16.君しか
「これ、どういうこと……?」
ヒロの母親である上条祥子は、自宅を放火したとして逮捕された――記事にはそう書いてあるのだ。
信じられない思いで、愛理は記事のコピーを握り締める。
ヒロの話を思い出す。ヒロの両親は離婚したと言っていた。
放火の事件の前にヒロの両親が離婚しているとしたら、死んだ父親がヒロにとって義理の父になるのか、放火犯となった母親が義理の母なのか?
それとも、この事件がきっかけで両親は離婚したのだろうか。
違う……愛理は首を振る。
愛理とヒロの境遇は似ている。だから惹かれあって、愛理にヒロの姿が見えるのだとヒロは言った。だとしたら、両親の離婚の時期も似通っている可能性の方が高い。
愛理の両親が離婚したのは、愛理がまだ幼稚園生だった頃だ。
ヒロの両親もヒロが幼い頃に離婚しているのなら、どちらかはヒロにとっては血の繋がりのない人だろう。
複雑な家庭で起きた事件は、そのままヒロの自殺の原因となったのだろうか。
ふと、違和感を覚えた。
何か、見落としている。なんだかわからないけれど、何か、愛理は気付かなければいけないことに気付けていない気がして、口中に苦みが走る。
「死んだ上条忠幸には殺された形跡はなくて焼死だったらしいから、最初はただの火事だと思われてたらしい。だけど、姉の……彩月」
和希は新聞のコピーを指でなぞり、名前を確認する。
「姉の証言が決め手になって、殺人事件として捜査されることになった」
「姉……」
ちりちりと、胸がうずく。
ヒロは何と言った?
姉が嫌なんだ……そう言っていたではないか。
「忠幸の吸っていた煙草の不始末から出火したとされていたが、忠幸は当時禁煙していた。彩月は『父はその日、煙草を一本も吸っていない。私は寝る前まで一緒にいたのだから、父が煙草を吸わなかったと断言できる』と主張したんだ」
「じゃあ、どうして母親が犯人になるの?」
「夫婦仲がうまくいってなかったのは、近所中に知れ渡ってたみたいだな。喧嘩の声がしょっちゅう聞こえてたらしいし、事件のあった日、祥子はアリバイがない」
和希は声を低くして、「それに」とつぶやき、いったん唾を飲みこんだ。愛理もつられて唾を飲む。
「祥子は自分がやったと自白してる」
何かが引っ掛かる。喉に骨がささったみたいに、違和感が拭い去れない。
事件の真相はつじつまがあっている。
喧嘩の絶えない夫婦が、とうとうお互いを憎みあい、妻は手を血に染める。姉は父の死因をはっきりさせたくて、真実を口にした。――ヒロは? ヒロはその時、どうしていたのだろう?
事件が終着を迎えたのは、放火から一年近くたってからだ。
ヒロが自殺したのは、放火事件の約二週間後。事件が解明されていく段階は見ていないはずで、姉の証言さえ知らずに死んだかもしれない。
ということは、ヒロが死んだ原因は放火事件なのだろうか? ヒロが死ぬ時までは、放火ではなく、ただの火事でしかなかったはずだ。
火事で父親が死んだことで後を追おうとした?
――それも違う気がする。
「どうする?」
眼鏡の奥の瞳が愛理に向けられる。何を「どうする」というのだろう。愛理は戸惑って瞬きを繰り返した。
「あいつに話してみるか?」
体が震えた。こんな話をヒロに話す? そんなこと――
「そんなの、残酷だよ……」
鼻の奥がキュウと小さく鳴いて、目が熱くなる。
こんなことを知って、ヒロが成仏できるというのか? ――出来るわけがない。
「ヒロはきっと思い出したくないから、ここにいるんだよ……」
生前の辛い記憶。ヒロはそれから逃げて、ここにいる。それだけは確信できた。
「でも、話さないでいることが正解とは思えない」
和希が身を乗り出してくるから、愛理はびくりと震えてしまった。和希は切れ長の目を見開いて、「ご、めん」と切れ切れに声を出した。
「悪い。昨日調べて、内容が内容だから、俺もなんつうか、ちょっと戸惑ってるんだ」
「うん……そりゃそうだよ」
こんな恐ろしい事件が自分の間近で起こるなんて、想像もしたことがない。だからこそ、どうしたらいいのかわからず、惑うしかない。
経験も無く、知識も知恵もない、自分がちっぽけな子供だと思い知らされた気がする。
「俺は、話した方がいいと思う。地縛霊になっているのは理由があるはずだ。残酷な話をしたくないからって逃げたら、何の解決にもならない」
「そうだけど」
正論を吐いてくる和希の言葉は、愛理をいっそう戸惑わせた。
死んでしまっているとはいえ、人ひとりの人生を左右させるかもしれない話をすることを、決断できない。
「少し、考えよう。今すぐ決めなきゃいけないことじゃないじゃん」
和希の視線から逃げるように立ち上がると、和希に手を掴まれた。和希の手は、ほんのりと熱い。
「お前、あの幽霊にのめりこむなよ」
「のめりこむ?」
「所詮は幽霊なんだ。感情移入しても、見返りがあるわけじゃない。気に入られて連れてかれるかもしれない。恩を仇で返してくるかもしれないって、ちゃんと理解しとけよな」
「あんた、友達に優しくしたら、見返りなんか求めんの?」
和希のこういうところが気に食わない。論理的なのは悪いことじゃないけれど、損得だけで物事を判断するような人間になりたくない。
「友達って、あいつは幽霊だぞ?!」
「関係ない! 私には、ヒロしかいないもん! 大切にしなかったら、誰を大切にすればいいの?!」
言ってて情けなくなった。ヒロしかまっとうにしゃべれないなんて。
もう五月も半ばなのに。友達一人もいないし、「--しかいない」なんて考え、愛理自身が一番嫌っていることなのに。
「俺だって、お前の友達だろう?! ヒロしかいないって、悲しいこと言うな、バカじゃねえの!」
愛理の手を掴んだ和希の手に、ぎゅっと力が加わって、愛理は小さくうめく。
なんだよ、このメガネ。友達宣言とか、クサいうえにうざい。
だけど。
「あんたなんか、友達未満かまってくれる子以上だもん……」
「意味わかんねえし」
顔が思わずニタついたのは、やっぱり友達がほしかったからかもしれない。