1.屋上は不可侵の場所
ヒロにとって、この場所は居たくない場所でもあり、居てもいいとも思える場所だった。
こうしてぼんやりと雲を眺めている時間は嫌いでなかったし、むしろ、陽の当たる場所で過ごすことが好きだった。
ヒロのことを「野良猫みたいな男」と呼んできた人もいる。
ヒロの趣味はひなたぼっこなのだ。
それがいつの間にか、『居たくない場所』になってしまった。
そのきっかけも理由も、今となっては思い出せない。
ふと、影が動いたことに気付いた。はっとして、辺りを伺うと、出入り口のそばに女が座っていた。
――珍しいな。
この場所――屋上に誰かが来るなんてことは、ヒロがここに居座るようになってから初めてのことだった。
染めているのか地毛なのか、肩甲骨辺りまで伸びたこげ茶色の髪をたなびかせ、足を思いっきり開いて座っている。
身長は座っているからわからないが、手足はすらりと長くて白く、ほっそりとしている。
顔をみてやろうと思ったが、ヒロがいる角度からはよく見えなかった。
――なんか、デジャヴュ。
よく思い出せないが、こういう光景を昔見たことがある気がした。
懐かしい、と思うのに、なぜか心はざわつく。
「あっつうううううううい!」
女はヒロの存在に気付いていない。気付いていないからこそ、大またを開いて、奇妙なうなり声を上げている。
それもそうだ。
屋上は昔、自殺者が出たことが影響して、誰も入れないようになっていた。
ヒロだってここに入れるのは自分だけだと思っていたし、この女もそうなのだろう。
けれど、ヒロはここに入る術を持っている。きっとこの子もそれに気付いたんだな、とヒロはクスリと笑った。
「だる……」
女はゆるゆると倒れこみ、寝そべってしまった。そのまま視線がふと動き、ばちりと目が合った。
まずい、ヒロは直感的に隠れようとしたが、女の声が先にヒロの動きを止めさせた。
「昼間っから半透明って、どういうこと?!」
***
愛理は昨日、あまり寝ていない。
考え事をしていたら、眠れなくなってしまった。
学校に馴染めていない。友達も出来ない。いや、全くいないわけじゃないけれど、『親しい』友達が出来ていない。友達というよりも、単なるクラスメートという方がしっくり来る。
高校に入学してから一ヵ月、それでもなんとか学校生活を送ることが出来た。
けれど、ゴールデンウィークで一週間学校に通わなかった間に、嫌になった。
学校に行くのが面倒くさい。なぜ友達を作り、グループを作り、ワイワイ騒がなきゃいけないのか。
一人でいたっていいじゃないか。なぜ、一人でいることを皆嫌がるのだろう。
そう思うのに、愛理だって、やっぱり一人でいることは寂しかったし、馴染めずにいる自分が情けなかった。
そんなことを考えていたら、寝れなかったのだ。
人見知りする性格が災いして、周りがどんどんグループを作っていくのに乗り遅れてしまった。
机を寄せ合いお弁当を食べる集団の動きについていけず、なんだか何もかもが嫌になって一人階段を上った。そこが屋上に続く階段だったのは、たまたまだったが、それを知ることが出来たのはラッキーだった。
屋上に上がれるのは、愛理が使った東側の階段とその反対側の階段からの二箇所だ。
封鎖されているはずだったが、愛理が使った階段からのドアは鍵が壊れていた。
教師は知っているのだろうか……疑問が浮かんだが、わざわざ教える必要はないと思った。
一人になれる場所を見つけたのだ。失うのは惜しい。
屋上に出ると、校庭に植えられた桜が見えた。ついこの間までは薄紅色の塊が雲のようにふわふわと揺れていたのに、もう葉っぱばかりになってしまっている。
その先には畑が広がり、さらにその奥には国道が見えた。
「あー……」
地の底から這い出るような気味の悪い声が、自分の喉から響いてきたことに、自分が驚いてしまった。
何をしているんだろう。なにもかもが、どうでもいい。
誰も見ていないし、と足をおっぴろげ、スカートの中に風を送り込む。まだ五月だというのに、今日はやたらと暑い。
暑いから余計にだるい。
「だる……」
独りごちながら、体を後ろに倒していった。寝たい。寝てしまおう。真っ青な空が心地いい。
首をもたげたその時、愛理の目に、人影が飛び込んだ。
――見られていた!
恥ずかしさでめまいが起こったのかと思った。だが、どう考えても違う。
出入り口のドア横の壁に寄りかかってこちらを見ている男子生徒は――どう見ても透けていたのだ。
***
五月七日
面白い人と出会った。
変な人だけど、かっこいい。
こんなことが起こるなんて、未だに信じられない。
漫画みたい。ひゃっほー!
日記だからはしゃいでみたけど、自分ちょっとキモイな。自重しよう。
そんなことより、奇跡!
神様、すごい!
そう思えた出会い。
神様に感謝!