第五話 神殿都市の黄昏、あるいは無慈悲な支配者
六翼の天使が塵となって消えてから、数分。
天ケ瀬累は、ブリュンヒルデを従え、この世界で「聖地」と呼ばれる神殿都市エリュシオンの正門前に降り立っていた。
目の前には、現代の地球には存在しない、魔力で強化された高さ五十メートルの白亜の城壁がそびえ立っている。城壁の上には、無数の魔導砲と、怯えを隠せない数千の魔導兵が並んでいた。
「止まれ! それ以上近づけば、神敵と見なし全火力を開放する!」
拡声魔法による警告が響く。だが、累は歩みを止めない。
彼にとって、この巨大な城壁は庭の垣根ほどの意味も持たなかった。
「累様、この都市には強力な『絶対防御結界』が展開されています。神話級の術式であり、外部からの干渉を完全に遮断しているようです」
「『絶対』か。この世界の住人は、その言葉の重さを知らなすぎるな」
累は右手を軽く壁にかざした。
彼がアクセスしたのは、城壁を構成する石材の分子構造ではなく、その背後にある「概念」そのものだ。
「【定義変更】:通過」
累が壁を通り抜けようとした瞬間、堅牢な城壁が、あたかも「空気」であるかのように実体を失った。
累とヒルデは、物理的に壁を突き抜けて都市内部へと侵入する。結界は反応すらできない。累が「そこには壁がない」という結果を先に確定させたからだ。
「な……!? 壁を……通り抜けた……!?」
「撃て! 撃てえええ!」
パニックに陥った指揮官の叫びと共に、数千の魔導砲が一斉に火を噴いた。
放たれたのは、火炎、雷撃、氷塊、そして魂を削り取る死の波動。それらが集中豪雨のように累を襲う。
しかし、累は一歩も足を止めない。
彼に触れる直前、すべての攻撃はその勢いを失い、ひらひらと舞う「青い蝶」へと姿を変えていった。
「美しいな。暴力よりも、こっちの方がこの街の景色には似合っている」
数万の魔導攻撃が、数万羽の光り輝く蝶に変わり、都市の空を埋め尽くす。その幻想的な光景に、兵士たちは戦う術を忘れ、武器を落として見惚れた。
それは慈悲ではない。累がこの世界の「エネルギーの指向性」を気まぐれに書き換えただけの、ただの余興だった。
累は都市の中央に鎮座する、世界最大の『聖教教主神殿』を見上げた。
そこには、この世界の秩序を司る最高権力者たちが集まっている。
「さて……挨拶は済んだ。次は、お前たちの『神』について聞かせてもらおうか」
累が指をパチンと鳴らす。
次の瞬間、神殿の巨大な屋根が「消滅」し、中にいた教皇と枢機卿たちが、剥き出しの空の下で震え上がった。
「貴様……何者だ……! 邪神か!? それとも深淵からの魔王か!?」
豪華絢爛な法衣を纏った老教皇が、震える声で杖を向けた。
累は空中に生成した椅子に悠然と腰を下ろし、冷酷な微笑を浮かべる。
「質問の主導権が自分にあると思うな。跪け。俺の視界に入る者は、等しく地面を舐めるのがルールだ」
累の言葉は、単なる命令ではなかった。
それは宇宙の理を上書きする「神命」だ。
教皇も、最強を誇る聖騎士も、都市に住む数万の民も。例外なく、目に見えない巨大な掌に押し潰されるように、その場に平伏した。
「が……あ……。体が……動か……ない……」
「安心しろ。殺しはしない。ただ、今日からお前たちの信仰対象を変えてもらうだけだ」
累は神殿の奥に祀られていた、この世界の創造神の石像を指差した。
石像は一瞬にして崩れ、累自身の姿を模した「黒い大理石の像」へと再構成される。
「【精神統制】」
累の瞳が漆黒に染まった。
彼は全宇宙を制覇した際と同じ手法で、この都市に住む全生命体の意識に「絶対服従」の刻印を打ち込んでいく。
「今日から、この世界の主は俺、天ケ瀬累だ。お前たちの祈りも、魔力も、命も、すべて俺の私有財産として扱う。……異論はないな?」
平伏していた人々の瞳から、次第に恐怖が消えていく。
代わりに宿ったのは、狂信的なまでの恍惚感。
累が彼らの脳内の「幸福中枢」と「服従心」を直結させた結果だった。
『おお……主よ……天ケ瀬累様……!』
『私たちの、真の神……!』
数万人の唱和が、神殿都市に響き渡る。
わずか十分。
異世界で最も強固な宗教国家が、天ケ瀬累という一個人の「私有地」に成り下がった瞬間だった。
「さて、ヒルデ。この星の地図を出せ」
「は。すでに精霊たちの意識をスキャンし、全大陸の構造と勢力分布を把握いたしました。……現在、この星には他に三つの大帝国と、封印された魔王領が存在します」
「いいだろう。一週間以内にすべて終わらせるぞ。……俺がこの星の『唯一の理』になるまでな」
累は不敵に笑うと、次の獲物――北の大帝国に向けて、優雅に宙を歩き始めた。




