17.楽しい時間
友達がいれば救われることも多いけど、時に、ひどく心を痛めつけられる。
それは、悪意の無い言葉や態度でも、悪意があってもだ。
だから、愛理は友達をほしいと思わない。傷つけることも傷つけられることも無くて気が楽だし、すべてことを自己責任だと思える。
自分のせいだと思う方が、他人を責めてしまうよりもずっと楽だ。
そう思うのに、やっぱりさびしい。
人は一人では生きられないと言うけれど、本当にそうだと思う。
誰かがいると思えた方が、心は安定する。
愛理は、不安定だ。どこにも寄り添う心が無い。でも、寄り添ってしまうことが怖い。
裏切られてしまうことが、怖い。
「俺、図書室に寄って教室戻るわ」
和希は目を伏せたままそう言って愛理の手を放した。
愛理ははっとして、和希の腕をつかもうとしたが、やめた。
「……林先生、ヒロのこと知ってるみたい。教えてもらった」
「俺も、今朝、林先生と話したよ。お前のことも少しだけ言ったから、あの幽霊のこと話してくれたのかもな」
「え?!」
甲高い声が喉から出た。踊り場に反響する声に愛理自身が驚いて、慌てて口を手をふさいだ。
「上条弘嗣知ってますか? 先生はこの学校に七年前いらっしゃいましたよね? 自殺した生徒だから知ってますよね? って聞いた」
「なんか、探偵みたいな聞き方」
「やってることは探偵みたいだしな」
得意げにメガネをくぃっと上下させて、和希はにやりと笑む。
マンガにありがちな高校生探偵みたいだ。それもそれで似合うな、と吹き出しそうになった。
和希はどうにもマンガに出てきそうな出で立ちをしている。生徒会長やら探偵やら、なんでもやれそうだ。
「林先生は霊は見えないみたいだけど、感じることは出来るらしい。だから、屋上がやばいって知ってたみたいだな。俺が『あそこにはまじでいますよ』、って言ったらビビって泣いてた」
「先生を泣かすとは……」
絶対、和希はわざとそう言ったのだろう。ビビらせるのを目的としてしゃべるあたり、和希はどSだ。
「林先生、放火のことも知ってたよ。事件のことも林先生から聞いた部分もある」
「そうなんだ……」
「かわいそうだって言ってたよ。あいつは悪くないのに苦しんで、いまだに成仏できないなんてって。七年もたつのにってさ」
七年。けれど、ヒロにとっても愛理たちと同じ『七年』なのだろうか。
夢の中にたゆたうようだと言っていたヒロが、同じ時間の長さで過ごしているのだろうか。
「もう少し、先生の話も聞いてみたいから、行ってみるよ。放課後、またここで」
「うん」
階段を下り、折り返し地点で和希は愛理の方に振り返った。
手すりに手をかけたまま、足は階段を一段飛ばしでまたいでいる。
「さっき言ったこと、忘れんなよ」
「なにが」
「ヒロしか友達いないなんて、言うな」
「わかったよ」
照れもしないでよく言える。愛理の方が恥ずかしくなって、邪険に手を振ってやったら、和希は目を細めて笑うだけだった。
「お前みたいなアホを放っておいたら、解決できることも出来なくなっちまう。俺がかまってやるから、一人で突っ走んなよな」
『友達未満かまってくれる子以上』に若干不満があるらしい。口を突き出してぶうたれて、和希はあっという間に階段を駆け下りていく。
その姿を踊り場から眺めながら、愛理はぷう、と頬を膨らませた。
和希の率直な性格は嫌いじゃないけど、やっぱり少し苦手だ。
*
屋上に出て、校庭を眺めると、校庭の西側にある校門の前で、いつもの通りピキューンこと矢澤先生が仁王立ちしている姿が見えた。
竹刀を右手に持ち、大の字みたいに足を広げて立っている。
矢澤にバレないように身を低くして中庭が見える方へ回ると、ヒロがにこやかに立っていた。
「来ると思った」
