置き去りの未来と
「しかもね」
和尚が、少し声を落とす。
「今のわたしたちの状況に、似てる・・・」
真葉音は頷いた。
「そのお母さんが、入庁した局っていうのが・・・」
和尚と本が、同時に息を呑み、続きを待つ。
「・・・昨日見た夢!」
一拍置いて、
「えええ?」
本が思わず声を上げた。
本:「真葉音ちゃん、豊後巡りから帰ってきて見た夢が、それ?」
「なんかさ」
和尚が探るように言う。
「本宮、行けるかなって・・・不安になってきた?」
「本宮、希望出したんだ?」
本が真葉音を見る。
「わたしも真葉音も、本宮を希望してる」
和尚が言い切り、ちらりと本を見る。
「本くんは、違うの?」
「あ、うん、オレはこのまま巡府に残る」
「・・・そっか」
真葉音はそれだけ言った。
その一言が落ちた瞬間、豊彩楼の天井がわずかに遠のいた気がした。
昼の光が差し込む窓辺の埃が、やけにゆっくりと漂って見える。
和尚がにやりと笑う。
「オレはこの生まれ育った町が好きだからね、なんて言わないでしょうねー!」
本は肩をすくめる。
「巡府の暮らし、嫌いじゃないからね」
「あ、言ってる!」
三人は同時に吹き出した。
笑い声が木の卓に弾み、壁に跳ね、やがて静かに沈んでいく。
そのあとに訪れた沈黙は、さっきまでとは質が違った。
巡府の町並みが、ふと脳裏に浮かぶ。
土の匂い、湿った風、夕暮れの道。
本の背中には、その風景が貼りついているようだった。
真葉音は、自分の胸の奥に別の景色を抱えている。
白い石畳。高い柱廊。まだ見ぬ本宮の空。
同じ卓を囲んでいても、三人の視線はそれぞれ違う方向を向いている。
笑いで埋めたはずの距離が、ほんの少しだけ形を持った。
その空気を、勢いよく切り裂く声が響いた。
「だんご汁、残り一杯だよ!」
豊彩楼の奥から、甲高くよく通る声。
ざわめきが一瞬で波立つ。椅子が引かれ、器が触れ合う音が重なる。
三人は反射的に顔を上げた。
未来の話は、まだ卓の上に置き去りのまま。
そこへ、さらに場を踏み荒らすような声が飛び込む。
「おいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおい!
配属発表の日が、いつか発表されたぞ!」
口だった。
「今年も、十二節一日じゃないの?」
本が言う。
「おいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおい!
当てるなよ!」
「おいが多いな」
和尚が即座に突っ込む。
「おいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおい!
みんな、どこ希望してるの?」
「わたしと和尚さまが本宮で、本くんはこのまま巡府」
真葉音が答える。
「口くんは?」
和尚が腕を組む。
「おい無しで教えて」
「本宮希望だよ!
おいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおい!
真葉音ちゃんと和尚ちゃん、一緒だね!」
「あ・・・」
本は、ふと視線を落とした。
そして、真葉音が抱えていた中祐の本を指さす。
「それ、見せてもらっていいですか?」
「あ、どうぞ!」
「(小声で)いっ、特級美面!」
和尚が即座に反応する。
「倉庫勤務者なら、希望すれば貰えますよ」
本は穏やかに言った。
「絶対、貰った方がいいです」
真葉音が身を乗り出す。
「最高傑作です。大好きなんです」
「あ、ありがとうございます」
和尚の目が見開かれる。
「も、もしかして・・・」
「本宮の方ですか!?」
二人の声が重なった。
「ええ」
男は頷いた。
「これを制作した内の一人です。
色彩の確認はしているんですが、工房での量産だと、どうしても若干の差が出てしまって」
「本、お持ちしますね!」
真葉音はもう立ち上がっている。
「何冊にしますか?」
和尚も続いた。
控えの間に、
不安と期待と、少しの高揚が入り混じった気配が、再び満ちていった。
「・・・良いんですか? さっき倉庫を覗いたら、かなり硬く梱包されていましたけど」
男が遠慮がちに言うと、真葉音は即座に笑顔になった。
「お任せください」
その声音には、なぜか妙な自信があった。
真葉音と和尚は連れ立って倉庫へ向かう。
戻ってきたとき、男は少し驚いた顔をしていた。
「・・・すごく、気が利く方々ですね」
「あ、はい・・・」
本は、なぜか自分が褒められたわけでもないのに、曖昧に頷いた。
「お待たせしました!」
和尚が声を張り、
真葉音は布鞄を差し出す。
「先月の行事で余ったものですけど。これに入れておきました」
「ありがとうございます。本当に助かります」
「いえいえ、とんでもないです」
男は丁寧に頭を下げた。
「では、早速、本宮に持ち帰ります」
「お気をつけて!」
男の背中が控えの間から消えると同時に、
和尚が小さく息を吸った。
「・・・イ、特級美面だった・・・」
そこへ、間髪入れずに口の声が飛び込んでくる。
「おいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおい!
さっきの人、中祐だってな」
「え!?」
真葉音と和尚の声が、きれいに重なった。




