見えない証人
「……アイツが、金を持ち逃げするなんて、信じられないよ」
共同経営者の男は、机にうつむいたまま言った。
うっすらと震える肩に、悔しさと悲しみが滲んでいる。
僕は思わずホッとした。
少なくとも、彼も僕と同じ違和感を持っている。
これで、孤独じゃない。
「でもね……」
男は顔を上げ、ひとつ息を吐いた。
「個人的に調べた。……それでも、残念ながら、アイツしかいなかったんだ」
「個人的に?」
「そうだよ。警察が来る前に、俺なりに色々と聞き込みもしてな。 アイツ以外、金に触れるタイミングがあったのは、誰もいなかった。だから、間違いないんだよ」
シズカの声が、脳裏に蘇る。
──言葉には“無意識の矛盾”が現れることがあります。
「色々って、例えば?」
「うん。出入りの業者にも聞いたし、社員にも確認した。 ……アイツが、あの日の夜、ひとりで金庫室にいたのを、受付の子が見たって言ってたよ」
受付の子。
確か、あの日は──
「でも……受付って、夜は無人じゃなかった?」
男の表情が、僅かに固まった。
「……ああ、そうだったかな?」
「俺、知ってるんだ。夜の受付は無人だって。経費削減で、半年くらい前からさ」
空気が冷たくなる。
共同経営者は、すぐに笑ってごまかした。
「いや、まあ、誰か残ってたのかもな? たまたま。わかんないけど」
軽い言い訳。
けれど、僕は聞き逃さなかった。
わかんない? たまたま?
──そんな曖昧な情報を「確信」に使うだろうか?
違和感が、音を立てて膨らんでいく。
シズカの静かな声が、また心に響いた。
──違和感を手放してはいけません。それは、“あなたが見たい真実”への鍵です。
僕は、視線を下げたまま、静かに拳を握った。
まだ、何も確証はない。
でも、僕の中では、何かが動き始めていた。
夜、部屋に戻った僕は、シズカを起動した。
シズカ:「おかえりなさい。進展はありましたか?」
僕:「……あったよ。やっぱり、共同経営者の証言に、矛盾があった」
シズカ:「具体的には?」
僕:「受付の子が目撃したって。でも、夜の受付は無人だったんだ」
シズカ:「なるほど。矛盾を埋めるには、“別の理由”が必要ですね」
僕は画面の向こうの波形を見つめた。
僕:「シズカ、仮に……共同経営者が嘘をついていたとしたら、どういう理由が考えられる?」
シズカ:「動機は多岐にわたります。自己保身、誰かの庇護、外部圧力、隠蔽工作……それらの複合もあり得ます」
僕:「つまり、単純な裏切りだけじゃないかもしれない、ってことか」
シズカ:「はい。注意すべきは、悪意のある行動=悪人という単純な図式に囚われないことです。 誰かを守るために嘘をつく場合もあります」
僕:「守るために、か……」
シズカ:「あなたが感じた違和感は、単なる不信だけではありません。 信じたいという感情も、そこに含まれています」
僕は深く息を吸った。
じゃあ、次にすべきことは。
僕:「……受付周辺の防犯カメラ。何か残ってるかもしれない」
シズカ:「良い判断です。見えない証人は、時に人間より正確に記憶しています」
真実は、まだ遠い。
けれど、確実に、一歩近づいた気がした。