そう言って、愛理に手招きする。
「超能力?」
「いや、ただの勘」
ヒロの向こう側の柵越しに中庭が見えた。昼休みもあと二十分程度だ。お昼を食べ終わった生徒たちが中庭の花壇をベンチ代わりに、おしゃべりしている。
何を言っているのかはわからないが、時折、甲高い笑い声が空に響いた。
今日は見事な晴天。風もなく穏やかで、雲一つない。
「どうしたの? なんか暗い?」
愛理が近づくと、ヒロは心配そうに顔を覗き込んできた。ヒロの大きな目がばちりと合って、とっさに目をそらす。
その動作にヒロはクスリと笑って、愛理の背中をそっと押してくる。
もちろん触れることはかなわないから、実際に押すことはできないけれど、空気はわずかに揺れたような気がした。
「ヒロはさ、高校、どんなかんじだった?」
「ええ? アバウトな質問」
和希との会話を思い出す。放火事件と、自殺。短期間で起こったその二つの事件は、絡み合っているに違いない。
だからこそ、話せない。今は、何も。
「高校ねえ……」
思い出そうとしているのか、ヒロは柔らかい茶髪を掻き、視線を中空に彷徨わせる。愛理もつられて空を見上げて、「あの空は宇宙につながっているんだなあ」と唐突に感じた。
「ああ、そうだ」
何かを思い出したのか、ヒロはぱっと愛理の方に向き直ってきた。愛理はびっくりして「ごめん、宇宙について考えた!」と声に出していた。
「深いこと考えるんだね……」
「すいません、深くは無いです……」
宇宙ってどこからどこまでなんだろう? しか考えていなかった。
「あっち、座ろうか」
給水塔のコンクリートに座るのが、定番になってきた。
二人は隣り合って腰掛け、のんびりと足を伸ばす。
「放課後とかにさ、彼女と教室でキスしたなーというのを思い出した」
「うわ、なんかエロい!」
「男女交際NGとかじゃないけどさ、やっぱり先生に見られたら怒られるんじゃないかとか、ビビるよな」
「ヒロの彼女ってどういう子?」
少しだけ、チリチリと胸が痛んだ。それは嫉妬に近い。
これだけ格好良ければ彼女の一人や二人、浮気だってし放題だったろう。なんだかそれが、ちょっと嫌だった。
「どういう子……愛理に似てたかも」
「嘘!」
それは嬉しいような、むかつくような。
「むかつくと唇かんで眉間に皺寄りまくるところとか」
眉間を両手で隠した。ちょっとむかついたから、眉間はきっと三しわ分くらい寄っているはず。
「笑うと、目が細くなって、頬が丸くなるところとか」
手を丸くてして、頬に当てる。ヒロは「そう、そこがぽこっと丸い」と笑った。
「いいよなー高校生。楽しかったよ」
「社会人三年目の人みたい」
過去形なのが悲しい。ヒロにとって人生は、もう終わってしまったことなのだ。
白い光線を放つ太陽を見上げて、溢れそうな涙をこらえた。
「私は、今、楽しいよ。ヒロと一緒にいるの、楽しいよ」
唇を噛みしめながらブツブツとつぶやくと、ヒロは目を細めて、愛理の腕を取った。
導かれるように腕を上げたら、ヒロは自分の手を開いて、目で「同じように開いて」と訴えてくる。
首をかしげつつ、手を開いたら、ひらりと、桜の花びらが落ちてきた。
「桜!」
「見つけたんだ」
もう五月だ。桜はもう散ってしまっている。どこで見つけたのだろう? 不思議に思ったが、ヒロもどうやらこれがどこからやってきたかわからないらしい。
ひらりひらりと舞っていたのを捕らえただけのようだ。
「俺も愛理といるのは楽しいよ。だから、またここに来て」
「――うん!」
***
五月二一日
もらった桜の花びらは、押し花にしてしまっておくことにしたよ。
なんだか心が浮かれて、ドキドキする。
でも、ちょっと待て!
先走りするのはやばい。
好きになっちゃ、やばいよね?