第一章
「それでは、改めて確認させていただきます」
Aは、いつもと変わらない調子で、しかし確かな緊張を含んで、『最後のはなし』を始める。
「Sさん、貴方は今後の人生の安定、充足のため、『自らの意思で』指定の記憶の忘却を望まれている。お間違いないですか」
「はい、間違いないよ」
SというAよりかなり年上の壮年の男も、いつもと変わらず、砕けた、しかしやっぱり確かな緊張を含んで答える。
「今後、Sさんの人生に何か精神的なトラブルが発生した場合、当局は一切の責任を負いかねます。予め、ご了承くださいますか」
「もちろん、自分で決めたことだからね」
この男は、やりやすかったとAは思う。忘却の理由も賢明で、職員である私がアドバイスをする必要を微塵とも感じなかった。昔に起業した会社で大きな失敗を経験し、多額の借金に追われていたSは、すべての返済が終わった今、何もかも新しく始めるために、当時の失敗経験を忘却したいと言うものだった。『〈失敗は成功のもと〉なんて言うけど、俺の人生では足枷にしかならなかったよ』と彼はよく言っていた。カウンセリングと称して何度も彼と会ったが、ほとんど世間話のようなものをするだけだった。
「分かりました。ではご準備のでき次第、Sさんのお好きなタイミングでその椅子に座り、頭に装置をつけた上で、手元の白いボタンを押してください。次に目が覚めた際には、忘却は滞りなく完了しているでしょう」
「今まで、世話になったよ。これが終わったら何かお返しさせて欲しいんだけど……」
Aは内心で『やはり来たか』と思った。クライアントがこのように言ってくることは珍しくない。私は至極残念そうな表情を作り、Sに話す。
「大変申し上げにくいのですが、こちらも精神的トラブルや個人的な問題を避けるため、記憶管理局を利用されたという事実はもちろん、職員である私との記憶も『忘却』されることになっているんです」
SはAの話にじっと耳を傾け、本当に残念そうに笑った。
「……忘却したことも『忘却』するっていうのは知ってたけど、君のことも忘れてしまうのか、そりゃそうか。はは、何を言ってるんだ俺は。……にしても、我ながらひどい話だなあ。こんなに世話になった人のことを忘れちまうなんて」
「確かに、私も寂しいですが、これもSさんの今後の人生のためなんですよ」
「まだ若いのに、職員は大変だね」
Aにも情が無いわけでもなかった。Aが心から忘れてほしくないと思ったクライアントもいたし、クライアントが心からAを忘れたくないと思ったこともあったであろう。忘れていく者と、忘れられる者の対比は職員しか知らない。職員側からの干渉を避けるため、Aたち職員にクライアントの個人情報の一切は教えられない。数えきれない程のクライアントの記憶処理に立ち会ったAであるが、この瞬間だけは慣れなかった。そしてA自身も、慣れるべきではないと思っていた。そして、この『最後のはなし』を長引かせない、というのが、Aの鉄則だった。
「では、私はこれで失礼します。Sさん、幸せにお過ごしください。」
Aはいつもの言葉を言うと深々と頭を下げる。頭を下げることには二つの意味がある。一つはクライアントへの餞別、そしてもう一つは、これから忘れ去られる記憶への最後の敬意だった。
「本当に、世話になりました。」
SもAの方を向き、頭を下げる。最後までやりやすい男だったとAは思った。お返しの話さえなければ、私のことを忘れるという事実を伝える必要はなかったのに、とAは少しだけ寂しくなり、軽い会釈をしながら扉を閉めた。
それから先のことは専門的な技術を持つ職員が全てやってくれる。『忘却』が完了し、12時間ほど眠り続ける麻酔をかけられたクライアントは、彼らの自宅へと運ばれ、ソファやベッドに寝かされる。目を覚ました彼らは、忘れたかったことを全て忘れ、長い夢を見ていたような心地になりながら日常に戻っていく。しかし、その『忘却』が、彼らにとって良い選択であったのか否かは、誰が知る由もない。『忘却』はただの『忘却』。それ以上の意味は無かった。
そろそろ、Sさんも家で目を覚ました頃だろうか、と朝の支度をしながらAは思った。彼が目を覚ましているとするなら、それは昨日までのSとは違い、Aを忘却の彼方へ飛ばしてしまったSである。数日前まで二人で話していたことを、今や自分一人しか思いだすことができないというのは不思議な感覚だった。自然に忘れていくこととは決定的な違いがあるような気がした。忘れ去られるということは、普通の人々がする、感動のお別れよりももっと、本質的なお別れなのだと、Aはいつも思う。
