劇(といっても、平清盛あたりの時代のものを想像してください。)にでてくるような、恰好をしているではありませんか。そして、私の目の前には、そっくりそのまま、さきほどの古文書があるわけです。
どうやら1300年ごろの大内重弘になったようでした。
干しイワシ/昆布とゴボウの煮物/大根汁/梅干し/玄米飯
貧しい大学生にとしては、現代でも、鎌倉時代でも、そう変わらないというのが、第一印象ですね。
味もよいですね。
まあ、洋食を食べるのは無理としても、この時代の人間としては、私は、それなりの位があり、それなりの生活はできるわけですから。
むしろ、現代の日本で、鎌倉時代などという人気がない時代の研究などという、およそ、金にならない、たぶん貧乏な研究生活を送るよりは、こちらの世界で、一生を終える方がよっぽど幸せなのかとも思いました。
大学には入りましたが、就職も結婚もままならないような現代人として生きていくか、それなりに地位もありそれなりに裕福な鎌倉時代の武士として生きていくかどちらがよいか。
こちらの世界の歴史は知っているし、現代人としての知識もある。
私は、歴史を変えて、この世界の支配になることもできるのだ。
鎌倉幕府は、やがて足利尊氏によって滅ぼされることはわかっている。
この時代で、うまく生き残り、富を集めて、美女を集めて、豪遊することはできるわけです。
でも、インターネットや音楽CDもないわけです。
やっぱりちょっと寂しいかななどと思って、古文書に目をやると、次の瞬間、下宿にもどっておりました。
ちょうど湯が沸いていたので、ひといきいれて、コーヒーを飲むことにしました。