正義のヒーロー?それとも
「黒炭祭の報告書を出しに来た」
「びっくりした・・・」
「絶対そっちの方が美味しそう。変えてくんない?」
真葉音は、これは烈火刀削麺売り切れ後の代替で、具もたっぷり入った特別仕様のだんご汁だと説明するが、本くんはどこか上の空だった。
「じゃ、交換な」
そう言って、本くんは自然に椀を差し出した。
運命は、烈火みたいに派手じゃない顔で、こういう場所に平然と座っているらしい。
本は、自分の盆を左手に、真葉音のだんご汁が乗った膳を右手に持ち、器用に人波を避けながら歩き始めた。
「あっちで、和尚さまと合流することになってるから」
真葉音がそう言うと、本は軽く頷いた。
二人が待ち合わせのテーブルに着き、盆を置いたものの、まだ腰を下ろす前だった。その瞬間、ちょうど向かい側から和尚さまが戻ってくる。
「お邪魔しまーす!」
本が、場違いなくらい明るく言う。
「本くーん! どうしたの?」
和尚さまの声が弾む。
「わたしもびっくりした」
真葉音が苦笑すると、和尚さまは盆の上を覗き込み、目を見開いた。
「本くんの汁物、めっちゃ美味しそう!」
「特製付盛です。たぶん今日、わたしだけです」
真葉音が少し誇らしげに言った、その瞬間。
「は? これ、本くんのじゃないの!?」
和尚さまの声が裏返った。
真葉音は、麺類注文列で起きた一部始終を説明した。
烈火刀削麺が最後の一杯だったこと。
半分案が即却下されたこと。
そして、古根という名前を口に出したところで――
「ぷっ」
和尚が盛大に吹き出した。
「ウケるー! 古根ゴン、噂どおりじゃん!」
「噂・・・?」
真葉音が目を瞬かせる。
和尚は卓に肘をつき、にやにやしながら言う。
「判断の早い者が取る、って人だよ。
迷う者は後回し。以上。説明終わり」
「終わり!?」
「古根ゴンの世界はシンプル。弱い強いっていうより、即断即決の論理。
ためらった時点で負け。列に並んでる順とか、気遣いとか、そういうのは後付け」
本が小さく笑う。
「合理主義者ってやつか」
「そうそう。本宮は処理の速さが命だからね。
午後の案件抱えてる人間と、新人一人。
どっちが烈火を取るべきかって言われたら、古根ゴンの中では即答なんだよ」
真葉音は唇を引き結ぶ。
「でも・・・わたし、後ろに並んでたんです」
「それも関係ないんだよなあ。
並び順より、決める速さ。あの人にとってはそれが秩序」
「めっちゃ怖かったです・・・」
真葉音は肩をすくめる。
本が苦笑しながら付け足す。
「自分が後ろに並んでたのに、だよ」
和尚が身を乗り出す。
「で? 言った?
『わたしの烈火刀削麺愛を舐めるな』って」
「言えるわけないじゃないですか!」
三人の間に、遅れて笑いが起きる。
だが真葉音の胸の奥には、
さっき列で感じたあの一瞬が、まだ残っている。
譲ったのは恐怖か、空気か、
それとも――自分の未熟さか。
烈火はただの一杯。
それでも、その熱は、確かに残っている。
なのに、なぜか敗北の味がした。
「めっちゃ怖かった・・・」
真葉音は肩をすくめる。指先が、まだわずかに強張っている。
「自分が後ろに並んでたのに、すごいよな」
本が苦笑しながら付け足す。
順番というものを、あんなに軽々と越えていく人間を、彼は初めて見た顔だ。
和尚がニヤニヤしながら、答えのわかりきった問いを投げる。
「で? 『わたしの烈火刀削麺愛を舐めるな』って言った?」
「無理無理」
即答だった。
言えるはずがない。
本宮初日。上位五人。古根。
喉まで上がった何かは、ちゃんと飲み込んだ。
和尚が天井を仰ぐ。
「運命の出会いが、女性だったとは・・・」
しみじみと、妙に情感を込める。
三人の間に、小さな笑いが落ちた。
烈火でも、王族でもない。
けれど、こういう偶然が重なる昼膳の時間こそ、
本宮らしさなのかもしれなかった。
「――あれ?」
和尚が、ふいに声を上げた。
「これさ、本くんが正義のヒーローなんじゃない?」
「正義のヒーロー?」
真葉音がきょとんとする。
「だってさ。真葉音が最終的に烈火にありつけたの、本くんが呼び止めたからでしょ。
間がずれてたら終わってたじゃん」
本が小さく首を振る。
「いや、オレ何もしてないけど」
「してるしてる。こういうの、一番それっぽいんだよ」
和尚はうんうんと勝手に納得する。
「・・・でもさ」
ふっと表情を変える。
「古根を倒したわけじゃないんだよね」
顎に手を当て、少し考え込む。
視線が卓の上を泳ぐ。
「ヒーローっていうより――」
一拍。
椀から立ちのぼる湯気が、ゆらりと揺れる。
「運命の人、だね!」
言い切った。