そんなことに悲しむ暇もなく、今日もAは記憶管理局へと向かう。そこには話すべきクライアントがいて、忘れ去られるべき記憶があるからだ。これらは仕事で、自分はプロで、私情を挟まずに淡々とこなすものなのだと、Aは自分に言い聞かせる。それでも、やっぱり今までのクライアントが、何かの拍子に、自分のことを少しでも、ほんの存在の輪郭だけでもいいから、思い出してもらえたら良いと、Aはいつも思っていた。
記憶忘却の技術が劇的に進歩したのは、今から25年ほど前のことである。当初は誰も信じていなかったが、しばらくして、記憶管理局という公的な医療機関が設立されてからは、半信半疑ながらもカウンセリングを受診するクライアントがぽつぽつと増えてきた。施術の構造上、口コミも存在せず、表立っての評価は変わらなかったが、それでも確かに、水面下で患者は増えていった。施術後は自宅で目覚めること、受信したことを覚えていないというシステムから、世間からは『夢機関』と呼ばれることもあった。『夢機関』の知名度が上がるにつれ、「実は自分が『忘却施術』を受けていて、何か大切なものを忘れているのではないか」と疑心暗鬼になる人が現れたり、それを利用した詐欺である『夢機関詐欺』も社会問題となった。『記憶管理局』はそれに対処すべく、申し込みのあった人間の「忘却施術の有無のみ」を確認する新しいシステムを生み出した。そして申し込んでくる人間は、『忘却施術』の記録の無い者ばかりだった。そのような問題もあったことから『記憶管理局』、およびその職員への偏見はまだまだ残っている。Aやその他の職員たちも、嫌がらせをうけたことは一度や二度ではなかった。それに加え、クライアントが望んでいることとはいえ、他人の記憶を消し去ることに加担したという意識は、少しずつ職員の良心を蝕んだ。魅力的な給与に惹かれて多くの人間がこの職に就いたが、Aの様に数年以上続けている職員はほんの一握りであり、そのような職員の大抵は、『忘却』を乱用していた。クライアントとの記憶や、嫌がらせ、職員をしていてつらいと思った出来事など、ことあるごとに『忘却施術』利用した。「そうすることで心は狂わない、何があっても忘れてしまえば何の問題もない」と、彼らの多くはそう思っていた。
長年続けている職員の中で、Aだけが「忘却施術」を行わなかった。行わなかったと言えば、嘘になってしまう。5年前、彼は一度だけ、「忘却施術」を行った。それによって、人生の大半を忘れ去っていた。施術後に残っていた記憶は、自身の名前と、生きていくのに最低限の知識、そして自分が18年生きてきたことだけだった。忘却内容が膨大すぎるため、記憶管理局はA本人に「忘却施術」を行ったことを説明するという異例の措置をとった。「家庭や学校に居場所のない、忘れた方がましな辛い人生だったから」という説明を受けたAは、かつての自分の決断を尊重し、肯定してやりたいとは思いながらも、困惑せずにはいられなかった。今までどこかを彷徨っていた自分の魂が、生まれてから18年経った肉体に偶然入ってしまった心地だった。ここまで忘れる必要があったのか疑問に感じながらも、Aは自分の空っぽを受け入れた。受け入れざるを得なかった。
これからの展望が何一つ見えないAを、記憶管理局は彼を職員として迎え入れた。彼の忘却を担当した職員が、Aをカウンセラーとして推薦したのだった。異例の「忘却施術」を行ったAの経過を観察したいという局の意向もあっただろうが、空っぽのまま外の世界に放り出されることを考えると、Aにとっても良い提案であったことに間違いはない。更に、他者の記憶と向き合うことで、自身の在り方を見つけることができるかもしれない。とAは考えていた。空っぽになってしまったAには、少しでも他者と関わった記憶が必要だった。Aは思い出に飢えていた。失ったこれまでの記憶を補うように、彼はクライアントと関わった。様々な人間の忘れるべき記憶と向き合い、忘却させる。このことを繰り返し、「自分の記憶はこの人たちみたいに、忘れられて当然の記憶だったんだ」と、かつての自分を肯定してやりたかった。つらい人生に苦しんでいたであろう自分に、「忘れて良かったんだ」と言ってやりたかった。職員として働き始めて5年ほどたったAだったが、いまだに心の奥底では、かつて自分の記憶にあったであろう家族についての未練が残っていた。いくら自身が決めたことだったとしても、忘れたくなるようなひどい家庭だったとしても、その思いを払拭することは難しかった。そのためには、まだまだ人々の忘れるべき記憶が必要だった。
あと二話ほど続きます。
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