第七章 小学編 外伝①
小学生編は、充実していて楽しい事ばかりに見えますけど、嫌なこともあったのですよ
小学生時代の話を書くと、この人小学生時代は楽しいことばかりで過ごしていたような印象を与えてしましますが、苦痛といいますか仕方なくやっていたこともあったのです。
今回はそのことを綴ろうと思います。
習い事、小学生で1人はなにかしらやっていたことがあるのではないでしょうか。
ピアノが辛いとよく友人から聞いてましたが、それは中学、高校生で花開く素晴らしい習い事だと思います。
私の習い事は柔道でした。
理由は私が転んだ際などにすぐ泣いてしまっていたらしく、その克服の為に選択されたようです。
幼稚園の年長から某上柔道場に通わせられました。
なぜか土日以外毎日あったので、仕事終わりの父親に連れられ、通ってました。
私はその柔道が嫌で嫌でたまりませんでした。
そもそも全く興味のある習いどこでもなく、段取りという2人1組で実践形式で練習する際には、下手な人にあたり、背負い投げなどされた日には、頭を思いっきり打ち痛くてたまりませんでした。
※うまい人は、柔道着を引っ張って頭が直接地面にぶつからないようにしてくれます。
父親が残業で連れて行ってもらえない時、道場に行ったけれど緊急で休みの時は、
嬉しくてたまりませんでした。
そして、上記のことが起こることを毎日祈ってました。
当然試合もあります。
貴重な日曜な休日に朝から、全試合が終わるまで帰れません。
試合の成績と申しますと小学1年生の時に3人しか参加している人がいなくて、
それでも負けたので、お情けの銅メダルをもらったことがあります。
普段の練習は、準備運動→決められった技を相手にかける→段取り2人1組で、自由に技を掛け合うというものでしたが、同学年に仲良くなった人がいて、その人と段取り中に話ばかりしていて、全く練習をしていなかったので、弱いはずです。
でも数年やっていると試合で勝つことがあります。
ある試合で1回戦に勝ったのですが、2回戦の相手が体重差があり、とても怖い人だったので、
情けなくも逃げることにしました。
試合をしてみて、実はあまり強い人ではなかったのですが、わざと技に掛かり、抑え込みをしてもらい負けることができました。客観的に見ると、手を抜いていたのはバレバレのようで、後からしこたま指導者に怒られました。
嫌で嫌で仕方なかった柔道ですが、辞めるとも言えず、小学6年まで通ってました。
唯一すごかったのは、山口県警主催の柔道大会で、補欠がいないということで、市の代表として無理やり参加されたことがありました。大会に向かう車が護送車だったので、ある意味貴重な体験をさせていただきました。結果試合は、補欠のでばんはなく、3位入賞でした。補欠の私でもメダルが貰え、市の新聞には写真入りで紹介されました。なにもやってないのですが、表彰されたという謎の出来事でした。
でも、柔道を辞めた後でも、いい事はありました。
中学校、高校ともに柔道の授業がありました。
周りは素人ばかりなので、いい成績を付けてもらいました。
これを言うのもあれですが、学年末には、試合があります。
対戦相手は、ヤンキーではないけれど、やんちゃでクラスでえばっている方でした。
目立たない私相手に、余裕で勝てると思っていたようですが、
柔道という土俵の上では、さすが7年適当とはいえ柔道をしていた私にとっては、瞬殺の相手でした。
経験者のいない中で、こうなっても仕方ないのですが、結果的に優勝しました。
もう1つは正座ですかね。これがいいことかはわかりませんが、フローリングであれ、カーペットの上であれ、畳の上であれ、座る時は自然と正座の姿勢を取ってます。
癖なのか、正座が心地よいんですよね。座り過ぎると足がしびれてたいへんですが。
それから月日が流れ、父親がさしで飲みたいとお店を予約してました。
その時語られた言葉が、「柔道に無理やり通わせて申し訳なかった」というものでした。
そして、今私が当時は鬱病と診断されていましたが、そうなったのは、柔道に無理やり通わせたことが原因ではないかと言ってきました。
私はきっぱりとこう返答しました「確かに柔道はいやだったけど、学ぶことも多かったし、中高生でも役にたったことがあった。決して、今の鬱の症状は、柔道に通わされたことが原因ではない」と言いました。実際そうだと思いましたし、因果関係が全く感じられなかったからです。
私の苦しみを本人が経験したことではないので、辛さを塑像することはできませんが、父親なりに、なぜ息子がうつ病になってしまったのだと、本気で色々考えてくれているのだとわかり、嬉しかったです。
柔道の試合でも逃げの姿勢が、今の逃げに直結しているのかもしれません。
当時は、試合が終わった後で、すごく反省し、恥ずかしい思いでいっぱいだったのが思い返せます。




