2.屋上の幽霊
第一話を編集し直して、プロローグと分けました。
視界の真ん中でゆらゆらと陽炎が揺らいでいた。
映像に砂嵐が混ざってブレるように姿が歪んだと思えば、はっきりと現れる。
まるで古びたテレビが壊れたり直ったりを繰り返しているかのようだ。
愛理はわけがわからないまま、その不思議な映像のような物を凝視していた。
校則に引っかかりそうな茶色の髪は六対四の位置で軽く分けられ、ワックスでふんわりと仕立てている。
女の子のような大きな二重の瞳に、小ぶりな鼻、ふっくらとした唇は色っぽい。
紺色のパンツを腰で履き、第二ボタンをあけて着崩したシャツの上にダボッとした黒いセーターを羽織っている。その辺にいる男子学生と大差ない。
違うところといえば、これは誰が見ても『イケメン』の部類に入ることだろう。
「あ、あの」
声をかけようと手を前に出しかけて、引っ込めた。
格好いい男だが、存在としておかしい。そこにいるはずなのに、姿がブレるなんて現象が起こるわけがない。
混乱した頭はなかなか機能せず、愛理の思考は完全に停止した。
「……俺のこと、見えるの?」
戸惑っていたのは愛理だけではなかった。愛理の目の前にいる『姿がブレる男』も大いに戸惑っていた。血色の良い唇を開けたり閉じたりをくり返し、何度も何度もまばたきを繰り返す。
そうして、二人の脳みそはやっと活動を再開させ始めた。
「み、見えるっていうか」
見えてはいますけれども、とつぶやいて愛理はすぐに口をつぐんだ。見えてはいますけれども、あなたオカシイですよ、とはさすがに言えない。
「俺のこと見える人、初めて会った」
男子学生はそう言って、目を細めた。笑った途端につぶれてしまう大きな瞳が愛らしくて、愛理は心の中で「すっげーかっこかわいい!!」と叫んでいた。が、初対面でそんな叫び声を発したらドン引きされるので我慢した。
「俺、ヒロ。君は?」
声のトーンも愛理好みだった。高くもなく低くもなく、それでいて落ち着きがありよく通る声だ。
「聞いてる?」
はっとして、慌てて首をウンウンと縦に振る。
「私、木崎愛理。一年B組。ヒロ……くんは三年生とか?」
同じ学年にこんな美少年がいたならすでに噂として広まっているだろう。それがないということは違う学年かと思ったが、ミーハーな年頃の女子が学年が違うだけで知らずにいるわけがない。
首をかしげたところで気付く。
――俺のこと、見える人……
つまり、愛理以外の人間はこの美少年が『見えない』。その意味するところを考えると――
「透明人間……」
「そうそう。女子更衣室をのぞくために透明人間になりました、ってそんなわけないでしょ」
美少年のクセにノリがいい。くるくる変わる表情を見ていても、年下よりも年上に受けそうなタイプだ。
「俺、愛理ちゃんの学年でも、その上の学年でもないよ。たぶんもっともっと年上」
「え、じゃあまさか先生?」
「……俺は学生服を着て授業するコスプレ教師じゃないからね。断じて」
そう言って、ヒロは大きなため息をつくと肩を落とした。
「ここが閉鎖されてる理由、知ってる?」
「自殺者が出た……って噂は聞いたことあるけど」
首をかしげて見せると、ヒロはまた盛大なため息を吐いて、下から覗くように愛理を見た。その仕草もかわいくて、愛理は心の中でこっそりもだえた。
「それ、俺」
「へ?」
「それが俺。つまり、地縛霊ってやつ」
ああ、だから半透明なのか、と納得した愛理は「これが幽霊ってやつかあ」と繁々と彼を見た。
これまでの人生で一度も幽霊なんて見たことがなかった。
中学生の頃に林間学校で富士山の麓に泊まったことがあるが、クラスメートが「あそこに白い何かがいるぞ!」とか「校長の後ろに女の人が体育座りしてる!」とか大騒ぎしているのを尻目に、腹を下して苦しんでいて、全く興味がわかなかった。
さらに、オバケでも校長がいると体育座りなんだな、と襲いかかる腹痛の合間合間にどうでもいいことを考えていた。
愛理にとって、霊体験といえば(本人は何も体験していないが)それくらいで、他は思い出そうとしても何も思い出せなかった。
幽霊なんているわけないと思っていたわけではないけれど、全く無縁なんだろうと思っていた。
だからこそ、目の前にいる「何か」が幽霊だとしても、なぜか実感がわかない。
「……ビビんないの?」
「へ?」
おそるおそる、といった風情でヒロは愛理に一歩近付いた。靴音はしない。内履きの靴は紺色のラインが入っていた。三学年それぞれが別の色になるそのラインカラーは、愛理と同じ色だった。
「俺、幽霊だって言ったんだよ? そこは『きゃー!』とか『うおおお!』とか言って逃げ出すところだと思うけど」
「え? じゃあ、うおおおおお!」
そう望まれているようなので逃げる真似をしたが、ヒロは追いかけてきてくれない。拗ねて小石を蹴るまねをするが、ヒロはぽかんとしているだけだった。
「愛理ちゃん……そこは『うおおお!』じゃなくて『きゃー!』を選択しようよ」
「あ、そっか」
『うおおお!』だとゴリラっぽい、愛理は小さく反省する。
「ヒロ君、いかにも幽霊! ってかんじじゃないんだもん。怖くない」
というよりもイケメンだから観察したいという本音は隠しておくことにする。ヨダレはタレかけたが。
「怖くない?」
「うん」
「愛理ちゃんって、すごいね」
「別に。ヒロ君より矢澤の方が怖いよ」
「矢澤?」
体育教師の矢澤をヒロは知らないらしい。
愛理は校門が見える位置まで駆けて、体を縮こまらせながら指差した。
閉じられた校門の前で竹刀を持った矢澤が仁王立ちしている姿が見える。
昼休みになると、矢澤はああして校門前で見張りをする。勝手に生徒が早退したり、買い食いに出かけたりしないように見張りしているそうだが、たぶん矢澤は仁王立ちが好きなのだ。
仁王立ちマニアだと愛理は勝手に決め付けている。
矢澤は仁王立ちマニアだけでなく、ジャージマニアだ。今日は真っ白なジャージを着ている。
彼が同じジャージを着てくることは滅多に無い。ジャージとはいえジャージにそこまでこだわれるなら相当なオシャレさんなのかと思いきや、彼の髪型は前時代的な角刈りだ。
鋭い三白眼で生徒を睨むように見るため、生徒は彼を相当恐れている。あだ名は「キュピーン」。ビームが出る音から名づけられたそのあだ名を、生徒達は「あいつには合わない。なんかかわいすぎるあだ名だ」と言いあっているが、彼のあだ名は学校の伝統のように変わることがない。
キュピーンの効力は絶大で、彼の視線に入った者は焼き殺されてしまう(と生徒は言っている)。
矢澤に発見されたら「キュピーン」により死んでしまうため、愛理はここにいることがばれないように出来る限り体を小さくしている。
「へえ。あれが矢澤」
のんびりと間延びした声をだし、ヒロは矢澤がいる方向をガン見する。矢澤の「キュピーン」を恐れなくていい彼の体が少し羨ましくなって、愛理は口をへの字に歪ませた。
「俺と矢澤なら、たしかにあっちの方が怖いかもね」
そう言って微笑むヒロは、どう見てもやはり怖くなくて、幽霊なんて怖くないんだなあと愛理はのん気に笑った。