7.幽霊に対するビビリの見解
屋上の柵に肘をかけ、ヒロは愛理に微笑みかける。
逆光であまりよく見えないけれど、ふっくらした唇から零れ落ちる優しい笑みを、容易に想像できた。
ヒロはたぶん、誰がどう見ても「かっこいい」と口を揃えて言うであろう、万人受けする顔立ちだ。
キリリとしまった眉毛の下にある目は少しタレ気味で、眉毛から得る凛々しい印象を和らげ、優しさを醸し出す。ふんわりと仕立てられたミルクティ色の髪色も手伝って、外国の血が混ざっているようにも見える。
そんなヒロを怖がる意味が、愛理にはわからない。
「今日もかっこいいなあ、ヒロ」
「アイドルに対する感想か! 相手は幽霊だぞ!」
どうやら霊感がある和希は愛理ののんびりした様子が解せないらしい。
顔面蒼白のまま、屋上を見上げている。
「戸島君て、案外ビビリなんだね」
「幽霊にビビらない人間なんていねえ!」
「ここにいるけど」
「お前はもう人間を超越したんだよ! アレとコミュニケーション取れるなら、どっか移動させろ! 俺の視界からはずしてくれ!」
人間を超越したら、一体何になるだろう? 疑問に思ったが、和希のビビリようが哀れになってきた。
「幽霊が見えるって、そんなに怖いもんなの? 私、ヒロしか見えないからわかんないや」
「アレはキレイだから、マシなんだ。事故とか自殺とかした幽霊はグチャグチャ血まみれでウロウロしてることが多いんだよ! たまにああいうキレイなやつもいるけど、取り憑いてくると、人の首絞めたりどっかに連れて行こうとしてきたり、ろくなもんじゃねえ」
メガネを押さえ、和希はうなるように声を出す。よっぽど嫌な目にあってきたのだろう。額には青筋が立っている。
「運悪いんだねえ」
「のん気にしてるけどな、ああいうパッと見普通なやつほど怖いんだからな。独りでいるのが怖くて、道連れを探してるんだよ。道連れってわかるか? 殺されるってことだぞ!」
ヒロが私を殺そうとしている。……それは無いわ。和希の言うことを一応頭に入れておこうと脳みそを回転させたが、即座にやめた。
ヒロはそういう感じじゃない。なぜそう言えるのか確信も無いのに、そう思える。
「なんで私、ヒロが見えるんだろ。今まで幽霊なんて一度も見たことないのに」
「そりゃ、波長が合うからじゃねえの」
「波長?」
「って、テレビとかで言うから。俺だってよくわからねえよ。まあ、悪い霊じゃないなら、いいけど。だけど、気をつけろよ」
「何を?」
「何も出来ないのに、関わるなってことだよ。相手はもういるべき世界が違うんだ。下手に関わって世話やいて、何も出来なくて、相手を失望させてみろ。取り殺されるのは、こっちだ」
極端な考えだと思う。ひとつの国の人間を全部同じ人間性だと言っているようで、否定したくなる。国民性とかで考え方や生き方が近しくても、その国のすべての人間が同じこと考え、行動するとは言えないのに。
「それ、偏見ってやつだね」
和希の前にジョウロを置く。
「私、そういうの、嫌い」
バイバイ、と手を振って、愛理は中庭から渡り廊下に入る。
ヒロと話したこともないくせに、ヒロという人間を決め付けられたくない。
どうして、たいしてわかってもいないくせに「あいつはこういうことをする人間だ」と言い切れるんだろう。
胸がじくじくと痛む。
あの頃の不快感が込み上げて、吐き気がした。
「だから、嫌いなんだ。どいつもこいつも」
こぼれた独り言は、春の陽気の中に融けてしまう。
*
屋上に上がる階段を踏みしめるたび、頭痛が増してゆく。
――木崎さんは、人を思いやる気持ちが足りないと思います。
――木崎さんは、平気で人を陥れるようなことが出来る人間なんですね。
――木崎さんは、集団生活を送る上で大切なことを理解していません。
だから、嫌いなんだ。繰り返しつぶやいて、屋上に出るドアを見つめる。
ふと、どうしてここにいるんだろうという疑問がわいた。
学校という場所が嫌いだ。集団でいることが嫌いだ。友達と群れることも嫌いだ。
嫌いなことだらけの空間に、なぜ自分は居続けているのだろう。
あと、三年の辛抱だ。言い聞かせる。大学に行けば、自由になれる。少なくとも集団生活が当たり前ではなくなる。
けれど。――けれど、その三年が途方もなく長く感じる。
「おい!」
突然誰かに手首をつかまれ、ビクリと体が震えた。驚いたことが恥ずかしくて、大きく息を吐きながら振り返ると、和希が立っていた。
「どこ、行くんだよ」
「どこって、屋上」
「入れない。自殺者が出たから封鎖されてるって、知ってるだろ?」
「入れるよ。ここからなら」
「どっか移動させろって言ったのは、その……、本気じゃなかったんだ。ごめん」
愛理が屋上に向かったのは、和希の言葉を真に受けたからだと思われたようだ。
愛理は横に首を振って、小さく笑った。
オレ様男かと思っていたけど、意外とツンデレタイプなのだろうか。
「偏見って、俺もそこまで考えたことなくて、なんつうか……木崎の言うこともわかるんだけど、やっぱり俺……、ああくそっ」
うまく言葉を紡げずに、頭を掻いて舌打ちする和希を、愛理は少しだけカワイイと思ってしまった。
「俺さ、霊感あってきついことばっか体験してきたから、木崎があまりにも無防備で、心配になったつうか……。別に相手が幽霊だから気をつけろって言ってるんじゃなくて。人間ってそうじゃんか。優しい顔して近付いて、ひどい目合わせてくるヤツなんていっぱいいる。だから、そういう風に、すぐに信用するのは危ないって言いたいだけで」
こいつ、優しいんだなあ。じんわりとそう感じた。
不器用な言葉を続ける和希に対して、今まで持っていた敵意がゆるんだ。
「ありがと」
右の手首をつかむ和希の手に、左手でそっと触れた。
「でも、私、すぐに人を信用したりしないよ。顔見てしゃべって一緒の時間を過ごせば、なんとなく信用できるって判断、ちゃんとできる」
その判断が、もっと小さい頃から出来ればよかったのに、後悔もある。
けれど、判断が出来なかった頃があったからこそ、今、その判断が人よりも明確に出来ると自負している。
「戸島君も、信用できる人だってわかったよ」
ほったらかしにしないで追いかけてきてくれた、それだけで。
「ありがとね」
――伝わる。
和希の頬が赤くなる。振り払うように愛理の手首を離すと、舌打ちして下を向いてしまった。
「一緒に来る?」
「は?」
「ヒロが怖くないって、教えてあげるよ」
和希の腕をつかんで引っ張ると、和希は一瞬にして真っ赤になったが、すぐにハッとした顔になって青ざめた。
「い、いや、それは無理! 幽霊と直接対決とか、無理だから!」
やっぱこいつ、ビビリだな。愛理は鼻で笑って、和希の腕をつかんだまま、屋上の扉を開けた。